3.11 震災は日本を変えたのか【リチャード・J・サミュエルズ】

3.11 震災は日本を変えたのか


書籍名 3.11 震災は日本を変えたのか
著者名 リチャード・J・サミュエルズ
出版社 英治出版(432p)
発刊日 2016.03.08
希望小売価格 3,024円
書評日 2016.04.19
3.11 震災は日本を変えたのか

3.11から5年が経った。その間、多くの刊行物や報道が多様な視点でこの災害を表現し、論じてきた。3.11に係わる本をそれなりに読んで来たつもりではあるが、外国の研究者によるものは初めてだと思う。著者は1951年生まれ、MIT( Massachusetts Institute of Technology)政治学部教授、MIT国際研究センター所長で日本の政治経済と安全保障政策を専門としている所謂知日派である。原書はコーネル大学出版局から「3.11 Disaster and Change in Japan」と題して出版されたもので、「3.11」の結果として、日本の何が変わって、何が変わらなかったのかという視点から、国家安全保障、エネルギー政策、地方自治といった三つの観点を掘り下げている。

本書を読むに際していくつかのポイントがあると思うのだが、その一つが、原書は2013年4月に出版され、3.11発生からの2年間を俯瞰したものであること。つまり現在から見ると直近の3年間の状況は反映されていないということである。政治的に言えば菅直人・野田佳彦という二人の総理大臣の民主党政権の時代である。二点目は著者が日本の政治経済と安全保障政策の専門家として日本国内外の幅広い情報チャネルや文献を駆使して実証しており、これによって新しい視点との出会いが期待されること。三点目は、1854年の安政の大地震をはじめ、関東大震災、阪神淡路大震災など、過去日本で発生した自然災害への対応事例を詳細に分析しており、3.11以前からの著者の日本研究の成果が発揮されている。

「日本では災害が起こるたびにあらためて改革を誓い、新しい形態の政治活動および社会活動が盛んになって、国家政策に疑問を投げかける動きがみられることだ」と指摘している通り、3.11の発生後日本の中で国民全員参加といっても良いレベルでの議論がなされてきたことは民主主義が活発に実践されている証左として著者はポジティブに評価している一方、こうした議論が「復興をうまく行う」ためにどう生かされるかについてはそう楽観的にはなれないと考えている。「復興をうまく行う」ということは「日本の伝統的な不透明で協調主義的なプロセスを透明で参加型のプロセスに変えることができるか」という根本変化に他ならないからである。

この「透明で参加型」への変化動向を示しているとして、日本学術会議元会長で国会の事故調査委員会の委員長に任命された黒川清が委員会を運営するにあたって、公聴会を公開し、記者会見も旧態とした記者クラブだけでなくジャーナリスト全てに参加資格を与えた事を評価している。そして、黒川委員会の報告書(2012年7月)について以下の様に記している。

「公的レポートとしてはじめて産業界と政府の癒着が3.11の一因であったと痛烈に批判。3.11が想定外の非常にまれな出来事であり対応準備が出来ていなかったのは仕方がないという考えを否定した。今回の事故の根本的原因は日本社会が生み出した『思い込み(マインドセット)』にあり、これにより『おごり、慢心』したエリートが国民の命を守ることよりも組織の利益を守ることを優先したことにある」

こうした黒川の透明性と公開性を基盤とした、変化への起爆的な発想と活動に高い評価を与えているのは興味深いポイントだ。3.11に関するいくつかの公的報告書が有る中で国会調査委員会の報告書に言及している理由も確認してみたいところだ。

本書の骨格は、日本における変化の状況を三つの分野(国家安全保障、エネルギー政策、地方自治)と三つのモデル(パターン)で詳細に分析しているのだが、こうした実証的手法であり、複眼的な視野で書かれていることが特徴的である。一方、その精緻さと領域の広さが有るだけに読者として大括りの理解に至る難しさは否定できない。

第一のモデルとは「活発で前向きな対応をして、過去の惰性を捨てて新たな方向に進むべき」というもので、例えば、3.11は自衛隊の対応力を試す機会となったが、本当の敵に備えるためにこの歴史的チャンスを活用する、原子力エネルギーを持続可能なエネルギーに置き換えるために所謂原子力ムラを解体する、地方自治体では、道州制の推進をこの際一挙に進めようとするなどに代表されるものである。

第二のモデルは、「政策手法は変えずに、現状の価値を認めつつその漸進的に変化をもたらす」という考え方である。このモデルの支持者は、大震災が既知の知恵と習慣の正しさを裏付けたものと主張する。「だから言った通りだろう」というニュアンスが根本にある。

第三のモデルは、「過去の行いを否定して、理想化される状況を追い求める」というもの。国家安全保障の観点でのこのモデルの支持者は軍縮推進派で、戦後日本が再軍備に向かった誤りを正し、再武装路線を放棄して国際救急救援隊を創設して平和憲法の精神に立ち返るべきとする意見、都市と田舎の均衡を保ち、リサイクル・シンプルライフを明治維新前に求めたりする意見、結果、3.11の責任を科学(特に西洋科学)に求めると言った意見などがこのモデルに入る。

三つの分野(国家安全保障、エネルギー政策、地方自治)を個別に議論するだけでなく、分野の組み合わせによって浮かび上がってくる問題点がより先鋭的であることを示している。例えば、国家安全保障とエネルギー政策の間では、原子力発電燃料の再利用とプルトニウム保有は国防の観点として潜在的核抑止力となることが3.11後の議論で表面化して来た。過去、原子力発電(Nuclear Electricity Generation)と核兵器(Nuclear Weapon)といったように、「原子力」と「核」という言葉を意図的に使い分けてきた我が国であるが、グローバルに言えば「Nuclear」という言葉で共通のものである。こうした我が国の原子力政策と国防の曖昧さを指摘したのは大江健三郎に代表される人々の「原発の問題は第九条の問題」という意見に集約される。

ただ、多くの変化の兆しの中からも中々本質的な変化にたどり着けなかった理由をこう述べている。
「3.11の前、長年にわたり日本の政治的議論は山積する懸案に覆われていた。有能なリーダーに恵まれず、安全保障環境も不安定、コミュニティは崩壊して、なによりも変化が求められていた。従って、日本の指導者層はそれぞれの自説に3.11の教訓を取り入れて、自ら掲げる大義を強化しようとした。……確かなのは3.11が起こっても日本で発言権を持つ人々のほとんどは自分の意見を変えることは無かった……日本では三つの政策課題は『前向きな変化を加速させる』よりも『現状維持』が優先された」

こうした政治学者としての状況認識と捉え方は、彼が学問対象として見てきた日本政治の閉塞感を捉えた判断なのだろう。政治家や指導層の思惑にも関わらず、著者は最終的には3.11後の日本の変化について、まだ評価するには時期尚早としながらも、過去の災害に教訓を得ることは多くあるとしつつ、「日本のアナリストが東日本大震災を1922年の関東大震災と比較する際、かれらは後藤新平と彼の復興にかける壮大な夢が挫折したことばかり注目し、大日本帝国軍がどのように力を付けて行ったかを顧みない」という復興だけでない、国家の軍隊の在り方についての変化に対する視点の欠落を問題提起しているのを忘れてはならない。

本書は極めて精緻な論が多様に紹介されていて、これをテキストにしてゼミ的な読書が出来たら、もっと深く理解できるだろうにとの思いが湧いてくるし、議論する楽しさも出てきそうだ。そうした素材感が本書にはある。また、3.11から5年がたった今の段階で、本書が書かれた同様のメソドロジーで現状を見るとどうなるのかという期待も大きい。(内池正名)

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