太平洋戦争の収支決算報告【青山 誠】

太平洋戦争の収支決算報告


書籍名 太平洋戦争の収支決算報告
著者名 青山 誠
出版社 彩図社(224p)
発刊日 2020.07.27
希望小売価格 2,608円
書評日 2020.09.18
太平洋戦争の収支決算報告

昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾から75年。新聞やテレビで75年という数字が飛び交っている。そして今更ながら、73才である自分が終戦から2年弱で生まれたという実感とともに、その混乱の時代に働き、家庭を守り、二人の子育てをした両親の苦労に今更ながらに思いを馳せるばかり。同様の苦労は多くの戦前・戦中派の国民が体感したものだろうが、そうした自らの戦争体験を語り継げる世代は減少し、戦後育ちの国民しかいなくなる時代もそう遠くないのだろう。

15年戦争と言われる時代を俯瞰すると、昭和6年の奉天郊外で発生した「満州事変」、昭和12年の北京郊外の盧溝橋事件に端を発する「支那事変」から日中全面戦争に突入して行く。こうして欧米諸国との関係も悪化し日本の孤立化は進み、国内では仮想敵国としてアメリカの脅威を煽る中で、昭和16年に太平洋戦争が始まる。滅亡を覚悟して国力の限界をはるかに超えて投入され続けた金・物資・人命等、この戦争で途方もない消耗があった。本書のタイトルが「収支決算報告」とある通り、太平洋戦争で投下された戦費、失った物的・人的資産、そして賠償という視点でまとめられている。そこには、主義についての議論はなく純粋に数字から太平洋戦争とは何だったのかを問い掛けている。その一つとして、戦後の軍事恩給の支給対象者数の推移と支給総額を見るにつけ、国民にとっての「戦争の意味」と「国家負担額の膨大さ」という異なった視点をそこから読み取ることが出来る。

昭和15年に近衛内閣は「東亜共栄圏」と名付けた政策を打ち出し、欧米列強の植民地支配からアジアを解放するという理念のもと、アジア各国の協調を呼びかけた。一方、アジア各国への日本の資本投資額は我が国の経済力の限界もあり、石油資源国の蘭印では欧米・中国からの総投資23億ドルの中で日本の投資額は1%以下であり、中国の1/10でしかない。石油の確保の為、開戦前に必至で交渉を続けていた蘭印に対しても、経済的な手段による権益確保という戦略が取られていないという意図のちぐはぐさが見える。また、戦前の日本の石油はアメリカに80%依存していたが、そのアメリカを仮想敵国としながら昭和16年の禁輸までは備蓄用石油をアメリカから買っていたという矛盾も見えてくる。

そして、開戦時の国力を列強と比較すると、日本のポジションはアメリカとの比較でGDPベースは1/5、工業生産高は1/10であった。こうした数字を見るにつけても開戦を決定するプロセスで客観的な分析を示した官僚なり軍参謀は居なかったのか、と考えるのは当事者でない現代人の気楽さなのだろうか。

まず、本書での「戦費」の部分を概括すると、支那事変(昭和12年)から終戦(昭和20年)までの8年間で総額7559億円の軍事費が使われたという。この間、毎年GDPの25%以上、昭和20年には60%が軍事費として支出されており、GDPの1%の軍事支出で済んでいる現代と比較すると戦時の厳しさが判ってくる。この7559億円という数字を現在の貨幣価値で理解するために、大卒初任給の昭和16年(1941年)と現在を比較すると2500倍となるので、この比率で見ると太平洋戦争軍事費の7559億円は現在価値では1,889兆円となり、2019年のGDP553兆円の3.4倍となる。本書でも色々な金額が示されるのだが、消費者物価指数であったり、GDP比であったりして理解が難しいところもあったので、私は大体2500倍程度として現在価値を理解することにして読み進んだ。

各論としては軍隊編成のための人件費が語られている。当時陸軍550万人、海軍240万人という国民の10%が兵役についていたが、例えば、二等兵は月額6円の支給であった。食事や衣服は全て無償支給されていたとはいえ、当時、軍需工場に動員された女学生は月額30円を手にしていたと聞くとそのギャップに驚くばかり。兵役は義務なので、軍からの支給金額に不満で兵役を拒否することは出来ない。軍馬34万頭、軍用犬1万頭の食管理費などと比較して、馬の方が二等兵より待遇が良さそうに見えたりするのも辛い所である。

兵器については、兵力としての能力や威力を考えたことはあるがコストを考えたことは無く、新たな発見もあった。銃・戦車・航空機・戦艦といったコストが示されているのだが、零戦は開発当初は一機5万円だったが、エンジン性能や防護機能を向上につれ末期には10万円になっていたという。現在価格でみると一機1億円から2億円。この零戦を1万7千機製造している。加えて飛行場の建設、搭乗員の訓練、整備費用、燃料代などが積みあがっていくことを考えると航空戦力の確保のコストも膨大なものになることが判る。海軍でみると、昭和12年から6ヶ年計画で大和型を含めて66隻の軍艦が建造されているが、大和型でいえば単価1億4千万円(現在価値は3400億円)。高いのか安いのか判断できないが、自衛隊の最大艦「いずも」のコストを調べてみたが、大和の1/3の排水量で1200億円と言われていることを考えると、いつの時代も軍艦とは高価なものであるらしい。

開戦の重要なトリガーであった石油の視点で考えると、すべての軍事費7559億円をつぎ込んで、蘭印の石油、年間1000万キロリットル(2億7千万円)の確保を目指したと言う収支の戦いだったというなんとも虚しいバランスが明らかになる。

次のテーマである「損失」を概括すると、終戦直後の帝国議会で東久邇首相は、太平洋戦争での戦没者を軍人46万7千人、民間人24万1千人の計70万8千人と報告している。しかし、現在の戦没者の数字は昭和52年の政府報告による、軍人230万人、民間人80万人の計310万人と言われている。時間の経過で判明して行く戦没者が戦後30年間続いていたという事か。

軍備の損失については、海軍艦艇は80%を失い全滅状態。航空機は本土決戦用に5000機が温存されていたが廃棄。生産力で見ると石油精製施設の58%、火力発電所の30%、産業施設の50%を喪失している。まさに日本の全産業が壊滅状態だった。

日本は敗戦によって日清・日露の戦争で獲得したすべての植民地を失い、国土は67万5千㎢から37万8千㎢に減少した。敗戦国である日本は国・企業・個人の、台湾では、日本の資産総額は425億円(現在価値8.5兆円)。朝鮮半島では、戦後GHQ・日本銀行・大蔵省の共同チームが調査し日本の総資産は891億円(現在価値17兆円)。満州では資産総額は1465億円(現在価値で30兆円)という膨大なものである。その他南樺太、中国本土などでも膨大な日本の公私の資産が存在していた。昭和26年に講和条約が日本と連合国48ヶ国の間で調印されたことで、連合国の占領統治が終ると同時に日清・日露戦争で得たすべての植民地と日本の対外資産3794億円(現在価値75兆円)を放棄することと引き換えに連合国の多くが戦時賠償請求権を放棄した。

この講和会議に参加していない中華民国、中華人民共和国、韓国臨時政府などが個別の条約を締結して行くことになる。昭和27年に中華民国との平和条約を締結して賠償放棄。昭和40年に韓国と日韓基本条約締結し、日本が2880億円の経済協力金の提供し、韓国が賠償請求権を放棄した。昭和47年に中華人民共和国と日中平和条約締結し賠償請求権放棄に対して日本はODAで以降40年間に3兆6500億円が拠出されている。

自国民に対しての賠償は軍人恩給・戦傷者恩給の形で行われた。私は恩給を数字として捉える機会が無かったので、個々の手厚さとともに支給総額については考えさせられる点が多かった。恩給の受給対象者は830万人、昭和27年の制度創設から現在までの支給総額は50兆円を超えている。これは他国への賠償金総額よりも大きな負担であるし、現在の国民年金よりも手厚く、戦後日本に存在したことになる。そして、中国に対するODAの額も違和感は残る。何故という問いに対して著者は「昭和20年の東久邇稔彦首相の一億総懺悔発言が、手厚い軍人恩給や経済大国となった中華人民共和国にODAを与え続けると言う矛盾の原点になっていたのではないか」と述べている。

軍事費を調達するために、不足分は膨大な戦時国債によって賄われていった。国民はなけなしの金で国債や公債を買っていった。しかし、終戦後の昭和21年に財産税法が制定され国民が国内に所有していた財産全て(不動産・預金・株券・戦時国債)対して25%~90%の高率な税を課した上に、インフレが進み昭和24年の物価指数は昭和12年の約220倍となった。この二つの要素で日本国政府は債務整理を実施したことになる。要すれば、太平洋戦争に勝とうが負けようが国民はその財産を奪われたと言える。今私の手元に「大東亜戦争割引国債債権・参拾円」が一枚残っている。父が残した本に挟まっていたのだと思うが、発行日が昭和18年、償還日は昭和28年とある。ハイパーインフレの中では戦時国債も本の栞がわりに使われたと言ったところだろうか。そして振り返れば、現在のコロナとの戦いの財政資金の使い方やその決断を冷静に考える必要性もあるのだろう、というのが読後感である。「アベノマスク」を曽孫が見つけてこれは何?と思うようなものか。(内池正名)

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