書籍名 | 不穏な熱帯 |
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著者名 | 里見龍樹 |
出版社 | 河出書房新社(450p) |
発刊日 | 2022.11.30 |
希望小売価格 | 2,970円 |
書評日 | 2023.03.15 |
タイトルで買いたくなる本がある。書店の棚で見た瞬間にタイトルが発するオーラに一撃をくらい、即座に買おうと決める。この本がそうだった。
『不穏な熱帯』というタイトルはもちろん文化人類学の古典、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を連想させる。サブタイトルを見ると「人間<以前>と<以後>の人類学」とあるから、これも人類学の本なのだろう。カバーの折り返しを見ると1980年生まれ、メラネシア民族誌を専門とする文化人類学者だ。
といって小生、とりたてて文化人類学に興味や知識があるわけではない。読んだことがあるのは、当の『悲しき熱帯』くらい。それも40年以上昔のことで、内容はほとんど覚えてない。レヴィ=ストロースがアマゾンの先住民を調査した民族誌と自伝的省察が入り混じったものだった。いま、ぱらぱらと本をめくっていたら、こんな部分に傍線を引いていたのを見つけた。「異常な発達を遂げ、神経のたかぶりすぎた一つの文明(評者注・西洋文明)によって乱された海の静寂は、もう永久に取り戻されることはないであろう。熱帯の香りや生命のみずみずしさは、怪しげな臭気を発散する腐食作用によって変質してしまっている」。現在でも、いや現在でこそリアリティをもって迫ってくる文章。『悲しき熱帯』を通底する視線で、レヴィ=ストロースが書名を「悲しき(tristes)」とした所以がうかがわれる。
とすれば、本書がそのタイトルを下敷きに「不穏な」と形容したのはどういうことなのか。タイトルを見て即座に買おうと決めた判断を、後になって分析すればそういうことになるだろうか。
この本で里見がフィールドワークしたのは南太平洋のソロモン諸島。ニューギニアの東にあり百余の島々からなる島嶼国家だ。首都のあるガダルカナル島は第二次大戦で日本軍が凄惨な戦いを強いられた地として記憶される。里見はガダルカナル島の東北に位置するマライタ島のフォウバイタ村という集落を拠点に、2008年から2018年まで7回の調査を行った。本書では、そのうち2011年の3カ月に渡った調査のフィールドノートが主に引用され、当時のノートと、それに対して里見の現時点でのコメントが本文の半分を構成している。
残りの半分はというと、そもそも人類学とはどのように発達した学問で、それは21世紀にどう記述されるべきかの議論。1980年代以降、それまでの人類学に対する批判がさまざまな視点から起こり、そうした批判的立場に立った研究が積み重ねられてきた、らしい。その道筋を紹介しながら、里見は、では自分はこの調査をどのように行い、どのように記述したらいいのかを思索している。
このような、フィールドノートと思索の重ね合わせという構成は『悲しき熱帯』を意識しているのだろう。先ほどのレヴィ=ストロースの引用からも、西洋で発達した人類学は未開の地の民族誌を研究することによって逆に西欧近代の歪んだ姿を照らし出す意図をもっていたことは理解できる。でも1980年代以降の批判は、そうした人類学の方法それ自体を問うものであったらしい。小生は人類学にまったくの素人だから、詳しいことは分からない。ただ、こうした批判は人類学に限らず、このところ進行している人文科学の方法の見直しに連なるものであることは分かる。その意味での興味がある。
大雑把に、きわめて単純化してしまえば、こういうことらしい。西洋で発達した人類学は、非西洋地域の「未開社会」を対象に発達した。そこでは「自然」は人間と関わらないものとして存在し、一方、「文化」は地域・民族ごとに多様に存在する。人類学は例えば、貨幣によらない交換や婚姻・供犠の様式を研究することによって地域・民族の社会がどのような特色をもっているかを知り、それによって西洋文明を相対化させる。でもそうした方法は、無意識のうちに「自然」と「文化」を対立させる「近代的二分法」を前提としている。また未開地域の「文化」は、歴史的展開のない無時間的なものと捉えられることも多い。西洋社会に生きる研究者と、未開社会の研究対象者とは画然と分けられている。
こんな批判と反省の上に立って、現在の人類学はいろんな試行錯誤を繰り返しているようだ。本書も、その最前線に立つ一冊ということになる。
前置きが長くなってしまった。里見が滞在したマライタ島。この島は海岸線に沿ってサンゴ礁が広がり、このサンゴ礁に砕いたサンゴの岩石を積み上げた「人工島」が90以上点在している。「人工島」には一家族から数十家族が住み、人々は漁業に従事している。「人工島」に暮らしながらマライタ島に畑をもっている家族や、「人工島」からマライタ島海岸部に移住した家族も多い。彼らはアシ(海の民)と呼ばれ、島や海岸部での生活を「海に住まうこと」と自ら呼んでいる。著者がホームステイしたフォウバイタ村にも、アシがたくさん住んでいる。
里見が2011年にフォウバイタ村を訪れたときに出会ったのは、アシの人々が「海に住まう」自分たちの生活に不安を感じる姿だった。そのことを、多くのアシは「岩が死に、島が海に沈みつつある」「海に住むのがこわくなった」と表現した。アシによれば、岩は生きていて育つものだが(実際、サンゴ礁は生きものである)、その岩が死んで、島は海に沈みはじめている。地球温暖化による海面上昇を、アシの人々はそう受け止めていた。
それだけでなく、アシの生活に「不穏な」兆候が見え隠れしていた。そのひとつに里見が以前に調査したときの協力者、ディメの死がある。ディメはフォウイアシ島という「人工島」からマライタ島に移住したアシの男性で、「尊敬されると同時に恐れられ」ている「重要人物」だった。それはディメの父の死とも関係している。この地域の住民のほとんどが現在はカソリック教徒だが、ディメの父はアシの伝統的な祖先祭祀(「カストム」)を司る祭司で、カソリックに改宗することなく亡くなった。カソリック以前に死者は「バエ」と呼ばれる茂みに葬られたが、ディメの父はカソリック司祭の祈祷によって「バエ」に埋葬されるという折衷的なやり方で葬られた。その後、ディメは10代の娘2人を相次いで失ったが、彼と人々はその原因を「父の埋葬で過ちを犯したため」と考えていた。2011年に里見が訪れたとき、ディメは大病後の衰えきった姿で現れた。そのディメが、間もなく亡くなる。さらに、ディメの父が埋葬され、カソリックに改宗した人々からは不気味に感じられる空間、「バエ」の大木が突風で倒れるという事件が起こった。この出来事はアシの住民に大きな動揺を引き起こした。
「フォウイアシ島の倒木は、アシの人々の前に、そしてまたフィールドワーク中の私の前に、いかなる文脈に位置付ければよいのか不明の、禍々しく得体の知れない対象として横たわっていた。バエの木が倒れたことは、いかなる『しるし』であり、それはフォウバイタ地区に住むアシの人々にとって何を意味するのか? 『われわれ』は過去に何らかの『過ち』を犯したのであり、この倒木はそのあらわれなのか? ……その倒木はまさしく……人々の自己知識を揺り動かす不穏で不定形の歴史として立ち現れていた」
そんなコメントをはさみながら、ディメの死と葬儀を巡るフィールドノートが続く。同時に、マライタ島と西洋文化の接触の歴史が、しかとは分からない記憶として伝えられているものとして記述される。
1978年に独立するまで英国領だったソロモン諸島が西洋世界と初めて接触したのは19世紀後半。マライタ島の「人工島」は1900年前後の初期植民地時代に多くがつくられている。この時代、マライタ島ではかなりの人々がオーストラリアやフィジーの農園に労働者として徴募された。そうした労働交易の結果、島に鉄製刃物や武器が流入して部族間での戦闘・襲撃が激しくなり、土地の収奪や人々の移動が頻繁に起こるようになった。この時代のことをアシの人々は「オメア(戦闘・襲撃)の時代」と呼ぶが、世代交代が進んだためあいまいな記憶としてしか伝えられていない。マライタ島の「人工島」はその「オメア」からの「避難のための島々」としてつくられた。アシの島々とそこでの生活は、そのように「ねじれた歴史的時間の中で形成された」ものとしてあったのだ。
ディメの死から1週間後。ディメの「過ち」を「正し」、喪を終わらせるために、カソリックの司祭によるミサが行われた。司祭はミサの最後に「あっ」と声を上げ、参列者たちに「聖なる塩」をふりかけた。この儀式によってディメの「過ち」は「終わった」。人びとは日常を取り戻したようだった。その数週間後、フォウイアシ島の「バエ」では倒れた大木を伐り、清掃が始まった。
ディメの「過ち」は片付いたとはいえ、アシの人々は「岩が死に、島が沈む」という深い不安のなかで生活している。岩が「生き」「育ち」「死ぬ」というアシの人々の感覚、「島が自ら育つ」ことと「島をつくる」ことを区別しない感覚は、「科学的」教育を受けた私たちの「自然」の概念とは違う。でもそんなアシの考えを非科学的と排斥するのでなく、逆に私たちが考える「自然」を再考するきっかけにすべきだ、と里見は言いたいようだ。
「人新世」という言葉は、もはや手つかずの「自然」などなく、地球環境がいたるところで人間の活動の痕跡をとどめていることを指している。でもその結果として、皮肉にも人の手の届かないところで「制御不可能で予期せぬかたちで非‐近代的な『自然』が現れつつある」。だからこそ人類学でも、「自然」と「文化」を画然と分かつ近代の二分法が問われている。「バエ」の倒木のような、「自然」と「文化」の境界で揺れ動く謎のようなもの、「識別不能地帯」にもっと目をこらし、耳を澄ませ。研究者だからそんな言葉遣いはしないが、著者が言いたいのはそういうことだろう。
そんなことを一巡りした後、里見は、「島が沈む」不安を抱えたアシの人々のことを「われわれの同時代人」と呼んでいる。カバーに使われた海とサンゴ礁の写真だけでなく、本文には著者が撮影した数十枚の写真が使われている。資料の域をこえて、写真もまた文章とは別の世界を伝えてくれて楽しい。(山崎幸雄)
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