納豆の食文化誌【横山 智】

納豆の食文化誌


書籍名 納豆の食文化誌
著者名 横山 智
出版社 農文協(301p)
発刊日 2021.06.23
希望小売価格 2,970円
書評日 2021.08.17
納豆の食文化誌

納豆は子供の頃から我が家の食卓に欠かせないものだった。季節野菜のぬか漬けとともに食卓でしっかり立ち位置を確保していた。父は福島、母は新潟出身で東日本食文化の典型的な家庭だったと思う。本書で日本の糸引き納豆の歴史の大きな転換点として、稲わらのつとに入って売られていた時代から、戦後1950年代に経木で三角形に包まれた形になり、そして発砲スチロール製の小分けされた商品へと変化してきたことを挙げているのだが、そうだったと納得しながら、納豆のパッケージの転換期を体験してきた私は、「団塊の世代」ならぬ「納豆世代」とでもいえるのかもしれない。そんな個人的な納豆観を頭の片隅に置いて夏の読書を楽しんだ。

本書の冒頭で、植物学者の中尾佐助の「納豆はいわば、大豆と植物とそれに付く菌の三種の植物複合文化」という言葉が紹介されている様に、日本の稲わら文化と納豆づくりの歴史にはじまり、東南アジア各国で作られている納豆を紹介している。特に、著者が東南アジア各地を辿り、街の市場を訪れ納豆を探し、納豆生産者を訪問して製造工程や原材料を教えてもらいながら、各地での地域固有の食べ物を実食するという、まさに足と舌で辿る調査の集大成といえる。

醗酵という複雑な化学プロセスが科学的に解明される以前から、人類は日常的に菌や酵素を利用してきた。失敗も繰り返したと思うが、代々の知恵を受け継いで醗酵食品を作って来た歴史が有る。醤油・みそ・鼓などの麹による醗酵調味料は古くからの文献に載っているが、稲わらの枯草菌醗酵による納豆づくりが始まったかについては文献からの確定は難しい様だ。ただ、室町中期の「精進魚類物語」という御伽草子が紹介されていて、豆太郎を大将とする精進物と鮭大介を大将とする魚鳥物との合戦という怪作である。この御伽草子の中で、豆太郎がわらの中で昼寝をしている絵があるというから、この時代以前から稲わらで納豆を作る文化は確立していたということが判る。

稲作文化と納豆の関係についての考察も興味深い。日本では稲の収穫後のわらは、家畜の飼料にしたり、畑に鋤込んで肥料にしたり、燃料にするなどして土に戻すという循環に稲霊があるとされてきた。こうした稲作文化においてハレの食べ物として納豆が位置付けられており、恵比寿講や彼岸などに神仏への供物として使われるとともに、東北・北関東などでは正月用の納豆を「納豆年越し」「納豆正月」などと名付けて自家製納豆を作っていたという習慣を初めて知った。納豆は東日本の食べ物という先入観が有る中で、飛び地的に京都の一部で正月納豆の風習が有ったという著者の指摘は好奇心をそそられる。なぜ、京都で?との疑問は残るが、その理由は明らかにされていない。

醗酵の研究が進んだのは19世紀中頃にパスツールが酵母の作用としてアルコール発酵の原理を解明し、その半世紀後の1905年に日本の醗酵の権威で後に醸造研究所設立に貢献した澤村眞が稲わら納豆から枯草菌の一種として納豆菌を特定したうえで、純粋培養に成功した。しかし、納豆の製造の多くは小規模の製造者によって稲わらを用いて作られていたのが実態。そして、1950年代に稲わらを使った納豆づくりは消滅した。これは納豆菌の培養が可能となったこととともに、戦後のサルモネラ菌による納豆中毒の発生が契機となって、納豆生産が許可制になったことで衛生管理が進んだ結果である。以降、日本の納豆は工業化されて安全と安定生産を手に入れた代わりに、食文化の多様性を失ったという著者の指摘は重く感じられる。

一方、東南アジアの多くの地域で作られている納豆について、タイ系、ミャンマー系、チベット系、ネパール系など大きく四つに分けて詳細に語っている。日本以外の納豆に関する状況はまったく知らなかったので、大変興味深く読み進んだ。そこから見えてくるのは、一つは大豆を醗酵させるための菌の供給方法の違いであり、もう一点は日本のように御飯のおかずとして納豆を食べているのは例外で、ほとんどの地域では調味料として料理に使われているという点である。

まず、菌の多様な供給方法について、日本は稲わらの枯草菌を使っているが、アジアの各国では地域に自生する植物の葉を使って大豆を煮てその葉っぱで包んだり、竹籠の内側に葉っぱを引き詰めて煮豆を入れて醗酵させ納豆を作っている。例えば、タイでは「シダ」が多く使われ、インドでは「イチジクの葉」、ミャンマーでは「パンノキ」、その他各地ではバナナ、ビワ、チーク、笹などが使われているという。特筆すべき点として生産者は「味」によって使用する植物を選んでいて、香りが良いとして多く使われているのが「シダ」であり、強い粘りを求めるときは「いちじく」を使うといった好みが出ているという。この様に、アジア各国で見られる色々な植物の葉っぱを使って納豆の味を楽しむという選択肢が、何故日本の納豆に無かったのだろうかと思う。

こうして作られた納豆を潰してセンベイ状や碁石状、そして厚焼きクッキーのように成型したうえで天日乾燥して調味料としての納豆は作られる。これらは、いずれも炒め物、煮物、麺、スープなどに加えられて使われているのだが、地域独自に進化したアジアの納豆は糸を引かない枯草菌が選ばれていった。加えて、想像もつかないラオスのピーナッツ納豆や乳製品との混合などが有る事を知り、こうした多様性のある納豆について好奇心がそそられる点が多い。

東南アジアの特徴的な調味料としての納豆が食文化として形作られていることから、著者は「うま味文化圏」の一角に位置づけることを提案している。今までのアジア圏の「うま味文化圏」は、日本を含む東アジアの味噌、醤油に代表される大豆醗酵調味料が定着している「穀醤卓越地帯」と魚醤や塩辛などの魚介類醗酵調味料が強い「魚醤卓越地帯」に二分して考えられている。しかし、この二つの領域の境界にまたがる「納豆」調味料を加えて「三種類のうま味文化圏」という提案だ。

現在も東南アジア各国では、手間暇かけて手作業で少量の納豆を作っている。近年は輸送手段の発達に加えて、海岸地帯で作られている魚醤が内陸地域でも簡単に手に入る様になるとともに「味王」や「味の素」といった工業製品化された調味料との競争にもさらされているのが実態とのこと。工業化された日本の納豆生産でも納豆製造業者数は減り続けている。しかし、現代でも稲わらを利用した納豆生産に挑戦している企業も紹介されている。

現代の私たちが各国の多様な食文化を楽しめるのも、製造や物流の近代化のおかげ。一方、大量生産や厳しい品質管理にそぐわないことで失われていく食文化もある。なかなか難しい時代に生きていることを認識させられた一冊だった。(内池正名)

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