書籍名 | 台湾海峡一九四九 |
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著者名 | 龍 應台 |
出版社 | 白水社(434p) |
発刊日 | 2012.06.22 |
希望小売価格 | 2,940円 |
書評日 | 2012.08.12 |
本書のタイトルは、満州事変にはじまり国共内戦に至る中国国内の混乱の結果、1949年に蒋介石国民党政府や多くの難民・学生たちが台湾に逃れてきたことに由来する。現在の台湾の政治体制や文化のありかたはこの時点で決定されたと言われている。著者の龍應台は1952年に台湾の高雄の生まれ。作家として、また評論家として活躍している人物である。米国の大学で学び、ドイツでも生活をしてきた国際派であるが、現在は台湾で大学での教鞭をとりつつ、今年(2012年)の5月に行政院の初代文化省大臣に就任した女性である。
ドイツに留学している息子から家族の歴史を知りたいと言ってきたことが本書執筆のきっかけと記している。
もはや、父は他界し、母は存命であるものの「彼女の記憶は深い海に沈んだ飛行機のブラック・ボックスみたいに、もうどこかに消えてしまった。・・・そう、最愛の孫のことすら、彼女にはわからない」という状況。特に第二次大戦期を生き抜いてきた世代がどんどんと少なくなってきていて、「過去の歴史の迷宮は断片的でしかなく、当時を生きた人々に教えを請おうにも、その扉は永遠に閉ざされてしまっている」との著者の嘆きはどこの国においても変わらない事態だろう。
そうした、現実に向き合いながらも多くの存命者にインタビューを続け、膨大な資料を読み解いて、「写真のような詳細・緻密」な表現は無理でも、大まかな「山水画」を描きたいという彼女の意思は徹底して貫かれている。その思いを日本語版にむけた序文に記している。
「本書は文学であって、歴史書ではない。私は信じている。文学だけが花や、果物、線香やろうそくと同じように、痛みに苦しむ魂に触れることが出来るのだと」
だからと言って、フィクションであると言っているのでは無いのだが、著者の気持ちとしては歴史ではなく、人間を描きたいという思いの発露と理解すべきだろう。
父親の自伝に始まり、母親から過去聞いてきた記憶を辿りつつ、戦乱の歴史の中で人々がどの様に考え、決断し、行動していったかを一人ひとりの「断片」を根気よく積み上げていって「歴史」に昇華させていく手法は本書の構成を見てもかなり複雑だ。時間や年代の流れに沿って記述しているのではなく、時間は行きつ戻りつしながら、両親の漂白人生、中国国内の学生疎開の実態、日本の敗戦時の上海や台湾などの状況、台湾人日本兵の収容所生活、等が広範に綴られている
。 こうした一人ひとりの多様な人生に基づいて「人々が下したささやかな決断と壮絶な流浪の軌跡」を記述している。そこでは、戦時においての全ての国民は勝者や敗者という区分で識別されるべきではなく、国民一人ひとりは弱者であるという視点で構成されている。
同時に、台湾海峡の歴史という織物には否応なく日本が常に織り込まれているというのも著者の指摘しているポイントである。
「1949年に中国から台湾に移り住んだ人たちからすれば『日本』は永遠に『鬼子(グイズ)』であった。ところが、台湾にずっと住んでいた同級生の家では、彼らの父母が日本語で会話しているのをよく耳にした。彼らは日本の歌を聴き、日本のものを使い、日本のことを話した。『日本』は『鬼子』ではなかった・・・」
このような、一般の国民の感覚は政治理念や綱領といったレベルと異なり文化として定着していたということだろう。異文化の輻輳は「台湾における日本」に限ったことではなさそうである。香港における人々の状況はもっと複雑で、1945年の香港の人口は約60万人で、それ以前と比較すると100万人が避難し、減少している。そして、その6年後の1951年の時点では、香港には207万人の人々が住んでいたと言われている。この増加は帰る場所を失い、子供の手を引きながら中国各地を転々として、ここに流れ着いた普通の人達であった。こうして形成された戦後の香港と台湾の人々の違いを次のように表現している。
「・・・香港人は自分の生い立ちを語りたがらない。もし、台湾人が誰かと夕食を共にし、おしゃべりをはじめたらたぶん普通に『うちの父は民国38年(1949年)に青島から台湾にやってきまして』などといった話題に触れるだろう。・・・香港人であれば仮に三十年同じオフィスで働いている同僚であってもおそらく、どこの出身かなどお互いを知ることはない。・・・もし、香港人と同席する機会があったら、遠慮なく一人ひとり問い詰めてみよう。そうすればハッと気付かされるだろう。彼らはみな心の奥底に自分の身の上話を隠しているだけなのだ。そしてその物語の多くが激動の『1949年』に起因する」
この違いは何故なのか。台湾と香港(中国)の体制の違いが人々の先祖回帰についての意識変化を起こさせるのか、興味は尽きない。このように、市井の人々による戦争の体感は複雑だ。たとえば、西欧の歴史認識について次のような疑問を投げかけている。
「・・西洋の教科書で第二次世界大戦は1939年9月1日に始まる。ドイツのポーランド侵攻の日である。・・・どうして、1931年9月18日、日本軍の中国東北地方侵攻(柳条湖事件)を世界大戦の起点としないのか。百歩譲って、どうして1937年7月7日の盧溝橋事件を始まりとしないのか・・・・」
これは、1949年を終点とした場合の起点の議論である。わが国でも満州事変から第二次大戦に突入していく時代を教科書的に見てみると西欧の歴史認識と変わりなく、柳条湖事件を第二次大戦の起点とはしていない。また、終点論でみると、ヨーロッパ戦線は1945年5月のドイツ降伏で一息つくことが出来たのに比較して、日本敗戦後も中国国内は国民政府と共産党政府の戦いが続いたという違いが有る。このように歴史観の時間軸は地域や国ごとに異なる。
日本の敗戦にしても、日本ではポツダム宣言受諾の8月15日を終戦記念日としているが、連合国であった多くの国は降伏文書調印の9月2日を対日戦勝の日としているのも良い例だ。その後、わが国は連合国軍(米軍)の進駐、アジア戦線からの復員、天皇の人間宣言、極東軍事裁判、憲法発布など、国民は国内の変化に戸惑いつつ、生きていくことに必死だった。従って、本書の焦点である1945年から1949年の期間の世界の動きを日本国民として注視するゆとりもなかった。1950年の朝鮮戦争勃発で戦後世界との関わりが庶民として実感された時代と思う。それだけに、1949年というキーワードは日本人の世界視点の薄いところを補完するものとして読んだ。
加えて、蒋介石国民党政府を権力や支配といった強者としての認識で記述してきた伝統的な「台湾の歴史」に対して、1949年に大挙して台湾に逃げ込んだ国民党の外省人の人達を、故郷を失った弱者として描いたところにその新鮮さがあり、台湾で本書が50万部近く売れた最大の理由であろうと思う。
いつの時代も人間一人ひとりや家族という単位では弱いものだ。逆に、国家、体制、組織といった人の集合体は個人とはまったく異なった動きをとることがある。極端に非情でもあり冷徹でもある。しかし、歴史はそうした権力を持った集合体によって記述されるのが常である。弱者が語る経験は「断片」であるが故に「歴史」たり難い。それを集め、統合したことが本書の価値である。(正)
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