昭和史【半藤一利】

昭和史


書籍名 昭和史
著者名 半藤一利
出版社 平凡社(512p)
発刊日 2004.2.10
希望小売価格 1600円+税
書評日等 -
昭和史

昭和史というのは学校で教えてくれない。日本史の授業はたいてい明治維新前後で時間切れになってしまうから、後は興味があれば自分で本を探すしかない。たぶん、今でもそうだろう。ゆとり授業なんていっているのでは、なおさらかもしれない。

1960年代、私たちの学生時代に、そんな教養としての昭和史の本といえば遠山茂樹らの「昭和史」(岩波新書)か、中央公論社版「日本の歴史」の大内力「ファシズムへの道」、林茂「太平洋戦争」だったと思う。どちらも左翼系の学者の手になるものであることが時代を感じさせる。

殊に岩波新書はこちこちの共産党系マルクス主義者の書いたものだから、当時、新左翼の末端にいた私が読んでも、その教条的な分析の臭さにへきえきしたものだった。中公版のほうは読みやすい文章でバランス感覚もあったけれど、「教養」としてはあまりに詳しすぎ、かえって歴史の流れを大づかみすることができなかったような気がする。

その後、そうした「教養としての昭和史」というのに相応しい本は出たのだろうか。あまり記憶がない。自分の子供には、水木しげるの「昭和史」(全8巻)を読ませた。コミックながら、片腕を失った戦争体験など水木しげるの個人史と昭和史を交錯させ、歴史を身近なものとして感じさせる力作だった(そういえば、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」もあった)。

そもそも、その後、教養というものそれ自体が疑われ、国民共通の基礎知識などなくなってしまったのだから、コミックしか思い浮かばないのも当然かもしれない。いや、コミックこそが教養になったというべきか。

でも、敗戦から半世紀以上経ち、高度成長とバブル、その崩壊を経験した今でも、私たちはなお基本的に「戦後史の空間」に生きているのだから、その空間を生む元となった昭和前期の歴史は、私たちの生に直にかかわりあっている。そこに無知では、私たちはまたしても誤るかもしれない。

半藤一利の「昭和史」は、そんな「教養としての歴史」という古めかしい言葉の有効性を改めて感じさせる一冊だった。……といって、この本が時代遅れだといっているのではない。歴史をこんなふうに面白く語れる人は、今どき、そうはいない。

半藤一利といえば、「日本のいちばん長い日」「聖断」「ノモンハンの夏」など、太平洋戦争を素材にした作品で知られる。

そんな著者にふさわしく、陸軍と海軍の動き、互いに対立しながら戦争へ戦争へとなだれてゆく巨大な渦を中心に、それらに時に反対し、時にうまく乗っかる天皇と側近グループ、さらに国民を煽る新聞(世論)という4つの軸のからみあいとして、昭和史の開幕を告げる張作霖爆殺事件から敗戦までを描いてゆく。

その大胆な単純化が、歴史を大づかみに分かりやすく、読む者の頭のなかに入れてくれる。「ときに張り扇の講談調、ときに落語の人情噺調」と著者が「あとがき」で記すように、若い世代を相手に飽きさせないよう工夫した語りが本書の元になっていることも、面白さを生みだした理由のひとつだろう。

もちろん、そんな単純化と床屋政談からは抜け落ちてしまうものもある。陸軍、具体的にいえば参謀本部の服部卓四郎、辻政信という2人の参謀が悪役として主役を張り、対して海軍の米内光政、山本五十六、井上成美という将官が善玉役を振り当てられる(著者は、海軍も善玉ばかりではなかったと言っているが)。だから、ときに悪玉と善玉が対立するエンタテインメントのようになってしまう気味もなくはない。

さらに気になるのは、天皇が戦争に果たした役割についてだ。ひとことで言えば、この本は、昭和天皇は戦争を回避し、また戦争を終わらせるためによくやった、という立場に貫かれている。

著者は、張作霖爆殺事件で政治に口を出し、内閣をつぶしてしまった経験に懲りた昭和天皇は、以後、内閣が決めたことにNOを言わない立憲君主国の「機関」に徹したという。この本で著者はそれ以上のことは言っていないが、その立場を敷衍すれば、昭和天皇に戦争責任はなかった、ということになるのだろう。

でも、この本でも触れられているように2・26事件の際、側近を殺されて怒りにかられた天皇は「機関」であることを逸脱して主体的に行動しているし、戦争が始まってからも、折りに触れ積極的に発言していることは、いろいろな資料が明らかにしている。

そのように事実関係にもさまざまな議論があり、それを措いても、天皇の名において300万の日本人が死に、それに倍するアジアの民が死んだという事実は残る。法的な責任はともかく、道義的な責任は否定しようもないはずだ。

そうした議論が大切なのは、昭和天皇の戦争責任を云々するというより、戦後、そのことについて天皇がどのような態度を取ったかということこそが重要だと思うからだ。本人にその意志がなかったのかどうかはともかく、結果的に昭和天皇は戦争責任に一言も触れることがなかった。そのことが、「戦後史の空間」のあり方をいちばん底のところで規定しているのではないだろうか。

どこで読んだか忘れてしまったけれど、敗戦直後に天皇の側近が、天皇が自身の責任について一言も触れないですませては、長い目で見て日本人の精神を退廃させてしまうのではないかと心配した、という記述を読んだことがある。まっとうな考えだと思う。

いま、「戦後史の空間」の矛盾や空虚の象徴のように挙げられるのは憲法第9条だけれど、少なくとも憲法が制定された時点で、日本はアメリカに占領され、武力を持たない丸裸の状態だったから、その意味では、第9条は理想の表明であると同時に、当時の日本の現状を追認しただけという側面をも持っている。そこに現実と理念の乖離はなかった。

それ以上に「戦後史の空間」をいちばん深いところで規定したのは、昭和天皇が戦争責任について一言も語らずに生きのびたこと、またそれを許して、黙々と経済国家としての再建に邁進したことによって、私たちの精神の奥深くにどうしようもないニヒリズムが巣くってしまったことではないかと思うのだ。著者の考え方では、そうした事柄に議論を展開する可能性を閉ざしてしまうのではないか、というのが私の感想。

思わず脇道に逸れてしまったけれど、そんなことを考えさせるだけの刺激と面白さとを、「昭和史」は持っている。敗戦のとき15歳だった著者が、この時代の空気を吸って実際に肌で知っていることも、描写に実感の裏づけを与え、文章を説得力あるものにしている。

リベラリストの語ったこの歴史には、不満もあるけれど、それ以上に歴史から学ぶことの大切さを私たちに教えてくれる。こういう本が、新しい「教養」として、私たちの共通財産になってほしい。

著者は最後に、昭和史の教訓として5つのことを挙げている。

第1に、「国民的熱狂をつくってはいけない」。第2に、「危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な方法論に目をつぶる」。第3に、「官僚的秀才による小集団エリート主義の弊害」。第4に、「国際社会のなかの日本の位置を客観的に把握しない」。第5に、「事が起こったとき、すぐに成果を求める対症療法的な発想を取る」。

近ごろのイラクでの日本人誘拐事件や、北朝鮮の拉致事件を巡っての政治家の言動、マスコミの報道、国民の過敏な反応を見ていると、否応なく著者の挙げた5項目が頭に浮かんでくる。いやな国になってきたなあ、という苦い思いは私ひとりだけのものではないはずだ。

それにしても昭和史というのは、読んでいて陰々滅々としてくる。「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」で近代国家の夜明けと勃興期を書いた司馬遼太郎が、ノモンハンを素材に昭和史を書こうとして遂に書くことを断念した事情が、よく分かる。

著者は、「昭和史」の最後の一文をこう結んでいる。「それにしても何とアホな戦争をしたものか」。(雄)

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