青春の終焉【三浦雅士】

青春の終焉

70年を境に死語と化した「青年」と「青春」


書籍名 青春の終焉
著者名 三浦雅士
出版社 講談社(488p)
発刊日 2001.9.27
希望小売価格 2800円
書評日等 -
青春の終焉

68年世代といい、全共闘世代という。あるいは団塊の世代とくくることもある。それぞれの意味するところには重なる部分もあるし、ズレるところもある。とはいえ、いずれも1960年代に「青春」を送った世代を指していることでは共通している。

この本には「1960年代試論」とサブタイトルがついている。2年前に刊行された本書を改めて読む気になったのは、60年代を生きた団塊あるいは全共闘世代が、気がつけばその時代から30年以上がすぎ、その距離感をテコにして歴史的なパースペクティブのなかで自分の生きてきた時代を再検証しようと試みる本が、このところ目についたからだ。

秀実の「革命的な、あまりに革命的なーー「1968年の革命」史論」(作品社)がそうだし、団塊世代には輝かしい名前として記憶される山本義隆(元東大全共闘議長)の「磁力と重力の発見」(みすず書房)も、科学史と文明史をテーマとしながら、ページの背後には同じような問いがあるように思える。

団塊ばかりでなく、その下の世代からも、60~70年代への注目が感じられる。

坪内祐三の「一九七二」(文芸春秋)が出たし、四方田犬彦の「ハイスクール1968」が「新潮」に連載中だ。

毛色はちがうが小熊英二の「<民主>と<愛国>」(新曜社)は、「民主」や「愛国」など時代を象徴するキーワードをネタに、その意味合いの変化を解析してみせた戦後日本の「知の考古学」だ。そこで60年代と全共闘世代は、「貧しい戦後」を覆いかくす「豊かな戦後」の申し子として、この世代のイデオローグともいうべき吉本隆明とともに、ほとんど断罪に近い扱いを受けている。

80年代のバブルとその崩壊、不況とデフレの進行という、この国がその後たどった道を振りかえってみると、扱っているテーマやアプローチは様々でも、彼らには60年代が「なにかの終わり」として、あるいは「なにかの始まり」として見えているのにちがいない。

「青春の終焉」は、題名からも想像できるように(全共闘世代なら「擬制の終焉」というこの世代のバイブルを思いおこす)、60年代を「なにものかの終わり」として捉えている。「なにものか」とは、「青春」という言葉に象徴される明治以降の若年層のあり方であり、それは19~20世紀の西欧諸国を共通しておおった現象でもあった。

世界史のなかで「青年」であることができ、「青春」を送ることのできたのは、特権的なごく限られた人々だった。それは18世紀のヨーロッパに生まれ、19世紀になって目に見えるかたちで集団をつくりあげた。その現象は、明治以後の日本にも波及した。

「青年」とは、子供でも大人でもなく、その中間の過渡的な存在として、近代になってから社会的に認知されるようになった集団だ。子供は大人の手で一方的に教えられ、育てられる存在であり、一方、大人は社会的な生産関係に組み込まれ、社会的役割を果たすことを義務づけられている存在だが、「青年」はそうではない。

一言で言えば高等遊民。漱石の描く三四郎や「それから」の代助を思いおこせばよい。彼らの背後には、言うまでもなく新興ブルジョアジーの台頭という社会現象がある。

「青年」は経済的に余裕があり、高等教育を受け、過剰な自己意識をもてあましている。そんな特権的な「青年」のみが「青春」を送ることができた。その主なテーマは恋と革命(政治)である。社会関係からしばし切り離され、過剰な自己意識をもつ彼らの思考の特徴は「根源的」であり「急進的」であることだ。だから恋も革命も半ば必然的に挫折し、「青年」は傷つき苦悩することになる。

「根源的」で「急進的」であること、つまり「青年」の最大のイデオローグは19世紀のマルクスとドストエフスキーだった。

「(マルクスがプロレタリアートを定義する)「失うものは何もない」状態は、労働者にとっては直接的な生活の困難にほかならなかったが、青年にとってはむしろ、思想の放恣なまでの自由、政治運動の過激なまでの自由を促す基本的条件だったのである。「失うものは何もない」状態は、労働者にとってではない、青年にとってこそ重要だったのだ」

「青春の終焉とは、マルクスとドストエフスキーが対になっているこのような構図そのものの終焉である」

……などと筋道だけを抜きだせば身も蓋もないけれど、三浦雅士はそのことを文学史を往きつ戻りつしながら、主に小林秀雄と太宰治を素材に検証してみせる。

「青年」も「青春」も、明治20年代、30年代の日本文学をおおった流行語だった。「青年」という言葉は北村透谷や国木田独歩が実質をつくり、その後、漱石の「三四郎」や鴎外の「青年」を生む。大正の白樺派や、それにつづく小林秀雄、太宰治の世代は漱石・鴎外らの手になる「青春」というシナリオを実人生で演じてみせた。

その自己意識のドラマをモノローグとして内側から語ることが近代文学とされ、その挫折と劣等感の深さこそが「近代的自我」と称されるものの実体だった、と三浦は断定する。

明治以後の社会や文学を語るとき、僕らは事あるごとに「近代的自我の確立」という言葉を聞かされてきた。そのわりには、この言葉がなにを意味しているのかきちんと説明された覚えはないが、意味あり気に見えた言葉をこんなに明快に断定できるのは、この言葉の呪縛からようやく距離を取れるようになったということだろう。

僕らの頭に教科書的に刷り込まれた「近代的自我」なる言葉にすっと風が吹き抜けたような気がする。なんだ、そんなことだったのか、と。

またしても筋道を抜き出すようになってしまったが、この本の面白さは、そんな骨組みだけではない。枝葉へ逸れてゆくそのこと自体が、個別の作家論であったり、文学史への新しい照明だったりもする。

例えば太宰治からは、自己意識のドラマという側面だけでなく、その笑いの要素や語り口から、落語など口承文芸の伝統に通ずる側面が引き出される。また例えば、江戸文学と近代文学は切断されているというのが日本文学史の通説だけれど、三浦はその常識を引っくりかえし、明治以後の「青春」文学に大きな影を投げた先駆として、滝沢馬琴の「八犬伝」を取り上げる。

あるいは、「青春」文学の戦後の展開として、大江健三郎、吉本隆明、村上龍、村上春樹が爼上に載せられる。

そんなテーマ群が出版ジャーナリズム史という視点からも論じられているのが、この本のもうひとつの面白さだ。明治の出版ジャーナリズムのなかに「青年」や「青春」の訳語が定着する過程を追い、「朝日ジャーナル」に掲載された原稿や、サルトルから構造主義への出版ブームの変化に60年代の転換を追う。

ここまでくれば、サブタイトルの「1960年代」を三浦がどうとらえているかはおよそ見当がつくだろう。

「青年」と「青春」は、どんどん大衆化してきた。戦前は帝国大学から旧制高校へ。戦後には新制大学と多くの私立大学の誕生。大衆化するとは、「高等遊民」の特権が失われることでもあった。1960年代は、そのような中産階級の特権の上に立った「青年」と「青春」が、最後の輝きを見せた時代だった。

1970年を境に、そのような特権は失われ、「青年」と「青春」は死語となった。若者世代は、それ以前とはまったく別種の問題系と直面することになる。それは18世紀以来の、「青春」を生んだロマン主義の時代が終わったことを意味していた。

紹介するのが遅れたが、三浦雅士は団塊=全共闘世代の真っ只中の1946年生まれ。もちろん、自らの世代を「最後のロマン主義者」と位置づけることには異論もあるだろう。下の世代からは、1968年を現在にいたる未完の革命の「はじまり」ととらえる秀実ともども、相も変わらず自己愛の強い世代だと、冷笑が聞こえてもきそうだ。

でも、いいではないか。「最後のロマン主義者」(と三浦が言っているわけではなく、僕の敢えてする勇み足だが)という自己認識は、悪くないではないか。

「最後のロマン主義者」たちが社会に組み込まれて30年以上がたつ。彼らは、いまどうしているのだろう。ロマン主義の炎は彼らのなかで、いまだに熾火として燃えつづけているのか、それともいつしか燃えつきてしまったのか。

この世代はやがて60歳を迎え、社会関係から半ば放逐される(あるいは解放される)。そのとき、彼らの炎は発火するのか。しないのか。するとしたら、どのような姿でなのか。それがこの集団に対する僕の興味であり、自身よく分からない自分に対する興味でもある。(雄)

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