書籍名 | プロパガンダ・ラジオ |
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著者名 | 渡辺 考 |
出版社 | 筑摩書房(351p) |
発刊日 | 2014.08.25 |
希望小売価格 | 2,484円 |
書評日 | 2014.10.13 |
本書は太平洋戦争時に戦時国際放送として日本から放送された「ラジオ・トウキョウ」の記録であり、放送の実態とその責任を検証しようとするものだ。NHKでは戦時の海外向け短波放送について、日英間の謀略放送の歴史、戦争末期のアメリカからの謀略放送等の特番を放映してきている。しかし、これまでのNHKテレビ番組は二つの視点が欠落していると著者は指摘している。それは、国内ラジオ放送はどのように戦争を日本国民に伝えていたのかという視点と、「ラジオ・トウキョウ」が敵国アメリカや連合国軍に対してどのような謀略戦略を仕掛けていたのかの二点である。
これらを解明しようとする番組企画がNHKで2009年に開始され、いままでは、終戦とともに日本放送協会や内閣情報局によって関係する資料や録音盤などが徹底的に焼却廃棄されたことから、その実態把握が難しかったのだが、今回は米国公文書館に保管されていた第二次大戦対戦国からの謀略放送を傍受した録音盤の存在が明らかになったことで、この検証は一挙に具体的になったようだ。一方で戦後65年という年月は人間にとっては長すぎる時間であり、放送当事者たちの多くが鬼籍に入り、存命であってもインタビューをするための制約があったという。現代史を読み解こうとすると時間との戦いの厳しさを痛感させられる。
本書の全体の構成としては、満州事変、日独防共協定、日独伊三国同盟など戦時体制の進展によってプロパガンダ放送が激化していく状況、捕虜の活用、「ゼロ・アワー」と東京ローズの活躍、日米電波戦争、和平工作としての放送活用、等の視点から時間軸を追って語られている。米国公文書館に残されていた録音テープは大別すると、1.戦争状況を伝えるニュース、2.政策や国策を伝える日本語によるスピーチ(首相東条英機、外務大臣重光葵など)、3.太平洋の島々や洋上にいる連合国将兵に宛てたプロパガンダ放送である「ゼロ・アワー」と呼ばれた番組、4.日本軍によって捕えられた連合国捕虜による母国や家族に宛てた放送、の4項に分類されている。この膨大な音源を解析しながら、NHKの放送博物館のアーカイブスやインタビューなどの資料を駆使して歴史を組み立てているのだが、俯瞰すれば、9年間の「ラジオ・トウキョー」全体とその中の一番組であった2年半の「ゼロ・アワー」との間には異なった謀略戦略で行われていたことが良くわかる。
時局的に言えば1943年2月にはガダルカナルから撤退し、南太平洋の制空権・制海権を失っていた時期に国際放送の3月の編成替えで新設されたのが「ゼロ・アワー」である。この番組は大本営陸軍部宣伝主任の恒石重嗣が責任者で企画された。以前からの露骨なプロパガンダばかりでは効果的でないということで、ニュースから始まるのは定番としても、その後の展開がそれまでのラジオ・トウキョウの番組とはまったく違っていた。若い女性がDJを務め、フレッド・アステアの歌だったりトミー・ドーシー楽団の曲が流れた。偏向したニュースとポップな音楽が入り混じった不思議な「エンターティメント」番組がどう作られたのか興味深い内容がまとめられている。
番組制作の主体は捕虜の中で放送経験の豊かな三名で構成され、リーダーはオーストラリア人のチャールズ・カズンズ。シドニーの放送局でコメンターターをしていた陸軍少佐。フィリピンのコレヒドールで「自由の声」という対日宣伝放送をしていたアメリカ人のウォーレス・インス大尉、音楽に造詣の深かったアメリカ人のノーマン・レイズ少尉。加えて「東京ローズ」と聴取者の連合国兵士から呼ばれていた女性のDJたちだ。その中の一人で圧倒的な支持を受けたのが日系二世のアイバ戸栗である。彼女は放送経験が皆無、かなりの悪声(ダミ声)、加えて大の日本嫌い。1916年ロス生れ。UCLAを卒業し1941年に広島に居た祖母の病気見舞いに来日したものの、12月8日の開戦で帰国のチャンスを失った人だ。特筆すべきは二世のスタッフの中で唯一アメリカ国籍を捨てずに終戦を迎えた人である。こうして「ゼロ・アワー」はニュースのあとに「みなしごアニー(Little Orphan Annie)から」という決まり文句で始まる女性DJによる音楽という形で1945年8月15日の敗戦当日まで続けられた。
一方、今まで残っていないとされて来た、戦時下のVOA(Voice of America)の日本語番組の録音や、当時米国陸軍の情報少佐として対日心理戦を任務としていたライシャワー(後の日本大使)が行った対日戦時放送に関する提言内容などが紹介されている。ライシャワー提言とは日本では短波放送の許可された聴取者は500名くらいと限定されていたものの、それらの人間は指導者層であることから対日放送の必要性を説くとともに「上品で知的に洗練された番組」を主体に構成するべきとしている。実際、日本側はVOAを傍受していて政府・大本営・新聞社などに30-40部のコピーを配布していたようだ。
ライシャワーの意図は的中していたといえる。こうした経緯もあり、正規の外交ルートは機能しなくなった中、1945年5月から外交ルートを補完する短波放送が有ったという事実は大変興味深いものであった。ロスから発信されていた「ザカライアス放送」と称されているもので、米国海軍大佐のザカライアスという人物が敗北直前の日本に対して無条件降伏の受諾決断を迫る放送があった。この呼びかけに対して日本からの返答放送の記録も米国で発見されている。
「こちらは、イノウエ・イサムです。私は日本の新聞記者です。無条件降伏の方法に変更の余地が有るならば日本はトルーマン大統領が日本に対して発した表明に沿い若干の変更を加えて、米国に無条件降伏の条件を提示出来る」
こうした非公式のやりとりをしつつも、ザカライアスから14回にわたり呼びかけられた放送は8月4日をもって途絶え、広島原爆投下の8月6日を迎えることになる。この陰の外交ルートともいえる放送が果たした役割を評者は今まで知らなかった。この詳細は是非多くの人にも読んでほしいと思うし、放送の機能とその役割について第二次大戦の中でも特筆されるものと思う。
こうして日一日と悲しい程着実に日本は敗戦に向かっていくのだが、8月15日の玉音放送後に放送された「ゼロ・アワー」はどんな内容だったのかが、残された音源から紹介されている。昭和天皇による終戦の詔勅について、木戸内大臣の終戦談話とニュースが読まれた後、在外の日本将兵に対して日本語での呼びかけが行われている。
「戦闘を停止せよ。これは勅令である。・・(以下 不明瞭) 繰り返します。戦闘を停止せよ」
またニュースにもどり、阿南陸相の自決、マッカーサーの連合国総司令官就任を伝え。いつもの「みなしごアニー」が登場する。日本将兵への呼びかけを除けば終戦当日であることにもかかわらずまさに淡々として進行されているのが良くわかる。こうして最後の「ゼロ・アワー」は終了する。この冷静な番組構成は何処から来ているのかと不思議に思う。
戦後、三人の捕虜のスタッフは連合国に捕えられ、リーダーのカズンズ少佐は国家反逆罪で告訴されたものの母国オーストラリアに引き渡されて無罪。アイバ戸栗は日本の謀略戦略に係わった容疑で巣鴨刑務所での取り調べを受けたが証拠不十分で無罪釈放。しかし、アメリカ司法省は再調査に踏み切り1948年に米国に護送、対日協力者として反逆罪で起訴した。その裁判で「ゼロ・アワー」で仲間だった三人の外国人捕虜たちは全て彼女の弁護側の証人として法廷に立った。しかし、恒石をはじめとした日本人19名は検察側の証人として出廷したという。結果アイバ戸栗は禁固10年、罰金1万ドル、市民権剥奪の刑となった。1969年にCBSが彼女をインタビューした音源が米国公文書館の資料にあり、紹介されている。
「アメリカ国籍を保持し続けたこともあり、敵国に協力しているとか、反逆的と感じたことはありません。・・捕虜のチームが番組の全体像を示し、彼らのチームの一員として、故郷に向けてメッセージを発信していました・・・『ゼロ・アワー』は、自分が無事で、健康であることを親に知らせるための唯一の手段でした」
また、今回インタビューされた当時の日本放送協会のあるコメンテーターの発言は以下の通り。
「組織が軍部に利用されたんですね。自分個人がやったという意識はない。仕方なかったんです・・・そういう時代だったんです」
戸栗とこのコメンテーターの発言の乖離にこそ、放送の責任と放送人の責任とは何かを問い掛けている問題の深さを感じるのだ。
本書を読んでいて不思議に思ったことがもう一つ有る。それは、本書の主題は「ラジオ」という「音」のメディア、資料を調査するきっかけは「テレビ」という「映像と音」で構成されるメディア、そして本書は「文字」によるメディアであることだ。三様のメディアの共通性と相違性が交錯している世界なのだ。そしてこれは著者の意図かどうかは不明なのだが、何故か本書には写真は一枚も掲載されていない。写真を掲載せず敢えて文字で写真を描写している箇所などもあることを考えると、三様のメディアをあくまで純粋な形で役割分担をせさたかったと思ったりするのだが。(正)
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