写真でくらべる昭和と今 国鉄風景の30年【二村高史】

写真でくらべる昭和と今 国鉄風景の30年


書籍名 写真でくらべる昭和と今 国鉄風景の30年
著者名 二村高史
出版社 技報堂出版(179p)
発刊日 2008.4
希望小売価格 1680円(税込み)
書評日等 -
写真でくらべる昭和と今 国鉄風景の30年

鉄道に関する書籍はいよいよ懐古的になってきているのではないか。本書はそうした鉄道本の標準的な視点にちょっとした味付けを加えた写真を元に30年前と今とを定点比較するという趣向である。掲載されている写真の画面には生活する人がいて、道があり、国鉄マンが仕事をしているのだが、そうした風景を比較することによって時代を際立たせようというものだ。

比較する30年間という時間間隔についての是非は意見があるだろう。ただ、一人の人間によって同じ場所の撮影をしようとすると30年という意味が見えてくるように思う。例えば、書評子のように還暦を迎えた人間にとっての過去の思い出とは楽しかったものだけが去来して、経験や時代を分析的に振り返るというエネルギーはもうあまり残ってはいないというのが実感である。そう考えると、50歳ぐらいが自分を冷静に振り返えることが出来たり、分析できるという点で気力・体力ともに一番いい年齢のように思える。また、その年齢であれば、30年の過去への旅が現実的であろう。なぜならば、40年遡ると10歳児となってしまい写真を体系的に撮ることも出来ない。20年では比べるべき変化は少なすぎる。そんなことを考えながら、著者略歴を見ると1958年生まれとある。今年50歳か。「やっぱりなァー」と自分の推理に納得するのである。

さて、本書で比較している対象は「駅」として16地点、「路線」として14地点、「施設・運転」として9地点、「車両」として5地点が選ばれている。著者も書いているが四つの区分自体にはあまり意味を持たせていないようだ。掲載されている写真は基本的にはスナップ写真であるが、スナップ写真を敢えて定点で30年後に撮影するという発想もあまり普通のことではないだろう。紹介されているスナップ写真を見ていくと画面の中の特定の部分だけをズーム・アップして凝視するという面白さ(発見)とともに、時代の推移・時間の流れを実感できる楽しさがポイントだと思う。30年間であまり大きく変化してしまってはかえって面白みに欠けてしまうし、2枚の写真を並べることで読み解ける範囲の変化に興味が増すと思える。

さて、その中から印象的な比較風景をいくつか拾ってみる。ひとつは貨物線の風景である。紹介されている東京・板橋駅の貨物線の写真を見ると、現在の風景の中に貨物線の小規模なヤードは跡形もないが、その場所に高層住宅が建っていて、建物の形は貨物線ヤードの地形に沿って作られているのが良くわかる。わかりやすい変り方に納得するとともに、昭和58年のこの写真に写っている無蓋車や有蓋車たちに往時の典型的な小規模貨物扱い駅の風情を見ることが出来る。あえて付け加えれば日本通運の黄色に塗装されたボンネット型のトラックが定番の景色であろう。

この30年間で日本における小口貨物の輸送形態は一挙に変わってしまった。宅配便などの配送手段がなかった昭和30年代は、チッキと称して乗車券を示した上で最寄りの駅から荷物を貨物で送り出し、到着駅で受け取っていた。貨物扱いをしている最寄駅まで荷物を持っていしという大変さが有った。この仕組みで、夏休みに両親の実家に1-2週間遊びに行くなどというときに、柳行李に衣類を詰めて、麻縄でしっかりと縛り、赤い荷札をつけて運んでいった。例えば、よく使っていた大塚駅では山手線の電車の駅舎とは別に貨物用の平屋の駅舎というか扱い所があった。先日、久しぶりに大塚駅に降り立ち、貨物駅を探してみると案の定、貨物ヤードはすでになくJR系の大きなホテルが建っている。駅舎から貨物駅に至る砂利の坂道は今やきれいに舗装されてホテルへの歩道となっている。しかし、ここがあのデコボコ道だったと思い出せるだけの、手触り感のある変化であったことにほっとした。

そして、上野駅については各種風景が紹介されている。20番線ホーム、中央改札口、上野広小路出口、中央出札口、ホームの売店、郵便荷物車など。変わってしまったもの、なくなってしまったものも多いのだが、上野駅自体は外見的な変化が比較的少ない駅だと思う。ターミナル形式の発着ホームである地平部分の端の番線が20番線ホームであるが、常磐線の列車が発着していたように思う。この部分のプラットホームが上野駅の象徴的な風景であり、13番線から20番線までの各線路の終端にはバッファー(車止め)が設置され、乗降客の転落防止のための平滑な石の囲いがあった。当時の写真を見るとその囲いの低さに驚く。記憶としては肩ぐらいまであったように思っていたが、考えてみれば小学生の背丈から見た風景の記憶である。

上野の中央改札口といえば、猪熊源一郎の「自由」という大壁画がある。改札口の上の破風に描かれているもの。昭和26年という資材が不足していた時代に苦労して描かれたとも聞く。改札口前の広いロビーは以前とあまり変化はない。駅舎の建物が変わらない限りこの風景は温存されることだろう。戦後すぐはターミナル駅として年末やお盆の帰省列車が東北本線、上越線、信越本線・常磐線と数多く出発していた。広いロビーには人があふれ、行先・列車毎の案内板の下に大勢の人が列を作り出発を待っていた風景はニュース映画やTVの定番の年末風景だった。

いまや、東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線もすべて東京駅始発となり上野は通過駅となり、同時に在来線の長距離列車は激減して、通勤路線のハブになってしまったようだ。郵便車、言うまでも無く夜行列車につながれていた郵便車はその中で仕分けもしていたが、もう郵便物の多くはトラックに変わり郵便車は廃止されて久しい。

本書の読み方や見方はいろいろあるだろうと思う。昔を知っている読者は行った場所、生活していた空間を見つけて、昭和の時代を思い出深く見ることだろう。また、比較されている今の写真を見て、こんなに変わってしまったのかと驚くこともあるかもしれない。若い読者は初めて接する風景も多いはずだが、その変化の理由を考えてみてほしいとも思う。例えば、宗谷本線幌延駅の柱にあった「タシカニフ」という標語の掲示が紹介されている。「通表・信号・客・荷・踏切」と小さく横に書かれている。通表のタはタブレットのタで、客のカは旅客(リョカク)のカとのこと。通表(タブレット)の仕組みから当時の単純・確実な運行管理を理解するのも楽しい。ただ、タブレットの時代から比較すると現在の精緻且つ大量情報を処理する運行管理システムのロジックや構造は複雑で趣味の対象から外れてしまっているのも悲しい。

「社会の複雑化」は「素人の愛好者」を失っていく。「すべてのシステムや構造が単純な頃は良かった」などというアナクロニズムに浸るつもりはないが、手触感で世の中の仕組みを理解することができた時代は判りやすく温かい時代であったのは事実である。本書で楽しい時間旅行が出来た。(正)

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