神道はなぜ教えがないのか【島田裕巳】

神道はなぜ教えがないのか


書籍名 神道はなぜ教えがないのか
著者名 島田裕巳
出版社 ベスト新書(224p)
発刊日 2013.01.20
希望小売価格 800円
書評日 2013.02.14
神道はなぜ教えがないのか

わが家は1928(昭和3)年に建てられた木造の純和風家屋。もともと祖父母が住んでいて、小生も2歳から小学校へ上がるまでこの家で暮らした。当時どの家にもあったように神棚と仏壇があり、それも居間の同じ壁面に上下仲良く並んでいた。信心深い祖母はことあるごとに手を合わせていたけれど、それが神棚に対してだったのか仏壇に対してだったのかはよく分からない。もっとも、チーンとりんを叩いたときは仏壇の祖先を拝んでいたのだろう。

1970年代に小生が住むようになったとき、仏壇は父母の家に移したのでぶち抜いて窓を開けてしまったけれど、神棚はそのまま残した。当時、20代の小生は新左翼的な考えに傾いていて、「宗教は民衆の阿片」という思想も知っていたけれど、神棚を壊そうとは思わなかった。祖父母が手を合わせる姿を見ていたからでもあるし、祀られているのが調(つき)神社のお札で、「つきのみや」として小さいころから親しんできた浦和の氏神だから、土地の神様を祀ることに抵抗はなかった。以来、祖父母と同じように何かのときに手を合わせ、正月には掃除して灯明をつけお神酒を供える、いわば生活習慣のひとつとしてわが家の神棚は存在している。

こういう神(神道)とのつきあいは日本人の平均的なあり方なのだろうけど、神道そのものの性格から来ているものでもあるらしい。神道は仏教やキリスト教とは、かなり性格の異なった宗教なのだ。そのことを島田裕巳はこの本のなかで、「神道は『ない宗教』である」と言っている。

神道には、釈迦やイエスのような開祖がいない。神道には、法華経や聖書のような教義といえるものがほとんどない。どんな宗教であれ人は宗教に「救済」や「救い」を求めるものだが、私たちは神道に現世利益を求めても「救済」や「救い」をあまり求めない。つまり神道は哲学、あるいは魂の領域に関与しない。神社という建築には、その中心には神が降りる依代(鏡や御幣<ごへい>)があるだけで実質的に何もなく、仏像やキリスト像のような姿形を持った神がいない(その点ではイスラム教に近い)。

さらに島田は、神道にはもともと神社という建造物は存在しなかった、と言う。いま確認できるいちばん古い神道祭祀は宗像市(福岡県)の沖ノ島と、奈良の三輪山で行われたと考えられている。沖ノ島には現在、沖津宮という神社があるけれど、それは後世のもので、もともとは島にある巨大な岩の陰で祭祀が行われていた。三輪山には大神神社があるが、ここには拝殿があるだけで本殿はない。三輪山それ自体がご神体なので、神を祀る本殿は必要ないのだ。かつて祭祀は、三輪山中の磐座(いわくら)と呼ばれる岩の上で行われていた。

こうした記述に、以前ブック・ナビで紹介した岡谷公二『原始の神社を求めて』を重ねてみる。岡谷によると、日本の古神道と関係が深いと言われる沖縄の御嶽(うたき)や韓国・済州島の堂(タン)には必ず小さな森があり、木の下で祭祀が行われる。「堂と御嶽の共通点は、小さな森であること、建物がないこと、祭の主役が女性であること」だという。村の鎮守に限らず、神社には必ず森がある。古神道も御嶽も堂も、神が降りるのは岩や樹木で、だから祭祀は屋外で行われた。沖縄や済州島で祭の主役が女性なのは、巫女が祭祀を司った古代シャーマニズムの名残だろうか。

神道は日本独自の民族宗教と言われるけれど、つまりはかつて世界中のどこにもあったアニミズム(自然崇拝)に基づく原始的な祭祀が、農耕社会や律令制度のなかでそれなりに宗教としての体裁を整えたものと言っていいんだろう。だから神道には教祖も経典も哲学も神像も建造物もなくて、なんの不思議もないわけだ。

アマゾンの未開社会では今もアニミズムが残っているけれど、多くの社会では後に興された宗教に吸収されてしまった。地中海地域の地母神信仰はキリスト教に取り入れられてマリア信仰になったというし、南米のアニミズムもキリスト教に取り入れられて独特のキリスト教が生まれた。密教と呼ばれる仏教も、もともとは仏教以前の地母神信仰が元になっているという。

日本でも神道と仏教とが入り混じって「神仏習合」したけれど、でも神道は仏教に吸収されることなく神道として生き残った。それなら、仏教に溶け込まなかった神道の神道たる所以は何なのだろう。小生なりに考えてみた。

神社というのは寺に比べるとどこも簡素で、境内は常にきれいに掃除されている。神社へお参りするときには、まず手水舎で手を洗い口をすすいで心身を清める。子供が生まれたり、結婚するときには社殿に上がって頭を垂れ、その上に神主が御幣(2本のぎざぎざの紙を木に挟んだもの)を振るってお祓いを受ける。御幣は神が降りる依り代で、それを垂れた頭の上で振るわれることによって「罪や穢れを除いて心身を清め」(平凡社・世界大百科)られる。神道のキーワードは「清浄」ということのようだ。清らかである、ということが神道では至上の価値とされる。

もっとも、僕がいま神社で感じるのは清らかさだけではない。お祓いを受けるとき頭を下げるよう求められるけれど、それは本来心の内から湧きあがるはずの神への敬虔さを強制されているようにも感ずる。その上から目線は、まだ共同体に支配─被支配の関係が生まれる以前の原始的な神道とはちょっと違うのではないか。

さらにお祓いを受けるときに感ずるのは、「祓う」行為はもともと「罪と穢れ」に満ちているものを水に流すことを意味するということだ。それは逆に言えば、現世が罪と穢れに満ち満ちていることの反映ではないだろうか。神道が清浄さを強調すればするほど、その裏から血の匂いがただよってくることを否応なく感じてしまう。

狩猟採集の社会では、人間は生物を殺すことで生をつないできた。原始神道は、狩で殺した熊の魂を山へ送り返すアイヌの熊送りのような儀式とも重なるものだったろう。稲作が伝わって農耕社会になると共同体が生まれ、共同体内部での、あるいは共同体同士の抗争が生まれる。神道は収穫を祈り、あるいは祝う宗教儀礼として発展したけれど、同時に共同体が流す血を清める場ともなっただろう。

やがて古代国家が生まれると、『古事記』や『日本書紀』に見るように親子兄弟が血で血を洗う権力争いが繰り広げられた。血塗られた「マクベス夫人の手」に恐れおののいた権力者たちは、罪と穢れを清めるための手段として祓いにすがったにちがいない。また菅原道真(北野天満宮)や平将門(神田明神)のような恨みを持った死者が祟りをもたらすと、彼らを神に祀り上げて、心の平安を得ようとしたろう。そうした神道と政治の結びつきは、近代日本の国家神道まで一直線につながっている。

『原始の神道を求めて』のなかで岡谷は「神を迎える清浄な森を伐り払って社殿を設けた時から、信仰の質が変わったと私は考える。それは聖なる神の領域に、俗なる人間の秩序を持ちこんだからである」と言っている。それは、本来アニミズムに基づいた素朴な信仰であった神道が古代国家と結びついて政治的な意味を帯びたことによる変質を指しているだろう。

小生、大方の日本人と同じく、日常習慣のなかで神社や寺へ行くことはあっても、おおむね宗教とは無縁に生きてきた。それでも、手を合わせて祈るという行為だけは信じている。祈る相手は神でも仏でも、山でも大樹でも、人間を超えた宇宙を感じさせるものならなんでもいい。自分を超えた、なにか大きなものに畏怖を感じ、祈る。つまりは小生にも、原始未開のアニミズムの心性が脈々と流れているということか。小生だけでなく多くの日本人に流れているに違いないそうした心性が、神道を21世紀まで生き永らえさせてきたのかもしれない。数千年の歴史のなかで被ったさまざまな変質を切り分けた末に現れる、そんな原初の心性ならば信じてもいいと思う。(雄)

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