書籍名 | 駄犬道中おかげ参り |
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著者名 | 土橋章宏 |
出版社 | 小学館(427p) |
発刊日 | 2016.09.14 |
希望小売価格 | 1,620円 |
書評日 | 2016.12.20 |
著者の土橋は「超高速 ! 参勤交代」で華々しくデビューの後、時代小説を得意ジャンルとして活躍している気鋭だ。「駄犬道中おかげ参り」は天保元年(一八三〇年)の「おかげ参り」が舞台となっている。この年「おかげ参り」の人数は二百五十万人を超えたといわれている。江戸からの道中は東海道を進み伊勢の四日市宿から分岐して松坂宿を経由して伊勢神宮に至るというルート。旅としては十五日から二十日程の旅だろうか。年端もいかぬ子供達が柄杓一本を持って旅が出来た。この柄杓をみると宿場の人々は伊勢への信心の旅人とわかり施し(路銀の寄進)をしてくれる。人数だけでなく、子供達の安全を担保する環境があったことに驚かされるばかりである。
江戸から伊勢までの旅物語に登場する人物は三人と一匹。まったく見ず知らずの彼らが、江戸を発ち、最初の品川宿、次の川崎宿の間でたまたま出会い共に旅をするというストーリー。
一人は辰五郎という男で、別の名を「土壇場の辰」と言われた博徒である。博打で大負けした或る日、死ぬしかないと、家に戻ってみるとたまたま長屋の伊勢講のくじ引きで辰五郎が当たっている。伊勢講は長屋に住む隣人たちがなけなしの金をこつこつ貯めた数両を持たせて、代表がお伊勢参りをして御札をもらってくるという仕組み。これ幸いとお伊勢まいりに旅立つものの、五十両の負けを踏み倒してただですむこともなく、道中は借金とりの「鉄砲洲の菊佐」という男に追われ続けることになる。
もう一人は、品川宿で道に迷っていた三吉というこましゃくれた子供。とある店の手代であるが、岡崎で行われる姉の結婚祝儀に出席するため、柄杓一本を持って「おかげ参り」の旅に出たもの。奉公に出されてからは両親から手紙一本もらったことがないという、姉だけが身寄りという身の上だ。
一匹は、辰五郎が品川神社で賽銭泥棒と間違えられ追われた時に出逢った犬。白い高野犬(紀州犬)で首にしめ縄が巻かれて、「お蔭参り候」・「翁丸」と書かれた札と巾着をぶら下げている。人懐っこいこの犬を「ワン公」と呼んで道連れとした。この犬、実は駄犬ではなく将軍家斉の大奥の大物「麗光院」の飼い犬で、麗光院は足が悪いための「代参り」として伊勢に向かっていたことが最後に明かされる。
この二人と一匹が野宿覚悟で川崎宿をうろうろしていると、六郷川の岸近くにポツント女がいて、履物を脱いで川に入って行く。三吉と辰五郎が川に入ってびしょぬれになりながら女を助け上げた。沙夜という名のその女は、鶴見のとある神社の神主に嫁いだものの二年経っても子供が出来ない。安産祈願の神社だけに、茶屋に連れて行かれ着物を脱がされて義父に身体を調べられ、挙句に「お前の苗床が腐っている」とまで言われて入水を決意したという身の上。「死ぬことは無い」という辰五郎の励ましもあり、お伊勢参りに同道することになる。縁もゆかりもないこの訳あり三人と一匹の道連れが疑似家族となって伊勢への旅が始まる。
何しろ、そう金のない三人の旅。打ち出の小づちといっても柄杓ではそんなお金を施してもらえるわけではない。時折、辰五郎が得意とする「がまの油売り」によって糊口をしのぐことも度々。一回の「ガマの油」の大道芸で売り上げは六百文前後のようだから、三人家族が一泊出来る金額を手にするぐらいのもの。そんな日々の金銭的な視点からも時代の風景が見えてくるのも本書の楽しみ方の一つだと思う。
宿場の名物食べ物や名所が描かれているのは、十返舎一九の東海道中膝栗毛などの道中物と同様の趣向。川崎の奈良茶飯、安倍川餅、四日市の長餅を始めとして多くの物を紹介しているが、それらは今も旧東海道沿いに店があり、宿場散策の際に楽しむことが出来るものが多い。
当時と現在の東海道歩きに決定的な違いがあるとすると、川の渡しと関所だろう。この小説では、大井川の渡しでは将軍の伊勢参りと重なり川止めを食らって島田宿に逗留したとある。増水でも川止めが発生するなど旅人としては旅程が変動するリスク要素であった。現代の旧東海道を歩いても川を渡る手段は全て橋が整備されていて歩き旅の支障になることはない。また、旧街道にある関所は今となっては歴史的建造物として箱根も荒井も見学ができる。この小説でも浜名湖の口にある荒井の関所での出女に対するチェック「女改(おんなあらため)」の厳しさが描かれている。
人見女という女性専門の検閲人によって「女改」が行なわれるのだが、人見女がまず女性の髪を梳かして毛先を見る。もし毛先が切り揃えられていれば、それは武家の女性にのみ許されていることなので出女を見張っている関所の更なる厳しい詮議が待っている。旅の女は上半身裸にされるとケガの跡や痣などの特徴を往来手形の記述と照らし合わせて詳細に記録される。大名の子女などはこうした「女改」を嫌い荒井の関所を避けて姫街道と呼ばれる迂回路を通ることもあり、現在もその道は残っている。沙夜はこうした人見女の詮議に対して義父から受けた確認を思い出し耐えられなくなったところを翁丸が人見女にかみついて大騒ぎとなった混乱の中、無事通過してきた。
岡崎宿で姉の祝言を無事に終えた三吉は、両親の行方は判らなかったものの叔母に巡り合い、引き取られることになる。金持ちでなんの不自由もない生活なのだが人とのふれ合いが表面的で三吉にしてみると、どう考えてもこれが望む生活ではないし、我が家ではないという思いが抑えきれない。その日の夕暮れに家を飛び出して二人と翁丸を追う。いくつもの事件や困難に遭遇しながらこの疑似家族はお互い助けたり、助けられたりしながら、本音でぶつかり合い、励まし合いながら続けた旅である。まさに遠い親戚より近くの他人。わずか十日間ほどの旅であったが、生まれて初めて人情が芽生えたのは三吉だけでなく、辰五郎も同様だった。
三吉は追い求めていた辰五郎達一行を伊勢宿で見つける。ちょうど将軍家斉の参拝行列が通る直前を突っ切って飛び出していく。護衛の武士達は色めき立つ、それを見て辰五郎と沙夜は手打ち覚悟で「私たちの子供です」と叫びながら三吉を助けに行く。もう、三人と一匹は本当の家族を越えた絆で結ばれている。
彼らが無事、「おかげ参り」を達成してしまった虚脱感に襲われて、思案していると、ふと翁丸の札の裏が目に入る「この犬は伊勢に参拝する代参犬なり。伊勢に参りし後は、金比羅に両参りして上様の息災を祈願するものなり。麗光院」とある。
「よし、お札やお守りなんかは江戸に飛脚で送りゃいいし、俺も金比羅参りに行くか」
「私、辰五郎さんについていきます。どこへでも」沙夜がしっかり辰五郎を見つめていった。
「おいらも行こうかな。沙夜さんが心配だし」
「よし、じゃあ三人家族でもうひと旅、行くか」辰五郎が陽気に言った。
「父ちゃん、翁丸を入れて四人家族だよ」
「五人になるかもしれませんよ」沙夜が微笑んで、お腹に手を当てた。
この物語は、「東海道中膝栗毛」が男二人連れの話であるのとは違って、多くの人情話が組み合わされているのが特徴だろう。犬・博徒・身寄りのない子供・入水を覚悟した女というバラバラの三人と一匹がチョットしたきっかけで一緒に旅をすることになり、最後は家族として旅を続けるという組み合わせは各々の特徴を発揮させたエピソードをつくる最強の数なのかもしれない。
思えば、西遊記も四人だし、桃太郎も四人で作り上げる物語だと思い当たる。また、作中の「語り」のやり取りが持つリズム感は、落語にも、脚本にも転換できるようなストーリー展開と状況描写において著者の力量が発揮されている。同時に、この小説から東海道中の魅力を見出していくというのが普通の読み方なのだろうが、個人的には旧東海道を日本橋から京都まで歩いた経験から、描写されている道筋や町並み、そして名物等を思い出しながらの懐かしい読書でもあった。 (内池正名)
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