鳥獣戯画研究の最前線【土屋貴裕】

鳥獣戯画研究の最前線


書籍名 鳥獣戯画研究の最前線
著者名 土屋貴裕 著・編
出版社 東京美術(272p)
発刊日 2022.04.30
希望小売価格 3,300円
書評日 2023.02.15
鳥獣戯画研究の最前線

平成の「鳥獣戯画」修復プロジェクトが2009年から2013年まで行われ、そこで得られた新たな知見を踏まえて、令和3年(2021)4月に東京国立博物館「特別展 鳥獣戯画のすべて」が開催された。本書はこの期間中に開催された講座の記録である。この講座の特徴は多様な発表者(12名)が登場し、各々の研究視点から「鳥獣戯画」を掘り下げて行くというところにある。日本中世絵画史、仏教絵画史、東洋仏教絵画史、古代絵画史、彫刻史、工芸史、日本語史など分野とともに、東京国立博物館、京都国立博物館、各大学、宮内庁などからの研究者が集った。まさに、「鳥獣戯画」を立体的に語り尽くそうというイベントだった。しかし、コロナ禍で参加人数が160名に限定されたことから、この講座とパネルディスカッションの内容を文書化して広く伝えようと企画されたものだ。

そもそも国宝「鳥獣戯画」は謎だらけの絵巻であり、制作を裏付ける史料もなければ、通常絵巻にある詞書もない。作品の背景情報が殆どないという異例の作品。加えて、描写技法として墨の線だけで描く白描画であることも他の絵巻と大きく異なっている。こうしたことが今まで多くの論文が書かれて来たものの万人が納得する結論に至っていない原因なのだろう。一方、私は子供の頃から「鳥獣戯画」は好きな作品で、猿、兎、蛙、狐といった動物達の人間的動きの描写の面白さに目を奪われて、あまり美学や歴史的な視点で考えたことはなく、「鳥獣戯画」といえば「鳥羽僧正」「高山寺」といった教科書的キーワードでしかないというのが正直なところ。

本書では、平成の「鳥獣戯画修理」での知見として、各巻で使われている紙(料紙)の特徴から、制作時期や製作者に対する推定に多くのヒントがあることが示唆されているとともに、花押、各巻紙下の墨書、新たに確認された五種類の「高山寺」印などの新たな知見が紹介されている。このようにまた、表現様式からの制作背景の分析、唐画・宋画といった中国絵画の受容、絵巻物としての場面展開の妙味、高山寺と明恵上人、欧米が見た「鳥獣戯画」の印象など今までも議論されて来た全般的な「鳥獣戯画」論を含めその視点は広い。

紙質の問題として、格の高い物語絵巻や社寺縁起絵などは通常、打紙・雲母(きら)引きといった加工して平滑な料紙が使われている。これに対して「鳥獣戯画」で使われている杉原紙(すいばらがみ)は墨の滲みなどが生じるので絵巻には使われず、寺院の文書等で使われていたもの。甲巻では前半と後半とで若干の紙質の違いが有るものの、同じ杉原紙であり 、乙巻と甲巻後半の紙質は共通していることが判明した。甲巻は動物描写の視点の違い、動物配置の密・疎の違いなどから、かっては二巻構造という見方が強かった。また、丙巻の前半は人物戯画、後半には動物戯画が描かれていて、今までは別の絵巻と考えられていた。今回の調査の結果、丙巻は、紙の表裏に描かれたいたものを「相剥ぎ」と言われる技法で薄く表裏を二枚に分離したと判明した。この様に、甲巻の前後と乙巻は、総じて「お寺に於ける文書や聖教料紙として用いられた範疇の紙」であり、描かれた環境やその時代にあまり大きな隔たりは無いという見方が強くなった様だ。

こうした知見を前提にして、四巻の内で丙巻が一番古く12世紀第3四半期、甲・乙巻が12世紀第4四半期、丁巻が13世紀とされる等の年代観の議論に加えて、宮廷絵師説や絵仏師説といった製作者の議論も各種の論拠を提示しながら語られている。

しかし、紙質から寺院との関係が認められてきたことともに、「鳥獣戯画」が類書・往来物・物尽くしの特徴を持つことで、寺院で「子ども達」の初等教育用の書として使われて来たという説が紹介されていて、作者が鳥羽僧正ではないにしても絵仏師の余技ではなく、目的を持った作品という見方に共感を覚えるのは私だけではないだろう。

描かれている筆線からの分析も重要な点として指摘されている。宮廷絵師が描いて来た白描画の線は起筆や払いを無くして、太さも一定、個性を出さないといった、制限の中で表現するとされている。統制された画面で構築する精度の高さ、入念な構成が宮廷絵師の本領と言われている。しかし、「鳥獣戯画」をみると、その描線は抑制や制限にとらわれない自由奔放な動物や人物の姿が「鳥獣戯画」の妙味であり、その筆線は大きく異なる。

また、甲・乙巻の絵柄と正倉院の屏風絵や中国絵画との関係も面白い研究である。奈良・平安前期の美術は唐代芸術にならい同じ物を作ろうとする態度が強かったという。これに対し、平安後期では宋代画の図案を取り入れつつも日本独自の工芸技法や表現で受け止めていると言われている。唐代の鳥獣はポージングをした表現であり、宋代では鳥獣の動作の一瞬を捉えた図柄で描かれていると、唐代と宋代の絵画表現の違いを説明している。それは「自然を捉える視力が向上し、あたかもシャッター・スピードや画素数の進化を想起させる」という指摘も面白く、そう考えると「鳥獣戯画」は動物の動きは宋画を受け止めつつ、筆法は唐画の特徴を残しているというハイブリッド観が見て取れる。 

「鳥獣戯画」が海外へ日本文化の象徴として紹介されて来た歴史もまとめられている。明治33年(1900)のパリ万博で「日本古美術展」と題して、出展作品の一つとして「鳥獣戯画」を出品している。この時点以前に浮世絵や漆工芸は既に欧州に持ち込まれ、ジャポニズムと呼ばれ日本趣味は大流行していた。この流行に対してより「正当な美術」を紹介しようと、御物のみならず、社寺や個人所有の優品を出展することとし、パリ万博には丙巻が展示された可能性が高いと言われている。その後、1910年の日英博覧会、1936年の「ボストン日本古美術展」などに展示され、戦後は1953年に「米国巡回日本語美術展」が五都市で開催され43万人を集めたという。この美術展のポスターは「鳥獣戯画」甲巻が使われ、まさに美術展の顔となった。「西洋では19世紀になってようやく『不思議な国のアリス』で表現されたような動物達のユーモラスな姿が描かれている」と注目されるとともに、「線の確かさや、表現の巧みさに日本独自の表現が見られる」と評価されている。日本人が見て面白い「絵画」が他文化の人々が見ても面白いと思える共通性は決して「鳥獣戯画」の動物達が日本文化に裏打ちされた行動を取っているといった深読みすることもなく、動物達の人間的動きとその描写に惹かれるという事だろう。

それにしても、高山寺収納の文化財の多さに、今更ながらに驚かされる。高山寺に国宝8件、重要文化財52件が所有されているが、これだけの指定文化財を保有している場所は京都でもほとんどない。山奥にある小さな寺になぜこれほどのものが集積されたのか。この寺の開祖である明恵上人(1173~1232)は戒を守り、修行して、学問することを生涯かけて追求したという。この学問重視の姿勢を基に、最新本を宋から輸入したり、皇室や貴族との有力者といった集書をサポートするパトロンがいたことで、明恵を核にした一つの文化圏が形成されていた。結果、その所蔵は15,000点と聞くとまさに巨大図書館である。それらを時代を超えて保全されてきたのは、単なる偶然ではなく各時代で保全管理してきた努力が根底にあると思う。そしてパネルディスカッションでは文化財の保全に関する議論があり、保全・修理には国からの補助金が出ているものの、それでも所有者の負担は大きいという。今回の平成の修理には朝日新聞文化財団がコストを全て負担していると聞いて、各企業の協力によって文化が支えられていることにも気付かされた。

また、「鳥獣戯画」を宮廷絵師が描き天皇や公家が鑑賞した「作品」とみるのか、寺の内部で私的に鑑賞された絵師たちの「余技」とみるかという論点もあるようだが、永く「鳥獣戯画」に関する物的な情報の少なさが原因となり、多くの見解が存在していた。それだけに、作品を鑑賞する我々の「印象」や「思い」が「鳥獣戯画」という「作品」をどう理解するのかの重要な分岐点となっていたのだろう。さて、平成の修理の結果に基づいて、研究者たちが科学的視点からどんな分析をして行くのか楽しみなところである。ただ、私にとっての「鳥獣戯画」は永遠に楽しい画であることに変わりはない。(内池正名)

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