立ちそばガール! 【イトウエルマ】

立ちそばガール!


書籍名 立ちそばガール!
著者名 イトウエルマ
出版社 講談社(224p)
発刊日 2014.05.21
希望小売価格 1,296円
書評日 2014.09.11
立ちそばガール!

本書は、日経ビジネス誌のインターネット配信サービスである日経ビジネスオンライン(NBO)に連載されていた、都内の「立ち蕎麦店」食べ歩きのエッセイ「ワンコイン・ブルース」を書籍化したものである。本書を手にしたとき、青・壮年の男性会社員がNBOの利用者層の殆どを占めるとすると、「立そば」と「女性」という二つのキー・ワードがその読者層にプラスに作用するとは考えにくいと直感的に思った。「蕎麦」といえば評者を含めて、世のおじさん達の得意領域であり、とめどなく薀蓄を語りたがるものだし、ましてや蕎麦屋で遭遇する女性客が運ばれて来た蕎麦に手を付けるでもなくおしゃべりをしていたりする姿に、蕎麦屋の親父に成り代わって「早く食え」と言いそうになった経験は一度や二度ではない。また、立そばのイメージについても半世紀前の駅そばのイメージが強く、単に「早いのが取り柄」と見てしまうこともあって、やや斜に構えての読書スタートとなった。

本書では、14店の都内「立ちそば店」が取り上げられている。NBO連載時は覆面取材で気兼ねなく原稿を書くためという理由で店名を伏せていたようだが、本書では実名を記載している。食べ物屋のルポなのだから実名が当然であろう。各店の特徴・売りのメニュー、店の内装などが細かく記述されていることに加え、著者はイラストレーターとしても活躍しているだけに、各ページに配されたイラストも精緻で「立そば」各店の特徴を描いていて、昔とは様変わりという言葉がけして大げさでないことが良くわかる。「蕎麦屋」というひと括りで「老舗」から「立そば」までを語ることに無理がありそうで、「蕎麦屋」とは違うジャンルの食文化であり、ビジネス・モデルが登場してきているという実態が見えてくるようだ。

ただ、蕎麦切の始まりはあきらかに「ファスト・フード」として江戸の職人たちに愛されたものだが、徐々に店を構え営々と商売を続けて、今や100年を超える老舗をはじめとして多くの蕎麦屋が美味い蕎麦を提供し、酒肴も供する食事処に変貌してきた。そして本来のファスト・フード機能は「立そば店」が担っているという図式だろう。これは寿司屋業界でも同様で、江戸の握りずし屋のファスト・フード機能は現在回転ずしが担っていると言ってよい。食ビジネスの歴史的変化の一断面を見ているということだ。

著者自身も蕎麦打ちを始めて八年とのことで、蕎麦に対する興味や知識は人一倍ある女性。それだけに、「立そば店」で供される蕎麦の本格性についての描写や、出汁・鰹節・醤油といった蕎麦を支える素材の話等、そばの周辺領域についても語られているので蕎麦の入門書という読み方もあるだろう。
もうひとつ、チェーン店の代表として「小諸そば」の会社訪問ルポが加えられていて、役員との対談から見えてくる「立そばビジネス論」は興味深く読んだ。

「小諸そば」の出店は昭和49年中央区京橋からとのことであるが、コンセプトは「駅そばではなく、オフィスで働く人たちに安くて本物のそばを食べてほしい」と紹介されている。最初から町の「蕎麦屋」との競合を想定していないということだ。そして、来店の中心は30代から50代、店舗は平均20坪、一人当たり売上350~400円、客滞在時間5~10分という基本数字が経営の管理数値として挙げられている。

ポイントは早くそばを客に提供することに尽きるようだ。時間短縮は動線の短縮に代表される自然な努力の積み上げが主であり、特別なテクニックや工夫があるわけではないが、あえて言うと釜は業者の出来合いのものは使わずオリジナルで作っているとのこと。そば投入による湯温低下を元の湯温に戻す時間を半分に短縮するまで改善していると言っているが、これは評者が食育のボランティアで大量の蕎麦を提供する機会が時々あるのだが、まさにネックは釜というか茹でるプロセスにあり、一定温度を保ちつつ茹で続けることの難しさは良く判る。そうか火力だけでなく、釜が違うのかと納得するのだ。

また売上構成の状況をこう説明している。
「以前はセット物の比率は4割くらいあったが、徐々に低下して現在は3割弱とのことである。お蕎麦で腹がいっぱいになるのであれば、そばでというお客様が増えた」という。

それはコスト・パフォーマンスに客が敏感という見方もあるだろうし、そもそも昼飯に使うお金を絞っているという現実の方が大きいように思えてならないのだが。もり230円、二枚もり290円、に対してカツ丼セット690円、天丼セット590円というワン・コインを超えたセット価格から需要はそばに流れるとともに、他ファスト・フード業界との競争が常に価格と商品に影響を与えていると思われ、日々の戦いの中で戦略は研ぎ澄まされているのだろうと想像される。

著者自身が「モタモタ女子」と称して気にしている女性客の滞在時間についてのやりとりは評者にとっては納得感のある展開である。「14・5年前くらいまでは昼に女性が来ると、終わった!というのが店の感覚。満席になっても動かない、滞在時間は3倍違った。・・・それでも、いまでは20代の女性は早いです。男性と変わりません」

その女性客の比率も10年前の1割に比較して、現在は2~3割が女性客となると、ビジネス・モデルの観点からももう無視できない数字になっているとのこと。3割とは驚きの数字である。

第三のポイントは、「立そば」初心者としての著者が体感した「立そば店のシステム」の紹介であり、評者からすると想定外の部分や、女性特有の感性を理解することが出来る面白さがあった。例えば、券売機のボタンの多様さに戸惑うとか、荷物を置く場所がない(自分の膝と腕が頼り)、カウンターが高い等。身体的特性や普段の荷物の多さなどに加えて、「立そば」と「女性」の間に存在する最大のギャップとは「決断力」と「自己責任」というのが著者の指摘である。

「今回知ったこと、立そば店ではことある毎に決断のポイントがやってくる。悩む猶予はない。トッピングなどの選択が多い店では、そこでの判断が後の食仕方を大きく左右している。・・・女子のお昼にこんな緊張、強いられることありません。なぜなら我々がいるのは美味しい提案がいつでも向こうからやってくるのが当然の世界。・・・われわれ女子が食事に払っていたもの。お店のムードや盛り付け、ゆったりとした時間もそうだけど、主体性の代わりに用意された安全と安心もその一つだった」

なるほど、女性にとって食事とは「食物摂取」という本来の目的以上に「金」を払う「目的」が存在しているのだと痛感する。一方、同行取材していたNBOのY氏の言葉が男にとっての「立そば」の位置づけを端的に表現している。

「男にとって、立そば屋のポジションは仕事と食事の間にある」
この言葉はファスト・フードの特徴を端的に示すとともに、「立そば」の宿命的なものを暗示している。仕事の間の一瞬に存在する「立そば」は、ゆったりと時間の流れるLunchの対象としてはそぐわないということだ。

しかし、こうした女性に対する逆風が強い中でも、著者は決して背伸びせずに、「女」であることを素直に出して文章にしているところが本書の特徴であるし、成功要因である。逆に言えば男目線からはとても思いつかない感覚がそこにはある。単なる食レポではなく、「立ちそば」のビジネス的視点に立って、徐々に増加している女性客に対するビジネス拡大のヒントも多数内在していると感じながら読了した。(正)

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