ネオ日本食【トミヤマユキコ】

ネオ日本食


書籍名 ネオ日本食
著者名 トミヤマユキコ
出版社 リトルモア(210p)
発刊日 2024.03.27
希望小売価格 1,980円
書評日 2024.10.17
ネオ日本食

タイトルの「ネオ日本食」というのは著者の造語で「海外から持ち込まれたはずなのに、日本で独自の進化を遂げ私たちの食文化に溶け込んでいる食べ物」というもの。日々食べている食事を思いだしてみても各国からの来歴を持つ食べ物はカレー、餃子、スパゲッティ、ラーメン等、数え上げればきりがない程多い。ただ、「日本独自の進化」といっても、その食べ物の母国でも変化しているかも知れないと想像すると、世界各国の食文化の変化についても興味が湧いてくるそんな読書だった。

「ネオ日本食」の多くは、第二次大戦後の海外戦地からの帰国、連合国の進駐、物資不足などの苦労とドサクサ中から生まれている。著者は作り手が生きた時代背景と食べ物のエピソードなどを聞きとりながら食べ物の旨さだけではない視点で書いているが、そうした表現を「もの」と「ひと」との立体感という言い方をしている。著者の良い意味で主観的に選択した「ネオ日本食」はホットケーキ、パフェ、たらこスパゲッティ、山崎製パンのランチパック、ホイス(酒の割り材)、餃子、ごはんと食べる洋食等である。

その内の幾つかの食品についての著者のユニークな指摘を見てみよう。

まず、平井にある喫茶店「ワンモア」のホットケーキを取り上げている。マスターは1938年生まれ、高校卒業後、渋谷の喫茶店「マウンテン」に就職し、洗い場から修行を始めたという。店では冷めにくく、焼き物には最適な鉄板を使ってホットケーキを焼いていて、冷房もフル稼働させないと厳しい調理場だった。その後、独立し開店した「ワンモア」に継承されたホットケーキの美味さはこの鉄板に代表される道具と調理手順で「ダラーンと大きく焼かずに小さく焼く」というものだった。ただ、作る側は不変の手法やレシピを守り続けていても、客の方はあきらかに変化しており、コーヒーに入れる砂糖の量は減り、ホットケーキのメイプルシロップも全部掛けると一番おいしいという量を考えてサーブしているが残す客が多くなったという。そうした話を聞きながら著者の心に残ったマスターの言葉は「50年ワンモアを続けたのは、やはり、人が好き」というもの。

スパゲティでネオ日本食といえば、ナポリタンかたらこスパか悩むところだが、著者は目黒の「ダン」のたらこスパゲティを取り上げている。現在の店主は二代目。ダンのスパゲティが大好きで町工場を経営していたものの、初代に乞われて二代目を引き受けたとのこと。調理や味は先代の教えを忠実に守っていて、アレンジはまったくしない。茹であがった熱々の手延べ麺にたらこのソースを手早く混ぜるという調理が特徴。私もこの店には行ったことが有るが、厨房は狭く男三人も入れば身動きが取り難いくらいだ。コロナ禍で客足は減少しガチ客に支えられているという。たらこスパゲティというと渋谷の「壁の穴」が起源だが、ダンの初代も「壁の穴」で食べて、混ぜるだけで良いという点に着目し試行錯誤の末、ダンの味わいを作りだしている。「壁の穴」のすこし洋風に歩み寄ってレモンを添えるといった味わいとは一線を画していると思う。ちなみにダンはラテン語の家族という意味の「DAN」といっているが、本当は着るなら「VAN」、食べるなら「DAN」という乗りで名付けたとのこと。もはや団塊の世代以降の人達には意味不明のエピソードだろう。

食パンでソース焼きそばを包み込んだり、パンはネオ日本食として多様な変化してきた。その代表として著者は1984年から販売されている山崎製パンのランチパックを取り上げている。ランチパックのヒットのきっかけは東京駅の売店で「携帯できるランチ」というキャッチフレーズで売り始めたことにあるようだ。加えて、特筆すべきは全国展開ベースの商品だけでなく、全国の26工場から工場発案の地域限定商品にも力を入れている点である。地域限定商品の原点は「工場の製造ラインに立つものは、開発する意識を持つ」というもの。地元産品の活用だけでなく、例えば横浜工場とハワイアン航空とのコラボで「ロコモコ風」、といった製品を生み出していることを考えると、各工場の自主性と新たな発想を育むトリガーになっているのだろう。そして「・・・・風」というネオるための風を吹かせることで日本の食文化を豊かにしてきたという見方は納得だ。

日本向け餃子として「ホワイト餃子」野田本店をとりあげている。ここの餃子は丸く作り、茹でて、揚げ焼にするという独特な作り方をしている。二代目との会話の中からその歴史を紐解いている。初代は戦時中満州に軍属で、現地の料理屋の餃子に注目し、シェフの「白(パク)さん」にレシピを伝授してもらった。戦後帰国して野田で食堂を開店。最初の餃子は中国伝統の小さなバナナ型の水餃子で、その水餃子が余ると自宅で焼餃子にして食べていたこともあり、より満腹感を満たせる焼餃子にシフトするとともに、味の均一化のため餡や皮などの仕込みは家族だけで作るとか、素材へのこだわりとして豚は一頭買いをして肉の調達のぶれを少なくしているという徹底ぶり。名前の「ホワイト餃子」は当然満州の白(パク)さんから教えてもらったという思い入れは変わらぬところだろう。私は餃子が好きで、以前在籍した会社の数人の仲間と都内の餃子屋を食べ歩いていたが野田のホワイト餃子本店までは足を運んだことはない。小旅行を考えてみようかという気にさせてくれる。

ごはんに合う洋食として上野のポンタ本家を取り上げている。著者がこの店でタンシチューを食べた時、シチューが少し余ったので皿に残っているライスをシチューの皿に入れて混ぜて食べたいが少しはしたないと躊躇していたところ、店の人から「ごはん混ぜていいですよ。最後まで食べてもらうのは嬉しい」と言われたのが印象的だったと書いている。私はどんなレストランでもシチューのソースはライスと混ぜて食べてしまうのであまり気にしていなかったが、さすがに女性は淑やかなものだと感心してしまう。店の初代は宮内庁に勤務し、西洋料理として牛肉を少量の油で焼き上げるカツレツなどを作っていた。明治38年に自分の店を開店するときは、豚の方が日本人の好みだし、たくさんの油で天ぷら式に揚げることにしたという。まさに明治期のネオりである。とにかく、西洋を真似るという風潮の中で初代(島田信二郎)の発想こそネオ日本食の原点だろう。この店はごはんに合う洋食がコンセプトと四代目が話しているように、肉料理はポークソティー、シチュー、カツレツの三つしかないという頑固さも納得がいく。

本書ではネオ日本食としてカレーの具体的な店は取り上げていない。ただ、南インド料理店「エリック・サウス」の総料理長との対談が載っている。2000年あたりから日本人の嗜好に合わせたアレンジをしない、現地系カレーを提供する店が出てきたが、「エリック・サウス」もそのうちの一つ。「反ネオ日本食」とでもいう存在である。日本のカレーの歴史が語られているのも面白い。私はカレーが好きで、特に学生時代から入り浸っていたのが渋谷百軒店にある「ムルギー」である。店主も代替わりしたが60年間その味に変化はなく、店に入れば私の顔を見るなり「卵入り、辛口、ごはん少な目ね。」とオーダーを待たずに声を掛けられる。私にとって「ネオ日本食」のカレー版の筆頭は「ムルギー」である。

そんなことを思い返しながら、自分の「ネオ日本食」というかB級グルメ列伝が沸き上がってくる。著者も「ところでこの本を読み終えたあなたの心にはこんな気持ちが去来しているのではないか。『あれもネオ日本食なのに載っていない』とか『あの店を取り上げるべき』 など・・・本書はネオ日本食の最初の扉であり、気になる店の料理を是非自分の足と舌で確かめてほしい」という読者への挑戦の言葉で終えている。(内池正名)

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