書籍名 | 日本語の発音はどう変わってきたか |
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著者名 | 釘貫 亨 |
出版社 | 中央公論新社(264p) |
発刊日 | 2023.02.20 |
希望小売価格 | 924円 |
書評日 | 2023.11.16 |
著者は1954年生まれ。専門は「日本語学」、著作は「古代日本語形態変化」などが紹介されている。「日本語学」とか「日本語形態変化」という言葉に初めて接して、具体的な内容や研究手法もよく判らないまま本書を手にしたのは、帯のキャッチコピーの「羽柴秀吉はファシバ フィデヨシだった!」という言葉に引きつけられたから。
音声学では発音の再現を「再建」という言葉を使うとのことだが、本書は奈良時代(8世紀)から江戸中期(18世紀)における日本語発音の再建研究の現状と手法を説明しており、文献資料(万葉集や源氏物語絵巻等)の重要さと共に日本語音韻学だけでなく各国音韻学の成果も生かしつつ再建して行く大変さを理解させてくれる。また、表意文字としての漢字、表音文字としての平仮名、片仮名、そしてローマ字(アルファベット)を組み合わせて日常文を表現している日本語についても、なんでこんな複雑な言語になってしまったのかを知る楽しさもある。
現代の私たちは五十音(あいうえお)によって母音は5つと理解している。しかし、奈良時代は「い(i)」と「ゐ(wi)」、「え(e)」と「ゑ(we)」、「お(o)」と「を(wo)」に区別した発音がなされていたため、8母音だった。こうした「ゐ」とか「ゑ」は今となっては、店の名前などでしか出会わない存在である。音の再建の重要な資料が万葉集(万葉仮名)である。万葉仮名は中国の音読みを参考にして日本語音節(おおむね50音の一つ一つ)に漢字を当てたもの。当初は人名や地名といった固有名詞に使い、その後動詞などにも使って、8世紀には漢字だけで日本語の文が書けるようになったという。万葉仮名でハ行の子音は「波」「比」「布」「倍」「保」の漢字が当てられているが、中国唐代ではこれらの漢字は上下の唇を合わせた破裂音で「pa-pi-pu-pe-po」に近い発音だったという。こうした中国音韻学と万葉仮名からの推論が鍵。
次の変革期は平安時代で、ハ行の破裂音は緩くなり「ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ」と変化して行くとともに、手紙を書く時などは、「以」を「い」のように万葉仮名を崩して平仮名を生成して書くことが主流になっていく。そして表音文字の完成形として平仮名「いろは歌」四十七文字が確立した。万葉仮名と違って平仮名は一字が一音に対応するので書き手の筆記速度は大きく改善し、枕草子、源氏物語をはじめとして総て平仮名で書かれている物語や日記が多く残っている。その特徴としては地の文と会話文の表現差や切れ目がなく書かれていて、現代の我々が読んでもなかなか読み難い文章である。
また、漢字を訓読するときの万葉仮名の「伊」の偏をつかって「イ」と表現する片仮名が成立したものの、漢文読み下しのための訓点(符号)として使われていたこともあり、美的鑑賞の対象にもならず書としての存在感もほとんどなかった。
鎌倉時代になると文章の書き方は大変革を起こす。平安の源氏物語絵巻は総て平仮名で書かれていたが、藤原定家が書写校訂した源氏物語定家本は漢字を組み合わせて句点、読点を付した上で会話を括弧で括るという、まさに読み易さの革命を起こしている。こうした定家の活動は王朝風の文や和歌の綴りの混乱への対応でもあった。源氏物語定家本の漢字混入は注釈であるとともに文意理解の補強になっている。現代の我々が接している古典文はこの定家の文章体裁である。こうした定家の仕事も見方を変えると「原典尊重」の視点から批判が出てもおかしくなさそうであるが、著者は復古と革新の両面から前向きに評価している。
もう一つ日本語音声の記録の重要な資料として著者が挙げているのはイエズス会宣教師が残したローマ字の記録である。日葡辞書(1603)として刊行されているが、これによるとハ行音は「f」で表現されている。「ハ行音」は「鳩fato」「光ficari」というように両唇摩擦音で表記されていることから、本書の帯の「ファシバ フィデヨシ」がこれか。
江戸元禄期の文芸復興で、僧侶であり歌人でもあった契沖は仮名遣いの説明原理として使われてきた「いろは歌」に変わり、「五十音図」で説明した。また、古事記の近代的注釈を世に出した本居宣長は音訓研究の中で提唱した和歌の字余りからみた音声の再建が取り上げられている。例えば額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮も叶ひぬ今は漕ぎいでな」という和歌は「5-7-5-7-8」という字余りに読めるが、このア行音節の字余りの発音としては単独母音「い」を省略して発音していて、「今は漕ぎでな」と7音リズムだったとしている。素直に納得出来る説明だし、面白い視点だと思う。
こうした時代を通して、音読みの歴史も興味深い視点だ。例えば「行」という漢字を音読みで「こう・ぎょう・あん」、訓読みで「おこなう・ゆく」等と我々は使い分けて読んでいる。この様に、一つの漢字を日本人が複雑に読むことに中国人は驚くという。特に音読みの複数の読み方を「漢字の重層化」と言うようなのだが、各層は呉音(3~6世紀)、漢音(6~8世紀)、唐音(13世紀)として日本に入って来た。ただ、本家中国だけでなく、朝鮮、ベトナムでもこうした重層音は残っていない。なぜ日本にだけ重層音が残ったのかについて、呉音は仏教(僧侶)、漢音は律令制度(貴族)、唐音は禅宗といった別々の集団の中で伝承された結果と著者は見ている。
また、日本漢字音の特徴は音節が母音で終わることにある。一方、各国言語では子音で終わる語が多くある。英語の「CUP・káp」は日本では「カップ・kappu」と母音終わりに変化させる。このように明治以降片仮名で転写して表現してきた。日本人の英語下手の原因として発音のまずさが挙げられているのも、こうした片仮名イングリッシュで耳と目に刷り込まれているからと指摘している。
個人的に言えば日本語の多様性の一面として、中国の固有名詞の多くを漢字表記して日本語音で発音している。これで中国の歴史文化を学び、語って来た。以前の職場で各国の技術者と仕事をする中に中国の技術者たちも居た。ITの仕事関係の会話を英語でする際はお互い問題ないが、食事をする等の日常会話の中で中国の歴史や地名を語ろうとすると発音が判らないというジレンマに陥る。中国のことをそう知っている訳でもないアメリカ人が固有名詞(地名・人名)を音で覚えているので会話は成立する。一方、書けるし、それなりに知識のある日本人は中国語発音を知らないために会話が成立しない。「論語」は中国語でどう発音するのか? 「ルゥンイー」を知らなければ論語から名付けられた私の名前も伝えることはできない。
そんなことも考えながら、日本語の複雑な歴史を発音という視点からの説明とともに、グローバルに見ても異質な日本語体形を再認識させてもらった一冊だった。(内池正名)
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