加賀100万石などというように、何万石とか、何人扶持とか、昔の武士の給料は、米の量を基準にして支払われていた。
江戸時代には、2合5勺が大人1食分の基準になっており、1日2食時代だったから、1人1日5合という計算になる。だから、2人扶持といえば1日5合の2倍、つまり1日1升という計算で支払われた。れっきとした通貨がありながら、米で給料を支払っていたのは、米が日本の唯一最大の生産物であり、その出来高が領主の力を示すバロメーターになっていたからだ。
従って、そこに仕える武士たちにとっても、自分の力を評価するための最も魅力のある価値基準だったのだ。米の石高制のルーツは飛鳥時代にあるという。
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