非除染地帯【平田剛士】

非除染地帯


書籍名 非除染地帯
著者名 平田剛士
出版社 緑風出版(168p)
発刊日 2014.10.15
希望小売価格 1,944円
書評日 2014.11.16
非除染地帯

東京電力福島第一原子力発電所の事故から3年半がたった。とはいえ事故を起こした原子炉の廃炉作業はこれからだし、今も4万人以上の住民が県外に避難したまま故郷に帰れないでいる。

汚染地域での除染が進んでいるとはいえ、除染作業が行われているのは住宅や道路、田畑だけ。それも期待した効果が出ていないところも多い。県の面積の8割を占める森林は手つかずのままだし、河川、湖沼、海浜、海洋もそのままになっている。また双葉町全域や浪江町・大熊町の大部分を占める「帰宅困難地域」はそもそも除染の対象になっていない。「3.11後の森と川と海」とサブタイトルを打たれたこの本は、こうした「非除染地帯」の生態系がどうなっているかを追ったルポルタージュだ。

著者はイノシシを狩る猟師や鮭のふ化場、鮎のセシウム濃度を調査する研究所、福島沖の魚類を調べる水産試験場、アブラムシを調査する研究者、メダカを調査する市博物館、川内村のモリアオガエル観察会などを訪れている。でもこの本を読んだ限り、それらの貴重な努力は点のままとどまり、まだ点と点を結ぶ線、さらには面として総合的な生態系の調査が行われているとは言えないようだ。今はともかく「食べて安全か」という問題にかかりきりになっている。もちろん食の安全は大切だし、従事する人たちの生活がかかっているけれど、事故によって生態系がどのような影響を受けているのかもそれに劣らず重要なことだ。

例えば、手抜かりのひとつ。環境省は旧警戒区域内で哺乳類の放射能モニタリングをやっている。何をモニタリングするかは国際的な指標に基づいているのだが、指標のひとつである野生のシカは福島県に生息していないためはずされ、野ネズミだけになっている。でも福島県には、指標にはないがニホンザルがいる。専門家は「ヒト以外の霊長類で世界で初めて原発災害を蒙ったニホンザルをモニタリングしないのは理解できない」と述べる。

また「食べて安全か」だけに目がいくと、こういうことも起こる。いま厚労省が定めている食品の放射性セシウムの基準値は一般食品で100ベクレル/㎏となっていて、この基準値を超えたものには出荷制限がかかる。イノシシの場合、当初出荷が制限されたのは原発周辺だけだったが、基準値を超えるイノシシが次々に見つかり、規制される区域が広がった。2011年12月には県の東半分が制限区域になり、2013年には県内全域で出荷制限されることになった。

イノシシを獲っても出荷できないとなれば、狩猟者の意欲は衰える。もともと高齢化によって狩猟者が減っていたが、その減り方がいよいよ激しくなった。そのため、人による抑制というタガがはずれて、イノシシ(だけでなく野生動物)の数がどんどん増えている。原発事故以前から、東北地方ではここ10年でシカやイノシシの分布が急拡大していた。イノシシは長距離を移動するので、やがて放射能汚染されたイノシシが県境を越えて見つかる可能性もある。そうなると、福島県に隣接した県でも出荷制限がかかる。狩猟者の減少と野生動物の増加にいよいよ拍車がかかる。

「30年後にこうなるだろうと予測していたことが、原発事故のせいで早まった。これから始まろうとしているのは新しい負の連鎖です。農地に手が入らなくなって動植物の侵入を許し、それを抑止する力も弱まり、共存バランスがとめどなく崩れていく」(田口洋美・東北文化研究センター長)

食用に給される動植物・魚介類の放射能汚染だけでなく、放射能は福島の生態系全体にどんな影響を与えているのか。事故後まだ3年しかたっていないこともあり、はっきりしたことはわからない。でも専門家を訪ね歩いた著者はいくつかの例を報告している。

北海道大学の秋元信一教授がワタムシというアブラムシの種類を調査している。事故から14カ月後の2012年6月に福島県川俣町で採集したワタムシと、北海道の岩見沢で1997年と2012年に採集したワタムシを比べてみた。すると川俣町で採集したものには形態異常や発育不全を起こしている個体が高い割合で見つかった。その割合は、岩見沢が1997年、2012年ともに6~9%なのに対して、川俣町のものは20%。「形態異常や発育不全が集中してこんなに出てくるのは、ただごとじゃない」。ただ、川俣町の個体群に「アブラムシの細胞分裂を阻害する何らかの原因が存在した、とまでは言えても、放射能のせいとは断定できません」と秋元教授は語る。

日本獣医生命科学大学の羽山伸一教授は2011年から13年にかけて福島市内で捕獲された437頭のニホンザルを解剖して調べた。筋肉に含まれるセシウムは事故直後に1万~2万5千ベクレル/㎏の高いレベルが検出された後、11年夏には1000ベクレル/㎏と下がったが、冬になると2000~3000ベクレル/㎏と上昇し、2012年以降は再び低下した。また血液検査してみると、青森県に生息する個体群に比べて福島市の群れは「血球数や血色素濃度などが有意に低下し、特に幼獣で造血機能の低下が考えられた」。福島のサルは貧血になっていたわけだ。これもまだ放射能との関連ははっきりしない。

ヤマメやイワナといった川魚の汚染も低下傾向にあるとはいえ、まだ基準値を超える放射能が検出される。ヤマメやイワナは主に水生昆虫を食べる。水生昆虫は川底で有機物を食べる。川底の有機物の供給源は森からの落ち葉だ。植物の葉には原発事故で大量の放射能が降り積もった。葉が落ち、落葉層と表層の土壌にセシウムは集中した。それが川に流れ、川底に高濃度の汚染泥が積もった。それを食物連鎖で次々に虫や魚や動物が食べる。「生物たちによる物質運搬の流れに乗って、放射能が生態系内をぐるぐる巡り始めている」。イノシシでも、放射能濃度が年をへて逆に増大する個体が見つかっている。

いま福島県の食肉ではイノシシ、クマ、キジ、ヤマドリ、カルガモ、ノウサギに出荷制限がかかっている。でも出荷制限がかかると、前にも述べた事情から捕獲頭数がぐっと減る。その結果、継続的なモニタリング調査にも支障を来すことになる。

なにしろ「原発過酷事故にともなう森林・土壌・河川、そして海洋の放射能汚染が長期的に自然生態系にどんな影響をもたらすのか、人類にはほとんど知見がない。悲しいことに、いま世界中でそれを研究するのに一番適したサイトが『ニッポンのフクシマ』である」。

福島に廃炉を中心とした原子力災害研究センターや汚染された生態系の研究センターをつくろうという提言もあったと思うが、どうなっているのだろう。せめて行政と大学、博物館、研究所、農協、漁協などが協力して長期的な視点に立った総合的な調査をやってほしい。それは私たちの孫や、その先の世代に対するせめてもの責任だと思う。(雄)

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