本人の人々【南伸坊】

本人の人々


書籍名 本人の人々
著者名 南伸坊
出版社 マガジンハウス(156p)
発刊日 2003.11.20
希望小売価格 880円
書評日等 -
本人の人々

「ひとの身になって考えることを実践してみた」。これを「本人術」と称する本書は、我々が普段考えている「本人」という思いを揺るがすパワーがある。70名(正しくは69名と一匹)を対象に南がその人物に扮する写真と各々に添えられた短文で構成されているのだが、思わず笑ってしまうものや、まったく似ておらずいかがなものかと考えさせられるもの等なかなか楽しめる。

ただ、収録されている内の一人、ドン小西という人は評者が本人そのものを知らなかったのでこれは感動のしようもない。金正日からアニータ、叶美香から田中真紀子、人物を超えたタマちゃんまでカバーしているので読んでいる側としてもかなりの混乱と刺激に耐えながら読み進まなければならないのだが、まさに「本人術」と自ら言う南伸坊ワールドだ。

あまり難しく読むべき本ではないと思うが、なかなか難しそうに序文を書いているのも困ったもので、南の狙いを素直に乗って読んでいくのが礼儀というものだろう。結果、読む側が各々勝手に理解して笑ってしまうので良いということか。それにしても、なかなかの文章である。

「人々はそれぞれ本人である。そしてひとり自分だけが、本人だとおもいこんでいる。・・・・・私は、さまざまな本人になってみた。そうして、その本人の身になって文章を書いたのである。・・・したがってこれは人物批評といったものとは根本的に違うものである。なにが近いかといえば、恐山のイタコに近い。・・たとえばマリリン・モンローが東北弁であったとしても、聴く耳を持った人には、マリリンの声として聴こえるように、私の本人術も、あるいは受け手の「才能」というか「能力」にかなり期待せざるを得ないときもある。・・・」

なるほど、現代のイタコの口寄せと言われて見ると、この本は読み手の「才能」「能力」というよりも「想像力」を要求しているということだ。これは本として読んではいけない。とはいえ音楽などの抽象芸術と違って、対象となる或る人物について読み手側が自分なりのイメージを持っていなければ成り立たないというところがキワドイ挑戦ということだろう。

評者お気に入りのタマちゃんの項を紹介したい。写真の見てのお楽しみ。
「もちろん私は、タマちゃんじゃない。正確に言うなら、ちょっと前までたまたまタマちゃんであっただけのいちアザラシです。たまたま多摩川でプカプカしているところを「発見」されたのでタマちゃんであったわけであります。・・・このまま私が、移動して川で発見されるたびに、改名されるわけでしょうか。・・・・「生活」しているだけっすよ。みなさんも、もう「生活」にもどりましょうよ。・・・いろいろ事情があって、南下してきただけっす。もう忘れてください。」

タマちゃん、その通りだ。人間が勝手に名前をつけ、追い回しているのは人間の身勝手だ。ここまでタマちゃんになりきってしまう南に尊敬してしまうのである。単なる物真似、顔真似写真でなく、コメントをつけることによって南と対象とした人物の融合が妖しく輝いている。不思議な本である。 (正)

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