書籍名 | チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド |
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著者名 | 東 浩紀 |
出版社 | ゲンロン(160p) |
発刊日 | 2013.07.10 |
希望小売価格 | 1,470円 |
書評日 | 2013.10.21 |
ダークツーリズムとは聞きなれない言葉だ。分かりやすく言えばヒロシマの原爆ドームや平和資料館を訪れたり、アウシュビッツを訪れるのがダークツーリズム。歴史の負の遺産をこの目で見て、学ぶ。日本語でいえば「社会見学」というのに近いだろうか。
この本は「福島第一原発観光地化計画」を提唱する東浩紀が、観光地としてのチェルノブイリを仲間と訪れて作成したレポート兼ガイドブック。東以外に社会学者の開沼博、ジャーナリストの津田大介、写真家の新津保建秀らが参加、執筆している。写真や図版もたくさん挿入され、ながめるだけでも今チェルノブイリはこんなになっているのかと面白い。
「観光地化計画」は、あえて観光という挑発的な言葉を使っているけれど、要するに25年後の福島がどうあるべきかを考えようというプロジェクト。もちろん今の福島第一原発はそれ以前に汚染水をどうするかという緊急の課題を抱え、そもそも廃炉の見通しもまったく立たず、除染や賠償も遅々として進まず、待ったなしの問題が山積しているのが現状だ。でも、次々に起こる目前の問題に対処するのは当然にしても、長期的課題はいずれ考えればいいことではなく(例えばこの国の少子高齢化は30年、40年前から分かっていた)、25年後の福島を見据えていま何をやるべきかが重要なのだ。
原発だけでなく震災に視野を広げても、いま震災遺構が次々に姿を消している。気仙沼の市街地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」は解体が進んでいるし、鉄筋だけ残った南三陸町の防災対策庁舎(ここで避難を呼びかけつづけた女性職員が亡くなった)も、当初は保存の方向だったが撤去へと方針転換した。
いまでこそ原爆ドームはヒロシマの象徴になり、これを壊せという人はいないだろうけど、戦後しばらくは保存か取壊しかで市民の間でも意見が分かれ、正式に保存が決まったのは1966年のことだった。一般に被災直後には災害遺構を取壊せという意見が強く、時がたつにつれて保存の声が強くなってくる。復興がうまく進んでいないとき、時間とともに被害者の孤立感は深まり、当初の「思い出す恐怖」から「忘れられる恐怖」へと感情が振れていくからだろう。
もちろん被害者の心情は尊重されなければいけないけれど、「見たくない」「伝える義務がある」とふたつの意見が並存しているときに性急に判断する必要はあるまい。なにより自治体や国が20年後、30年後の被災地のありかたを示して、その上でこうした遺構をどうするのか、住民の意思をていねいに吸い上げていくのが大事だと思う。
福島第一原発の建屋だけでなく、第18共徳丸や防災庁舎は将来、大震災・原発事故のダークツーリズムが成り立つとすれば、原爆ドームと同様見学者に津波や原発事故のすさまじさを強烈に印象づけるモニュメントになった(なる)ことだろう。地震・事故の記憶を次の世代につなぐには言葉だけでは足りない。具体的な「もの」を残し、それを見たり触れたりできるようにすることが大切だ。いま保存が決まっている震災遺構は、僕も訪れたことがある岩手県田老のたろう観光ホテル。6階建ての建物のうち、3階部分までが津波に襲われ鉄骨がむきだしになっている。また大槌町で民宿の屋根に乗り上げた観光船「はまゆり」もいったん撤去されたが、被害を復元しようと町が寄付をつのっている。
脱線してしまったが、東浩紀ら8人は今年の4月にチェルノブイリ「観光」に出かけた。1986年に炉心溶融事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の周囲30km圏には今も立入禁止区域(ゾーン)が広がっている。そのゾーン内を許可を得て「観光」するツアーが、複数のNGOや旅行会社の手で運営されている。
「観光」の目玉は三つある。ひとつは、「石棺」と呼ばれる発電所本体。発電所は停止し廃炉作業が進められているが、ウクライナ全土へ電気を送る送電拠点としてチェルノブイリは今も稼動している。その管理棟で、事故を起こしたのと同タイプの制御室を見学し、「石棺」の直近まで行くことができる。「石棺」をバックにする記念撮影ポイントでの放射能は5マイクロシーベルト/時。かなり高い。
ふたつめの目玉は、無人都市プリピャチの廃墟ツアー。プリピャチは原発とともに建設された人工都市で、中央広場を中心にレーニン大通りが町を貫き、文化宮殿、ホテル、劇場などが軒を連ねている。かつては世界中の廃墟マニアの聖地だったらしいが、現在は老朽化が進んで危険なため、建物は立入禁止になっている。だからツアーで廃墟の内部に入るのは自己責任。市内の放射線量は0.2マイクロシーベルト/時と低いが、周辺にはホットスポットもある。
もうひとつは、キエフ市のチェルノブイリ博物館。事故当時の写真や文書、図面、使われた防護服などの資料や物。日本の博物館は中立的・客観的な展示をするところが多いが、ここでは子供たちの写真にロシア正教のイコンを組み合わせたりしてアート的な空間をつくり、見学者のエモーションに訴える展示方法が取られている。そのためか博物館は若者のデートスポットになっているという。
チェルノブイリが「観光化」するに当たっては、そうなる素地もあった。世界的な廃墟ブームのなかで密かにゾーンに入りこむ人間が後を絶たず、彼らは「ストーカー」と呼ばれた。それを背景に廃墟都市プリピャチを舞台にしたPC用ゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」が世界で200万本を売り上げるヒット作になり、若者がゾーンに興味を持つようになったのだ。そもそも「ストーカー」とはロシアのSF作家ストルガツキー兄弟が書いた作品の題名であり、アンドレイ・タルコフスキー監督によって映画化もされた。小説も映画も(僕は映画しか見ていないけど)チェルノブイリの事故を予見する黙示録的な作品だった。
日本だったら不謹慎と言われてしまいそうだけど、地元の人びとはこうした「観光化」を好意的に見ている。作家でチェルノブイリ観光プランナーのS・ミールヌイは「あのゲームのおかげで、チェルノブイリは若者にとって『楽しいもの』になった。…そして新しい世代がチェルノブイリに興味を持つきっかけとなったのです」とインタビューに答えている。ミールヌイはこのようにも言う。
「観光地化には三つの利点があります。第一に、観光の実現が事故処理において明確な目標として機能するということ。第二に、観光ツアーが科学的な知見に基づいてきちんと行われることは、放射能の危険に関する啓蒙手段として有効であるということ、第三に…地域復興のための経済効果も見込めるということ。観光といういっけん取るに足らないことが、放射能事故への対処法として絶対的な重要性を持ってくるのです。安全が確保され次第、事故現場は訪問可能な状態にするべきです」
もちろん福島はチェルノブイリとは違う。でも25年後の福島を考えるとき、事故から27年たったチェルノブイリの姿からたくさんのヒントをもらうことができる。
例えば現在、ウクライナ政府はゾーン内の土地を有効活用するために使用済核燃料貯蔵施設を建設中だという。ゾーンは日本で言えば5年以上居住できない「帰還困難区域」に相当する。より汚染度の低い「居住制限区域」ですら除染が一向に進まず、帰りたいという住民の意思が時とともに弱くなっていることを見ても、帰還困難区域が5年ですまない長期に渡って無人のままになる可能性は極めて高い。また仮に帰還できるにしても、人口や若者の比率はうんと低くなるだろうから、将来的に自治体を維持できる可能性は少ない。
帰還困難区域は7市町村にわたり、今も25,000人が避難している。区域内の大熊町、富岡町などが帰還までいわき市内に「仮の町」をつくるという構想はあるが、その「仮の町」すらいつ実現するのかメドも立っていない。この人びとを、いずれ帰れるからといつまで放っておくのか。帰還困難区域が将来にわたってどうなるかを冷静に見極め、この区域の住民が早急に生活設計を立てられるようすることは緊急の課題だと思う。
例えば汚染が特に激しい地域は国が土地と家屋を十分な対価で買い上げて住民が新たな生活を設計できるようにし、国有化した土地に中間貯蔵施設はじめ放射性物質・廃棄物を集中することは考えられないだろうか。またその周辺に廃炉や使用済核燃料を長期保存するための研究所を設置するなど、どう畳むかを考えなければならない原発の未来のためのセンターにすれば、「観光」の拠点ともなるのではないか。
そんなことも考えさせられた本だった。(雄)
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