「昭和」を送る【中井久夫】

「昭和」を送る


書籍名 「昭和」を送る
著者名 中井久夫
出版社 みすず書房(330p)
発刊日 2013.05.20
希望小売価格 3,150円円
書評日 2013.09.15
「昭和」を送る

前にも書いたことがあるけれど、精神科医の中井久夫のことを今この国で最高の知性のひとりだと思っている。彼が専門家向けでなく書いたものが数年おきに出版される。書店の棚にそれを見つけるとすぐに買い求め、その度に大きな刺激を受けてきた。

中井久夫を読む最大の喜びは、自分に関心あるテーマ、またまったく知らなかったテーマが常識的にはありえない角度から照らし出される経験を、読むたびに味わえることだ。論理の積み重ねが、ある瞬間、「ここがロドスだ」とばかりに飛躍する。神戸大学病院精神科の責任者を務めた医師なのに、「抗精神病薬の効果は、プラセボー効果(注・偽薬効果。効くと思って飲めば偽薬でも効く)が三割、薬理学的効果が一割、後の六割は不明だという」と書く人である。論理と飛躍のない交ぜになった知性は、彼が理系の思考とギリシャ詩の翻訳者であることからも分かる詩人のひらめきを併せもつことから来るのではないか、と考えるのはあまりに通俗的な理解だろうか。

さて本書の中心になるエッセイは、タイトルにも取られた「『昭和』を送る」、昭和天皇論である。

戦後生まれの僕らの世代は、天皇制についてさまざまな考えを持っていても、昭和天皇自身に個人的な好悪の感情をさほど持っていない。それに対して、なんらかの形で戦争を経験した世代には、昭和天皇に当然のことながら複雑な感情を抱いている人間が多い。太平洋戦争を否定的に考える人でも、それは変わらない。太平洋戦争を「馬鹿な戦争」と書いた司馬遼太郎は昭和天皇への親愛の情を隠さなかったし、日本軍が壊滅してゆくさまを冷徹に記した『レイテ戦記』の作者で「捕虜になった身だから」と芸術院会員を辞退した大岡昇平も、昭和天皇重態の報に「おいたわしい」と述べた。この発言について池澤夏樹は、大岡は昭和天皇と恥の感覚を共有していたのだと書いている。1945年に11歳だった中井が書く昭和天皇論も同じように複雑な影を持っている。

明治憲法の矛盾を一身に体現し、内的苦悩にさいなまれた存在としての昭和天皇を論じたこのエッセイは、もともと昭和天皇が亡くなった1989年に書かれ、それから二十数年たって初めて本書に収録された。その理由について、本文末尾に付された「本書収録にあたってのノート」によれば、このエッセイを書いた後に刊行された『昭和天皇独白録』と『入江相政日記』を呼んで単行本に収録する気力を失ったという。『入江日記』には、入江侍従がA級戦犯の判決が出た日、死刑になったのが武官だけであったのを喜び、ワインをたずさえて宮中を訪れ宴会のようになったことが記されているという。それを読んだ中井はこう記す。

「親しかった『兄』のような一族の一人を、マーシャルで『エンタープライズ』に体当たりしそこねて失い、いま一人をレイテで失い、敗戦時に割腹自殺した大叔父を持つ私は、保元平治の時、公卿たちが北面の武士を虫けら同様に扱っていたことを思い合わせた。しかし、天皇がこの宴に加わっていたとしたら、天皇は私には許容しえない一線を一夕は越えたことになる」

このエッセイは戦中の昭和天皇の苦悩に理解を示し、戦後の象徴天皇としての活動を肯定的に捉えるトーンに貫かれているけれど、中井は上の2冊を読んでその評価は早計だったと考えたかもしれない。昭和天皇もまた北面の武士(軍人)をないがしろにしていたのか、と。極東軍事裁判でのA級戦犯の裁判は、天皇の戦争責任の問題と密接に絡みあっていた。そのことを誰よりも知っているはずの天皇が、もし仮に侍従と宴に興じていたとしたら、身内に軍人の死を体験した中井には許しがたいものと映ったのだろう。

二十数年たって、中井がなぜこのエッセイを単行本に収録することを決めたのか、その真意は分からないし、その理由を説明してもいない。昭和天皇の死の直後に書かれた文章として、その時点での中井の思考を記録したものとしての意味を認めたのか、あるいは別の考えがあったのか。ただ、四半世紀の時の流れが昭和天皇への怒りを自然に和らげたのだという解釈だけは取りたくない。中井の文章をずっと読んできた者として、彼はそうした日本人的な心情とは一線を画してきたと思うからだ。

ここでその理由について、あえて確率の低い推量をしてみたい。それは、このエッセイの結論部分に書かれた一節と関係する。ちょっと長くなるが引用してみよう。

「天皇制の廃止が、一般国民の表現の自由を高めると夢想するのは現時点では誤りである。新憲法によって強大な権力を持つ首相のほうがはるかに危険である。権限なくて責任のみ多い脆弱な旧憲法上の首相がよいというのではない。あれは、天皇規定の矛盾にまさる政治上の不安定要因であり、新憲法なくして自民党長期政権はありえなかった。しかし、危険な首相の登場確率は危険な天皇の登場確率の千倍、この危険を無力化する可能性は十万対一であろう。天皇の意見は悪用するものの責任であり、そういう連中が『こわいものしらず』にならないために天皇の存在が貴重である。……私は、皇室が政府に対して牽制、抑止、補完機能を果たし、存在そのものが国家の安定要因となり、そのもとで健全な意見表明の自由によって、日本国が諸国と共存し共栄することを願う。
……日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた『外米』はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。……天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕でおれない。われわれはアジアに対して『昭和天皇』である。問題は常にわれわれにある」

四半世紀前に書かれたとは思えない「今日性」のある文章ではないだろうか。本書収録のいちばん新しい原稿「日中国交四〇年に寄せて」が執筆されたのが2012年9月、「あとがき」の日付が2013年4月22日となっているから、本書の構想されたのが尖閣・竹島を巡って中国・韓国と緊張が高まり、反中・反韓の空気のなかで安倍晋三政権が登場した時期に重なっていることが分かる。

中井久夫は、これまで直に政治的な発言はしてこなかった。「日中国交四〇年」の稿でも、「神戸の街には、中国の人と個人的な親交の歴史のある人が無数にいるだろう。さまざまな現場で、国境を越えた人の行き来が続いてきた。今は、そうした積み重ねを思い出す時でありたい」と、姿勢は明快ながらナマな発言は控えている。とはいえ、このような時代の空気のなかで中井自身がこの昭和天皇論には今日性があり、発表する意味があると判断した可能性はないだろうか。8月15日の戦没者追悼式で日本人の死者のみを追悼した安倍首相の発言と、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々」を追悼した天皇の発言を比べてみるとき、その思いは一層深くなる。

ところで、先に名前を出した司馬遼太郎は「余談だが」と前置きして本題を離れて実は言いたいこと、大切なことを述べることが多かった。それに似て、中井久夫は本文だけでなく注がきわめて面白い(「本書収録についてのノート」も一種の注である)。例えば昭和天皇論の「歴史は常に皮肉である」という一文に付された注はこんなふうになっている。

「戦後の昭和天皇は、その皮肉とも嫌味ともとれる、軍がかつて『ひとごとのようである』と評した一面を露呈された。……有明海の干拓竣工式に主賓として詠んだ歌が、『めづらしき海蝸牛(まいまい)も海たけも滅びゆく日のなからんを祈る』であり、新幹線にのられて、おしのびで運転席に立たれた天皇のお歌は何と『窓につぶれし燕をぞ思ふ』で終わっている。エコロジストが使うとよさそうなお歌である。なお、昭和天皇は主に歌によって意志表示した。これは多義的な解釈を生んでいる。質問を武器とする現天皇のほうが戦術としては明快であろう」

昭和天皇論のほかにも、臨床の現場から身を引いた著者が、統合失調症の臨床医としての体験を回想した4本の長文のエッセイがあって、著者がどんなに有能でユニークな医師だったかが想像できる。また自分の前立腺がんを見つけたきっかけについて書いた一文は心して読んだ。

「私のがんの場合、『あ、何かが身体で起こっている、今のこのストレスならありうる』という勘と当時普及していなかったPSAマーカーについての記事を読んだこととが結びついて前立腺がんの発見となった。それでも早期発見とはいえないが、人を医療につなぐものは、何かが起こっているという、分類以前的な一人過程である」(雄)

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