羊の怒る時【江馬 修】

羊の怒る時


書籍名 羊の怒る時
著者名 江馬 修
出版社 ちくま文庫(320p)
発刊日 2023.08.10
希望小売価格 924円
書評日 2023.10.16
羊の怒る時

「関東大震災の三日間」という副題のあるこの本の著者、江馬修という名前はプロレタリア文学の作家として名前だけ知っていた。でも冒頭の「序」を読むと、江馬がマルクス主義者になったのは本書を「書き終える頃から」で、それまでは田山花袋らの自然主義に影響を受け下層階級の人々を描く小説家で、世間では「人道主義作家」と呼ばれていたようだ。

江馬は本書を「小説」と呼んでいるが、現在の呼び方で言えば「ノンフィクション」あるいは「記録文学」と言うことになろうか。震災の2年後に刊行されたが、その後忘れられ、1989年に小出版社から復刊された。広く人々の目に触れるのは、ちくま文庫に収録された今回が初めてかもしれない。

本書には震災の「第一日」から「第三日」まで、「その後」と時系列に沿って江馬の体験が書かれているので、本を読んでの感想というより、このなかで朝鮮人(初版では「×××」の伏字)関係の記述を順を追って拾い出してみたい。作品の評価とは別に、それがこの本からいちばん学ぶべきところだと思うから。

1923(大正12)年9月1日、江馬は新宿郊外、初台の自宅に家族といた。このあたりからは、代々木の谷をはさんで練兵場(現在の代々木公園)の草原があり、明治神宮の森が広がっているのが見える。ここは「郊外」で、神宮の森の向こうを江馬は「東京」と記している。激しい揺れの後、一家は家の前の空き地に飛び出した。隣にはI中将の家がある。練兵場の彼方、明治神宮の森の上、新宿方面に黒煙と火の手が上がるのを、空き地に集まった近所の人々が不安と緊張でながめている。

江馬が代々木の谷へ様子を見にいくと、知人である朝鮮人学生の鄭君と李君の下宿先の家がつぶれ、二人が屋根の下から大家の奥さんと赤ん坊を助け出す場面に出くわした。「朝鮮の問題については常に深い同情をもって対していた。随ってこれらの若い朝鮮の若い学生たちから信頼されることは、自分にとって一種の喜びであり幸福であった。とは言え、また、言い難い苦痛であったとも告白しなければならない。何故ならば、彼らの友達として自分の余りに無力であることが痛いくらい自覚させられたから」。朝鮮人学生の知り合いがあり、彼らに深い同情を寄せている。それが地震が起きたときの江馬の朝鮮人への思いだった。

やがて外出していたI中将夫妻が帰ってくる。I中将が近隣住民のリーダー的な存在になって、彼を中心にグループがつくられる。第1日目の夜、在郷軍人がやってきて、「火事のため監獄を開放して囚人を逃がしたそうだから警戒するように」と言い残して去る。

2日目の午後、I中将が「耳に挟んできたんだが、混乱に乗じて朝鮮人が放火して歩いてると言うぜ」と江馬に伝える。新宿まで様子を見に行ったI中将の息子が、「朝鮮人を二人、大騒ぎして追っかけているのを見ましたよ」と言う。「一人は石油缶を路地に置いて、マッチを擦っている所を見つけられたんだそうです」。近所の住人のひとりT君が、「本当ですかね、朝鮮人が一揆を起して、市内の至る所で略奪をやったり凌辱したりしているというのは。だから市内では、朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差支えないという布令が出たと言ってましたがね」と噂を伝える。

ちょうどそのとき、学生服を着た学生が新聞紙で包んだ重そうなものを片手に持って通りすぎた。江馬は思わず「朝鮮人!」と呟いてしまう。「一切が明らかにされた(注・デマであることが分かった)今でさえも、そしてあんな際に最も理性を失わなかったと自信している自分でさえも、あの時学生の手にあったものが石油か爆弾では無かったかというような気がふっとする事がある。人間の心の惑乱の恐ろしさよ!」。

江馬が子供のために菓子を求めて歩いていると、地震と火事から逃れてきた人々が、いたるところで朝鮮人について憎悪と興奮をもって語っているのを目撃する。朝鮮人らしい学生が群衆に囲まれ殴られているのも目撃する。殴打が激しくなり、江馬は「無暗に殴らないで、早く警察に渡してしまえ」と怒鳴る。「自分は正気を失った群衆よりは、警察の方を信じていたのだった」。

知り合いの学生である李君が、友人のいる本所が火事で焼けたので探しに行くと言う。江馬は自分が目撃したことを話して止めようとするが、李君は「何も悪いことはしていないので怖いことはない」と言って出かけてしまう。李君はそれきり帰ってこなかった。

I中将が言う。「きゃつらはかねてから事を計画して、こんな折を狙っていたのかな」。白シャツを着た自転車の男がこう叫んで去って行った。「朝鮮人が三百人ばかり暴動を起こしてこちらへやってくるから、男子は皆武装して前へ出てください。女と子供は明治神宮へ避難させてください」。住民が木刀やスポーツ用の投槍やピストルを手に集まってくる。江馬は妻や子供に「行かないで」と泣かれて家に閉じこもる。「遠く原の方面にあたってわっわっという喚声がもの凄く響いた。つづいて銃声が二、三発……『暴徒がやってきたんでしょうか』と妻が怯えた声で聴いた。『さあ、そうかもしれない』。三百人からの暴徒が手に手に武器や爆弾をもって、原を横切り、谷を伝ってこちらへ襲来してくる様が、まざまざと目に見える気がした」。

夜、江馬が外へ出るとI中将以下、住民が木刀などを手に集まっている。皆が額に手拭いを巻き、「初」と問われたら「台」と答えるのが合言葉。「相手が三百人と言ったところで朝鮮人じゃないか。一人残らず低能か、なまけものだよ」、恐怖にかられたT君が高い声でしゃべりつづけている。

三日目。江馬は本郷に住む兄一家の安否を確かめるために出かけた。途中、朝鮮人らしき学生3、4人が10人ばかりに取り囲まれている。「ぶっ殺してしまえ」。乱闘が始まった。「自分は目をそらして、あわてて壱岐坂を登って行った。心で自分をこう罵りながら。『卑怯者!』」。帝国大学正門から森川町へ抜けようとしたところで江馬は検問に会った。「顔つきが朝鮮人くさいね」「君が代が歌えるか」。なんとか検問を抜けたが、蕎麦屋のおかみさんに「あなたはどこへ行くんですか」と詰られる。無視していると後ろから、「朝鮮人かもしれないぞ。捕まえてやれ」と男の声がする。姪っ子と出会って言葉を交わし後ろを振り返ると、棍棒やバットを持った男3人が「安心したというよりも、がっかりしたように」立っていた。

兄の家で互いの無事を確かめていると、在郷軍人がやってきた。「朝鮮人が避難者の風をして、避難者に化けて我々の中に交っている事が発見されました。気をつけてください」。兄の家を出て帰る途中、江馬は電信柱にこんなビラを見る。「町内に朝鮮人三百人ばかり潜伏中なれば各自警戒せらるべし」。

初台の家に帰ると、自警団が結成されている。在郷軍人が自慢話でもするようにしゃべっている。「富ヶ谷で朝鮮人が十二、三人暴れたんです。私もよく知ってる騎兵軍曹が馬上から一人の朝鮮人を肩から腰へかけて見事袈裟斬りにやっつけたと言いますよ」。職人らしい若い男が火事装束に大刀を抜身にしてどなっている。「主義者でも朝鮮人でも出てくるがよい、片っぱしから斬って捨ててやるから」。

夜、在郷軍人が通りがかり、そこの坂を7人の朝鮮人が抜刀を振り回して通ったと「滔々と」「上手な話しぶり」で「雄弁」に語った。江馬はその坂へ行って見張り番の者に尋ねたが、そんな事実はなかった。「夜警の退屈まぎれに、そして人々の過敏にされた心を脅かす興味につられて心なきものがいかにこの種の有害な風説を振りまいて歩いたことだろう。そして人々はいかに単純にそれを信じた事だろう」。

「その後」の章では、4日目以降の出来事が語られる。地震の日の朝から都心に出ていた知り合いの学生、蔡君が1週間ぶりに帰ってきた。蔡君は初台へ帰る途中、群衆に囲まれて殴られ、自ら「警察へ連れていってくれ」と叫んで大塚で留置場に入れられていた。留置場には他にも朝鮮人がいて、群衆は警察に押しかけ朝鮮人を出せと騒いだ。警察は5日目あたりから朝鮮人を解放しはじめたが、蔡君は家まで遠いので「もう2、3日辛抱したほうがよい」と言われたのを無理に帰ってきたという。

江馬は蔡君を自宅にかくまうことにした。「一週間を経過しても、朝鮮人に対する一般の疑惑と昂奮はなかなか鎮まらなかった」から。「自警団は(避難者も加わって)賑やかなものになっていた。……彼等は震災と朝鮮人に関するそれぞれの土産話を持ち寄ってきた。退屈な夜警の中で人々は喜んで熱心に耳を傾けた」。夜警の途中、朝鮮人がいると情報が入ると、人々は勇んで駆けつけた。それはロバだったり、白い立て札だったりした。……

関東大震災時の朝鮮人虐殺について、これほど臨場感のある文章を読んだのははじめてだった。もともときちんとした調査がなされていないから、犠牲者の数すら数百人から数千人まで諸説あるし、公的な記録も少ない(先日、松野官房長官がこの問題で「政府内で記録が見当たらない」と述べたが、少数ながらあるようだし、殺害の罪を問われた者の裁判記録もある)。

そうしたものとは別に、この本は江馬という作家が自分の眼で見たもの、体験したことがそのまま書かれていることに意味がある。江馬は朝鮮人が殺された現場を直接見たわけではない。けれども、朝鮮人が暴動を起こしたという流言がどんなふうに広がり、地震と火事に打ちのめされ逃げまどった人びとが不安にかられ、武器を手に自警団をつくり、怪しげと見える者を片っ端から追いかける、その集団の「空気」がリアルに記録されている。朝鮮人の知り合いを持ち、彼らに同情を寄せる江馬ですら危うくその空気に飲み込まれそうになる。そうかもしれないと思う。そこから出てくるのは、さてお前はこの状況におかれたらどのように振る舞うか、という問いだろう。(山崎幸雄)

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