書籍名 | 天使と罪の街 |
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著者名 | マイクル・コナリー |
出版社 | 講談社文庫(各342p) |
発刊日 | 2006.8.11 |
希望小売価格 | 各648円+税(上下各) |
書評日等 | - |
10年以上前に初めてマイクル・コナリーの処女作「ナイトホークス」を読んだとき、一周遅れのランナーみたいなネオ・ハードボイルドだね、という印象を持った。
1970~80年代に盛んだったネオ・ハードボイルドはアメリカのベトナム戦争とカウンター・カルチャーを背景にして、ベトナム帰りの探偵やヒッピー探偵を主人公に、かつてのフィリップ・マーロウやリュウ・アーチャーのようなタフガイではなく、心に傷を負ったり肺ガンの不安におののいたりする等身大の人間たちが織りなすミステリーだった。
「ナイトホークス(原題・The Black Echo)」はネオ・ハードボイルドの流行も一段落した92年に発表されている。主人公、ロス市警刑事のハリー・ボッシュはベトナム帰りで、解放戦線が掘ったトンネルの闇のなかで生命の危険にさらされたことがトラウマになっている、という設定だった。
だから「遅れてきたネオ・ハードボイルド」と感じたんだけど、次々に発表、翻訳されるボッシュ・シリーズを読んでいるうちに、コナリー=ボッシュがこだわっているのはベトナム戦争という世代的体験ではなく、トンネルで味わった「闇の恐怖」なんだとわかってきた。トンネルという外界の「闇」が、ボッシュの精神の内側の「闇」を呼び覚ましてしまったのだ。
「天使と罪の街」で10作目になるボッシュ・シリーズは、主人公のボッシュと、彼が追う犯罪者がともにかかえる内部の「闇」を一貫したテーマにしている。それはボッシュ・シリーズ以外の作品「ザ・ポエット」や「わが心臓の痛み」(原題はBlood Work。クリント・イーストウッドが映画化した)でも変わらない。
だからボッシュ・シリーズを何冊か読んでくると、これはネオ・ハードボイルドというより、ジェームズ・エルロイのノワール小説に近いテイストを持っているんだと思えてくる。ただコナリーの小説は、エルロイみたいに闇の底に沈んでいくような悪魔的な文体と、どこで語り手が変わったのかも判然としないモノローグが延々とつづくのではなく、素早い場面転換とスピード感あふれるストーリー展開で読む者を飽きさせない。
その上、90年代に書きつがれたシリーズらしく、コナリーの主人公が追う犯罪は猟奇的な連続殺人であることが多い。トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」に代表される異常殺人ものという流行への目配りもちゃんと効いている。
さらに、コナリーの主人公はたいてい自分の内側の「闇」を犯罪者の心理的「闇」にシンクロさせることで手がかりをつかみ事件を解決していくから、追う者と追われる者が一枚のコインの表裏みたいな関係になる。刑事が犯罪者に限りなく近づいてしまうわけで、条件が変われば、主人公が一瞬にして追う立場から追われる立場に立たされる。二転三転するコン・ゲーム的な楽しさも、コナリーの小説にはある。
「天使と罪の街」もそんなコナリーらしさ満載の小説だった。
「暗闇のなかにいた。黒い海に浮かび、空には星がない。なにも聞こえず、なにも見えない。漆黒の闇の時。だが、その瞬間、レイチェル・ウォリングは夢から覚め、目をあけた」
書き出しは、またしても「闇」。レイチェルは、この作品でボッシュの相手役になるFBIの女性捜査官だ。
この小説には、ボッシュ・シリーズではない「ザ・ポエット」と「わが心臓の痛み」の魅力的な主役脇役たちも登場する。レイチェルは「ザ・ポエット」のヒロインで、本作はストーリー的には「ザ・ポエット」の続編と言っていいくらい。そんな面子にボッシュがからむんだから、コナリーをずっと読んできたファンには応えられない。むろん、この作品で初めてコナリーを読む人も興奮しまくるはず。
ネヴァダ州のモハーヴェ砂漠で、砂漠に埋められた10人近い他殺体が発見される。犯人は、「ザ・ポエット」事件で左遷されたレイチェル宛に埋葬場所の手がかりを送って、彼女を捜査に引っぱり出す。
一方、ボッシュも「わが心臓の痛み」の主役であるかつての仕事仲間の死に不審を抱き、調査をつづけるなかでモハーヴェ砂漠に引き寄せられていく……。
「盆地の表面を覆っている白い炭酸ナトリウムは、遠目に見ると雪のようだ。ヨシュアツリーが空に向かって骨のような枝を伸ばしており、それよりも背の低い植物が岩のあいだに根を喰いこませていた。一幅の静物画。こんな荒れ果てた土地で生き延びることができるのはどんな生き物なのか、レイチェルには想像がつかなかった」
こんなふうに描写されるモハーヴェ砂漠と、売春専門の数台のトレーラーハウスだけの小さな「町」、普段は涸れているが豪雨になると荒れ狂うロス郊外の「狭い川」(原題はThe Narrows)の3カ所が主な舞台。いかにもアメリカの現代風景を思わせるイメージが鮮烈だ。
ボッシュとレイチェルは、「羊たちの沈黙」のレクター博士を連想させる知的な異常犯罪者にあやつられて、最後、豪雨の「狭い川」で犯人と向かいあう。
お約束通りボッシュとレイチェルのラブアフェアがあって、それがラストシーンの伏線になっているのが憎い。
そこここに映画とジャズ好きらしい仕掛けがほどこされているのも楽しい。この作品でいえば、「わが心臓の痛み」がイーストウッドによって映画化されたことが語られ、登場人物が映画を見たという前提でやりとりしているのにはにやり。
この10年、ハードボイルド系ミステリーはローレンス・ブロックが引退し、ジェームズ・クラムリーは大味になり、アンドリュー・ヴァクスやデニス・ルヘインの新作は現れず、寂しいったらありゃしない。
そんななかでただひとり、マイクル・コナリーだけが快調に飛ばしてる。いま、ハードボイルド小説で新作を待ちわびるのは彼だけ。ボッシュ・シリーズは12作で完結という噂もあるけど、そんなこと言わずにもっとボッシュを活躍させてよ、マイクル。(雄)
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