鉄道小説【乗代雄介、温又柔、澤村伊智、滝口悠生、能町みね子】

鉄道小説


書籍名 鉄道小説
著者名 乗代雄介、温又柔、澤村伊智、滝口悠生、能町みね子
出版社 交通新聞社(256p)
発刊日 2022.10.06
希望小売価格 2,420円
書評日 2022.12.15
鉄道小説

本書は日本の鉄道開業鉄道150年を迎えるにあたり、交通新聞社の「鉄道文芸プロジェクト」の一環として作られた短編小説集。掲載されている五編の小説は鉄道、車両、時刻表などがストーリーの重要な役割を担って、様々な人間関係と時間を結びつけている。鉄道の150年という歴史が多くの物語を生み出してきた装置であったが、各小説はともに現代に生きている主人公がその思い出と生活の範囲で構成されている。

鉄道好きの私としてはどうしても鉄道や車両に目が向いてしまうのだが、描かれている人間模様の面白さに注目して読むというのが自然なのだろう。

乗代の「犬馬と鎌ヶ谷大仏」は、新京成線の鎌ヶ谷に子供の時から住んでいる25才の男(坂本)と15年間飼っている犬(ベル)が主人公。

ある日、座敷の天袋を掃除すると奥の方から模造紙の束が出てきた。広げてみるとそれは小学校五年生の時の自由研究で「鎌ヶ谷駅の歴史」を調べた発表資料。「戦争の時代、陸軍鉄道第二連隊が津田沼と松戸の間に訓練線路を作りました。・・・戦争が終わったあと、現在の新京成線になりました。」という説明から始まる。小学校に置いてあり、もうなくなったと思っていた資料が何でここにあるのかと、母に聞くと「あんたが高校生の頃、一緒に発表した松田さんが持ってきてくれた。あんた修学旅行に行っていた時。」という。松田さんには好意を持っていたが、彼女は六年生の時に転校し、それ以来会っていない。

そんな懐かしさに浸りながら、ベルと久しぶりに小学校時代の散歩コースを歩いてみた。すると鎌ヶ谷大仏の近くで、小学校の同級生だった「国坂」とバッタリ出会う。その後ろには松田さんが立っていて「覚えていた?」と笑いながら、二人は「結婚する」と告げられる。

同級生達が未来に向けて歩んでいる。一方、今でも実家に両親と住んで老犬ベルと過ごしながら、過去の思い出に浸っている自分との違いに心が揺れている一人の青年。愛犬と一緒に昔と変わらない踏切の警報音を聞いているという、鉄道好きで犬好きの私としては切なすぎる結末だ。

温の「僕と母の国」は、戦後生まれの台湾人夫婦と3才の子供の一家が1983年に来日して帰化した話である。恵比寿に居を構えたが、その頃はまだサッポロビール恵比寿工場が稼働しており、山手線に隣接していた工場引き込み線周辺にはビール運搬用の箱が山積みされ、貨物車両が風景に溶け込んでいた時代。そして、父は亡くなったが、母は現在65才、主人公である息子も42才になった。母親はこの間25年ほど、カルチャーセンターの台湾料理教室の講師を旧姓の「王燕淑」と名乗り教え続けた。そんなある日、母を訪ねると「日本に長く居過ぎたようだから、この家を売って台湾に帰ることにした。」と打ち明けられる。戦後世代が台湾から日本に帰化してからの40年間の生き様を描いている。国籍と生活の関係とは何かとの問い掛けである。

また、帰化二世世代の多くは日本を離れて中国、欧米の大学に進学したが、主人公は日本での教育を受け、結婚し、両親が手に入れた恵比寿の家で家庭を築いていく。「窓から山手線をみると銀色に緑の線が入った車両が走って行く、子供の頃は緑一色だったのに」と思いながら。

澤村の「行かなかった遊園地と心霊写真」は、怪談好きの文筆家が仕事仲間との飲み会で、同郷と称する男(山田)が話を聞いて欲しいと近づいてきたところから始まる。

山田は小学校高学年になった頃、クラスメイトから「再来週の日曜日に宝塚ファミリーランドに行こう」と誘われた。すると、普段仲間からつま弾きにされている島崎という子が「俺も行く」と割って入って来た。皆は一瞬白けたが作り笑いをしながら「ええよ。10時半、中山駅の改札口で」と約束する。数日後、クラスメイトは「日曜日やけど、宝塚ボーリング場に変える。島崎には言わんといて」と言ってきて、皆で島崎を裏切ることになる。翌日、学校に行くと担任から「島崎君の行方が分からなくなりました、昨日の朝に出掛けたきりです。」と伝えられる。結局30年以上経った今になっても島崎は行方不明のまま。

そして、つい最近、山田は仕事で使うスケジュール帳に一枚の写真が挟まっているのを発見したという。いまは中山観音駅と改名された、宝塚線中山駅で阪急8000系をバックにした島崎が写っており、日付は失踪した1989.6.xxとプリントされている。誰が撮ったのか、何故自分のスケジュール帳に突然挟まっていたのかも判らない。山田は「心霊写真としか思えないのです」という言葉とともに、その写真を手に飲み屋から消えて行った。

一ヶ月程して、文筆家のスマホが鳴る。出てみると、阪急8000系特有の「デュオーン」という発車音が聞こえて来る。「山田です。いま中山駅を出ました」という声にかぶさる様に、「ヤマチャン」という子供の声が聞こえる。「オー島崎」という別の声が聞こえて電話は切れてしまった。まるで30数年前の「1989年6月xx日の朝」の状況の様だったという怪談話である。

滝口の「反対方向行き」は、宇都宮に行く予定で、渋谷から湘南新宿ラインに飛び乗った女性(なつめ)が行先を間違えて反対の小田原行きに乗車した話。飛び乗った車両のボックス・シートにはなつめ一人。乗り間違いに気付いたのは多摩川を渡り「次は武蔵小杉」という車内アナウンスだった。寝坊など朝から失敗続きだったので、開き直ったように「良し分かった」という気分になって乗り続ける。通路を隔てたボックスにも一人の女性が座って窓の外を見ていたが、いつしか眠ってしまい持っていた本を床に落としている。なつめが拾い上げると「鉄道時刻表」だった。ページをめくると、無理やり日本列島を詰め込んだような全国路線図が眼に入る。その路線図に詰め込まれた駅名から、今まで関わって来た人達や思い出を辿り始める。

宇都宮の祖父、祖父と別居した祖母は金沢、そして彼らと疎遠だった母との関係等を思い出していく。一人になった祖父を宇都宮から引き取り、一年間一緒に住んだこと。祖父が亡くなって七年たったことなど。我ながら込み入った人生だったと、思い出に耽りながら、今日の予定を全てキャンセルし、小田原までの旅を続ける。

能町の「青森トラム」は女性(24才)が青森に自分探しの旅に出る話。青森トラムという空想の路面電車を舞台にしている。社会人になったものの、なかなかモチベーションの感じられない生活が続くなか、コロナでのリモート勤務も重なって仕事を止めることを決断する。会社にその旨を話すと「そうですか」と引き留められることもなくアッサリ受け入れられてしまう。青森に住む漫画家・アーチストの叔母さんの所に転がり込んだものの、市内を回る青森トラムの一日切符を買って市内を見て回る日々。女性の運転手が多い事に気付きながら、青森を楽しむ。

実際に生活を始めてみると、叔母は漫画家・アーチストという仕事からのイメージとは異なる人生を歩んできたことが判ってくる。本人や叔母と付き合いのある人達との会話から、叔母の男女間のドロドロの姿を教えられる。それでも、しらっと生きて行く叔母を見て、人が自分をどう見るかではなく、自分自身の価値観で生きて行こうと考え始める。そんな自立のステップが描かれている。そうした先は青森トラムの女性運転士の一人に好意を持っている自分に気付くというもの。青森を楽しく紹介する側面も強く、鉄チャンの私としては、もう少し鉄分が含まれてほしい一篇。

これらの小説に描かれている様に、鉄道は様々な思い出を形成してくれる相棒である。私にとっては自宅のすぐそばを通っていた現在の都営荒川線だ。近所の大人たちは昭和30年代でも「王子電車」といって言っていたが、戦前は「王子電気軌道」という私鉄だったからその名残。都内に沢山あった都電で残っているのはこの荒川線だけになってしまったが、私の鉄道記憶の原点が今も残っていることに感謝である。(内池正名)

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