書籍名 | 帝国の慰安婦 |
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著者名 | 朴 裕河 |
出版社 | 朝日新聞出版(336p) |
発刊日 | 2014.11.30 |
希望小売価格 | 2,268円 |
書評日 | 2015.02.17 |
従軍慰安婦問題と呼ばれるものについて、朝日新聞の記事取り消しにつづく一連の出来事も含め新聞やテレビ、雑誌で報道される以上のことを読んだり見たりしたことはなかった。
一方に数十年来頑なに公式謝罪と賠償を求める運動があり(今ではそれが韓国の国家方針になった)、他方に「慰安婦は売春婦にすぎない」といった論調がウェブにあふれ、そのどちらにも違和感しか覚えなかったから。たとえ軍による強制連行がなかったにしても慰安所と呼ばれるものに軍が陰に陽に関与していたのが明らかな以上、軍隊が慰安婦を連れて戦争していたという事態はそれだけで恥ずかしい。その程度のことしか考えていなかった。
この本を読んでみようと思ったのは、双方の当事者とは別の立場からこの問題の根元を慰安婦の証言にまでさかのぼって、しかも韓国人の視点から考えようとする姿勢に興味を持ったからだ。つけくわえると、本書は日本語で書かれた日本版だが韓国版は元慰安婦の名誉を傷つけたとして著者が告訴されている。
朴裕河は、序文でこう言っている。「本書で試みたのは、『朝鮮人慰安婦』として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした」。彼女はこの本で、韓国で刊行された元慰安婦の証言集や、自らの聞き取り、日本の学者の研究、田村泰次郎や古山高麗雄の小説まで渉猟して、慰安婦がどういう存在でどんな役割を負わされていたのかを考えている。
そこで分かってきたのは、「(証言を)聞く者たちは、……慰安婦たちの〈記憶〉を取捨選択してきた」ということだ。いま韓国の支援者団体によってソウルやアメリカ各地に建てられている慰安婦の像はチマチョゴリを来た少女で、それは「強制連行された20万人の少女」という韓国で流布する通説に裏打ちされている。
この無垢な少女というイメージができあがる過程を、著者はいろんな証言を引用しながら追っている。大日本帝国による挺身隊への勤労動員が慰安婦と誤解されたことや、日本人だけでなく朝鮮人(注・著者の表記をそのまま使う)の業者が介在していたこと、朝鮮人警官や村の有力者が協力したケースもあること、十代の少女は少数で二十代の女性が多かったこと、接待婦・妓生もいたこと、父親によって売られた女性、家父長的な村から排斥された女性もいたことなど、ひとりひとりのさまざまな事情を記憶から追いやって、「〈まったき被害者〉」として純潔と抵抗のイメージを持った聖少女という〈公的記憶〉がつくられていった。
いわば「見たいものしか見ない」という意識(無意識)に、戦後の韓国が民族として囚われていたということだろう。他方、こちらの国での「慰安婦は売春婦」といった言説や、「侵略の定義は定まっていない」とか、新首相談話から「植民地」や「侵略」といった言葉を外そうとする姿勢は、「見たくないものをなかったことにしたい」欲望に貫かれているように見える。どちらも記憶の改変ということでは同じ根をもっている。それはこの問題が、植民地と戦争を生身で体験した世代が両国で少数派になった1990年代に激化したこととも関係しているだろう。
著者は言う。「『朝鮮人慰安婦』とは、……抵抗したが屈服し協力した植民地の悲しみと屈辱を、身体で経験した存在である。日本が主体となった戦争に連れていかれ、軍が行く先々に『連れていかれた』『奴隷』でありながら、同時に彼らの無事を祈っていた同志でもあった。着物を着て日本の髪型をしたたおやかな『やまとなでしこ』として、日本軍朝鮮兵と同じく、植民地の矛盾を文字通り身体全体で生きた存在である」
それが抵抗と純潔の聖少女という〈公的記憶〉に改変されたのは、誰もがアイデンティティーを引き裂かれ、時に日本への協力者として生きざるをえなかった植民地の経験を忘却したいからだった。「(慰安婦像は)解放後六○年もの歳月が流れても、一度も、総体的な〈植民地朝鮮〉を自ら抱きとめることで、汚辱の時代を乗り越えようとはしなかった歳月の象徴なのだ」
朴は「悲しみ」という言葉を何度か使っている。慰安婦ではないが、勤労挺身隊には朝鮮人女性の志願が相次いだ。「強制」なら被害者でいられるが、「非国民にならないための〈自発の自己強制〉というべき事態」は植民地であることの「悲しみ」としか表現しようがない。日本の作家たちは、植民地の朝鮮人が登場する小説の中でそういう「悲しみ」を掬ってみせていた。
むろんそういう記憶の改変があるからといって、日本と日本軍の責任が軽くなるわけでもない。たとえ彼女たちが無垢な少女でなく、強制されたのでもなく、朝鮮人の業者や警官が介在していたとしても、「朝鮮人女性が『日本軍慰安婦』になったことが植民地に帝国権力がもたらした結果である以上、彼女たちの苦痛の責任が『大日本帝国』にある」のは確かだからだ。それを朴は、慰安婦を騙したり法を犯した日本人・朝鮮人の「直接の責任」と別に「構造的な責任」と呼んでいる。
「構造的な責任」を現在の法体系のなかでどう問うかはむずかしい問題だけれど、ほんとうは法律の議論よりもっと重大な、歴史に対する国家の責任と言っていいものだろう。
この問題が日韓で燃え上がった1993年、日本政府は「河野談話」を発表し、半官半民の基金をつくって元従軍慰安婦に償い金を出した。元慰安婦のなかには、この謝罪を受け入れ償い金を受け取った人もいれば、受け入れずに今も公的謝罪と補償を求めている人もいる。いずれにしても彼女らは高齢になり、このまま〈記憶の争い〉がつづけば「朝鮮の最も貧困で貧しい娘として日本軍の欲求処理の手段にならざるを得なかった彼女らが〈死ぬまで〉苦痛を受けることになる」。著者は、それだけはなんとしても避けたいと言い、そのためには双方が記憶の歪曲から離れ、「見たくないもの」として捨て去ったさまざまな声に耳を傾けることが大切だと説く。
この本は本来韓国人読者に向けて書かれている。だから韓国の支援運動がいかに「ノイズ」を排除して〈公的記憶〉をつくりあげたかにページが割かれ、その「異議申し立て」に韓国で非難が殺到したという。彼女はそうした姿勢の一方で、日本政府の戦後処理に対しては意外と言えるほどの理解を示している。また当時の自民党や官僚を含め国として「合意」をつくりあげた「河野談話」「村山談話」の精神を評価している。
著者はこう言っている。「加害者に望まれているのは、まずは『悪かった』の一言であるはずだ」と。それは「旧日本軍だけの問題ではない」といった言い訳や、「日韓条約で処理済み」といった法律議論とは別の次元のこととして求められている。まずは歴史をきちんと見つめ、事実を事実として認めること。それが戦後生まれである僕たちの「責任」だろう。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と語った元ドイツ大統領ワイツゼッカーの死去が報じられた。この言葉を胸に刻みたい。と同時に、この演説でワイツゼッカーはまずユダヤ人の死者を悼み、次いでソ連とポーランドの死者を悼み、それから自国の死者を悼んでいる。こういう他者への優しさに満ちた作法にも学びたい。(山崎幸雄)
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