書籍名 | 葬祭の日本史 |
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著者名 | 高橋繁行 |
出版社 | 講談社(252p) |
発刊日 | 2004.6.20 |
希望小売価格 | 756円(税込み) |
書評日等 | - |
この本を手にしていたら、家人から「縁起でもない」としかめっ面をされた。葬祭とか葬儀と聞くと忌諱したくなる気分はあるものの、何か不思議な興味も否定できない。
死にまつわる儀礼の登場者は死んだ本人は別として、親族や知人、宗教家、葬祭業といった人たちだ。特に、葬祭業に対して、「死体を相手に不当な利益を貪る仕事」とのイメージが過去強かったが、「彼らは毎日のように待ったなしで死者に接しているから、否が応でも死について普遍的な思いを抱かざるを得ない。・・・宗教家以上に宗教的な存在なのではないだろうか。・・」こうした視点で葬祭・葬儀に関する歴史と「死のプロセス」ともいうべき本人・残された家族の精神的清算の考え方をまとめた一冊である。
興味深いところは明治以降、葬祭形式の変革とビジネスとしての進化が書き込まれているところ。大阪で霊柩車を考案し、葬列に革命的な演出を行った鈴木勇太郎、他方東京では牛鍋屋チェーンのおやじであった木村荘平が近代的設備の火葬場を経営し始めた時期の話である。
いわゆる野辺の送りは中世の主流であった遺棄葬・風葬を経て埋葬・火葬へと変化していった。1947年に53%であった日本の火葬率は、現在99.3%で世界第一位。以下香港78.3%、チェコ76.4%、イギリス70.3%・・・中国41.5%、アメリカ25.3%と続く。いかに日本の火葬普及率が急激で且つ徹底したものであったのかが良くわかる。埋葬・火葬へ転換しはじめた時期は十三世紀前半、ちょうど法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗が受け入れられていった時期といわれている。日本の葬送儀礼の特徴を筆者は「死者を成仏させあの世に送る成仏儀礼と、それに先立ち、死の穢れを清める儀礼の二重構造」にあるという。
この死の穢れを清める儀礼を行う僧は空也僧が務めるという不文律があり、いわゆる念仏講を中心とする信仰である。一方、成仏儀礼は檀那寺の僧侶が務めるという仏教信仰の二重性は現代の空也僧の役割を葬祭業者が務めているという構図で今もって生きていると著者は言いたいのだろう。また、葬列における会葬者は死者と同じ白装束でこの世とあの世が地続きになり死者を送り届けるように見える。浄土と現世のチャネルが解放された状態を葬列は作り上げてきたとも言える。こうした葬列の特長を明治44年に死去した新派劇の創始者である川上音二郎の大葬儀・葬列を例示しながらの記述は白眉である。
また、「日本では荼毘に付した後、近親者の手で「骨上げ」を行う。これは世界のどの国にも見られない葬送習慣」といわれる。戦没者の遺骨収集に対する日本の態度は類例を見ることがない。こうした信仰は火葬場自体の変化をおこしてきた。東京の火葬場は町屋・代々幡・戸田・桐ヶ谷・落合などがあるが木村荘平は町屋火葬場の前身であった日暮里火葬場新設許可が明治二十年におりると東京博善株式会社を設立して近代火葬場経営をスタートさせた。
木村の独創性の発揮されたのは「焼却時間を何分の一かに縮めた石炭使用炉の設計、棺を運搬するレールの採用、豪華な告別室設備、など従来のものとは面目一新した火葬場であった」という。そして他火葬場の買収を続け、昭和四年に桐ヶ谷を買収して、東京博善は東京のすべての火葬場を独占化するというかたちとなった。こうした運営の特異性とともに、火葬・骨上げに対する改善は以降継続して続けられることになる。
現代の葬儀にも目を向け儀式としての葬祭だけでなく、そこに従事している人たちの心情も活写しているところに筆者の持つ現場感覚と優しさは充分に発揮されていると思う。読み続ける中で知識としての興味もさることながら、自分の身体に流れている日本人の死生観を納得するとともに、所詮自分が死んだらどんな葬儀をしているのか分かるわけもないし、残された者たちの納得感がすべてと思いながらの読了であった。(正)
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