大東京23区散歩【泉 麻人】

大東京23区散歩


書籍名 大東京23区散歩
著者名 泉 麻人
出版社 講談社(322p)
発刊日 2014.03.14
希望小売価格 2,592円
書評日 2014.05.16
大東京23区散歩

著者の泉麻人は1956年生まれ、雑誌編集者を経てコラムニストとしての活躍が長い。TVの人気番組である「アド街ック天国」のコメンテイターとして出演していたのは随分昔のことのように思っていたが、調べてみると、1995年に番組スタート時から5年間ほど出ていたようなので、評者のような団塊の世代からすると、たかだか20年前ということになる。当時、泉は30歳台後半ということだから、街の薀蓄を語るプロとしてその立場に居たというのも才能なのだろう。

本書は2009年から2013年4月までの49回にわたって「おとなの週末」誌に連載された「大東京23区画報」を一冊の本にまとめたものだ。ただし、変化の速い東京の街だけに、例えばスカイツリー建設中に書かれた墨田区の項は、完成している現時点での加筆が行われている等、常に完成形はないのかもしれない。基本的に、東京23区の各区を2回に分けて書いており、中央区・港区・世田谷区だけは例外的に3回に分割している。各区のポイントとなる町や界隈を選択し、歩いているのだが、千代田区を例にとれば、1回目は、丸の内、番町、九段南を、2回目は九段北、神保町、神田、秋葉原をカバーしているという具合だ。

各区の全てを対象にしている訳ではないので、対象地域の選択については様々な意見があるだろう。「俺の町を外して、この区を語るなよ」といった意見が出てくるのは十分予想がつく。まあ、泉麻人が個人的に選定した23区のガイド本ということと割り切る他はない。本書が一般的な街歩きガイド本と趣を異にしている点がいくつかある。その一つが、街や風景の記述が極めて緻密に示されているということ。それは、今目の前にあるという風景を描写するという観点からの記述だけでなく、過去に遡る視点での記述が特徴的で、それが出来るのも著者の雑学的で、膨大な知識集積に裏付けられているということだろう。その結果として、本書が対象とする読者層をより広くカバーすることになっているとともに、時間軸として戦前・戦中・戦後という東京という都市が大きく変化した期間を俯瞰することでこの「散歩」の重層さが増していると思う。もう一つの特徴は、かなり個人的な価値観で書かれている部分がちりばめられていることだ。そうした極めて趣味的な隠し味が仕込まれている部分を本書の中から探す楽しみもあるだろう。

こうした内容的な特徴とともに、文章表現の仕方として「です」「ます」調で書かれていることも特徴の一つ。小学校時代の社会科の副読本、「わたしたちの東京」の書き方に習ったという。また、年号表示は和暦と西暦が入り混じっているのだが、それも西暦で70年代といった表現をしたいという事柄もあり、著者としての気分で使い分けていると言っている。この辺りもかなり、趣味的な部分である。

本書の中で泉が、東京散歩の手引書の一つに挙げているのが永井荷風の「断腸亭日乗」である。大正6年9月16日から42年間にわたる日記で、その殆どが一日一行といった記載だが、時として東京の散策を記述している部分がある。本棚の奥にあった「断腸亭日乗」の頁をめくっていると大正13年に、こんな文章があった。「世田谷村三軒茶屋を歩み、大山街道を行くこと数町。右折して松陰神社の松林に憩い、壠畝の間を行く。・・・老杉鬱然。竹林猗々。幽寂愛すべし」。大正末期の世田谷の田園風景をこう活写している。

一方、同じ三軒茶屋を泉麻人はこう表現している。
「三茶の呼び名で親しまれた、世田谷屈指の庶民的タウンであります。・・・たとえば、下町方面に暮らしていた人が、割と気軽に引っ越すことのできる世田谷ビギナーの町・・・世田谷線、現在はキャロットタワーのたもとに駅が置かれ、LRT調の新型車両が停泊する光景は、ちょっとヨーロッパの地方都市を思わせるものがあります」

永井荷風の見た「三軒茶屋」と泉麻人の見た「三茶」、90年間の変化を十分感じさせられる。こうした変化は、東京の近代化の中で特に東京西部での変化が顕著だと思う。中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、東海道の品川宿の先は全て農村・漁村だったのだから。

東京で生まれ、育ち、働いてきた評者が60歳半ばを過ぎた今、東京という街をそれなりに知っているつもりではある。しかし、本書に紹介されている地域と時間軸という双方の広がりの中では、見知っている部分は微々たるものであったということも実感された。子供の頃を過ごした豊島区巣鴨や北区滝野川は路地まで詳しく思い出せるのだが、逆にそれは極めて狭い界隈で濃密に生きていたということの証でもある。中学・高校時代、大学時代になれば、学校や図書館の行き来だけではなく、盛り場や映画館といった行動の広がりによって足を延ばす地域や界隈が多様化・広域化していく。本書を読みつつ、自らの行動領域拡大史をマッピングしてみたがなかなか面白いものであった。生活してきた町に関する自分なりの理解と著者の思いの違いを確認したり、まったく未知の視点を提示されたりしながらの読書は、町の新たな魅力を発見する機会にもなった。

評者の小学校時代の遊び場の一つである王子・飛鳥山はこんな風に書かれている。
「北区を代表する町を一つ挙げよと、問われると、王子か赤羽かと迷うところですが、北区役所は王子にあり・・・近くの中央公園の建物は、もとはといえば陸軍の造兵廠本部の建物。戦後米軍に接収されて、とくにベトナム戦争の最中は野戦病院に使用されることになって大騒ぎになりました。・・・学生のデモ隊が詰めかけた報道写真が手元にありますが・・小6の年のニュースなので強く印象に残っています」

評者にとって、地元の王子は戦前からの一大軍需地域であり、終戦とともにそれらの施設は米軍に接収された。朝鮮戦争当時は、米軍の戦車や軍用車両が轟音と共に明治通りを王子に向けて走っていたのを思い出す。また、1968年の米軍野戦病院闘争においては、近所ということもありデモに参加して機動隊に追いかけられたのも懐かしい思い出だ。こうした、長い時間軸からの表現も巧みなものだ。

大学への乗り換え駅として、渋谷には随分お世話になった。特に当時Jazz喫茶が何軒も有った百軒店には入り浸っていたこともあり、どう書かれているのかと読み始めてみる。

「道玄坂小路に入って、台湾料理の『麗郷』前の階段道を上がると百軒店界隈に行きつきます。・・・マス目状に区画されたブロックにカレーのムルギーなど・・・他にも半世紀ほどの歴史を持つ古い飲食店がよく残っています」

まさに、表現されている通りの町並みなのだが、実に細かい描写だ。学生時代(50年近く前)は毎週のようにJazz喫茶帰りにムルギーに立ち寄ってカレーを食べていた。本書の刺激もあり、誘われるようにムルギーに行ってみると、顔なじみだった看板娘も今や老齢で引退。それでも世代交代が順調に行われていて、店の佇まいも味も変わらずに残ってくれているのは奇跡的なことである。

時代の変化と共に、徐々に特色を失っていく東京とはいえ、まだまだ生活に密着している町や地域や界隈はその特徴を残しているところも多い。忍び寄る変化はゆったりとしているが故に見えにくいところもある。微妙な変化も、昔ながらの変わらぬ部分も、町を単なる街区として見ていては見過ごしてしまう。「暮らしている人」と「町並み」、それをまとめて風景というのだろうが、その両者を見ることによって認識される。町並みの一瞬を切り取ったスナップ写真であれば、どこの区のどこの街であろうと、コンビニがあり、スタバやドトールといったカフェがあり、銀行の支店がある。没個性化した町は一方で中高年層にとっても大変便利である。しかし、昔の風景の懐かしさや良さが「不便」の中にだけあるとも思わない。散歩を通して知らない町を歩くもよし、子供の頃、遊んでいた町にいってみるのもよし。中高年には刺激的な本である。(正)

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