書籍名 | 日々の食材ノート |
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著者名 | 渡辺有子 |
出版社 | 筑摩書房(127p) |
発刊日 | 2008.4 |
希望小売価格 | 1575円(税込み) |
書評日等 | - |
この本は、表紙は言うに及ばず本文・奥付にいたるまで活字は一切使われていない。全て手書きの文字をそのまま印刷している。その字はけして達筆ではないし、読みやすいという程の字でもない。デザイン的にはぎりぎりのところを狙った本なのだろう。料理本の常道として写真も添えられているが、その写真は料理を理解してもらうためのものではなく、料理や器が著者にとってどのように存在してほしいかを示すための画像として扱われているように思える。
本文は27章に分けられて食材と料理の紹介がされている構成だが、各章の始めに書かれている食材に対する想いや素性の説明は、肩に力が入りすぎることもなくスッと書かれているのが、押し付けがましさがなくてよろしい。季節を大切にしながら、あまり、奇をてらった食材を紹介するでもない。「わたしはこんな生活をしています」といった風情の本である。それはブログの感覚に近いのではないだろうか。そう考えてみると、手書きの原稿をそのまま印刷している姿といい、何か新しい表現形態ともいえそうだ。
巷に氾濫しているグルメ本としての名店ガイドやお取り寄せ情報に辟易としている人にはまったく毛色の違う食べ物本としてお勧めである。この手の、読者に「料理を作る気にならせる」という狙いの食べ物本といえば、いつも二冊の本が思い浮かぶ。ひとつは邱永漢の「食は広州にあり」、もう一冊は映画評論家だった荻昌弘が書いた、「男のだいどこ」。共に1970年代初めに出版されている。
当時、書評子は就職したばかり。おまけに結婚そして娘が生まれるという個人的には激動の数年だった時期で、当然のことであるが名だたる名店・高級店に足を運ぶことが出来るわけもなく、この二冊の本を読みながら、美味いものを安く作る楽しさとその可能性を教えてもらった。二人とも料理のプロではないので、料理教室的な教則本ではなく、著者の個性というか好き嫌いが出ている食に関する本であった。食べてみたいと心底思わせる食の紹介や思いが綴られていたし、文章だけによる表現なので読者の想像力が試される本であったと思う。
翻って、本書は「日々の食材ノート」というタイトルの通り、ごく日常的な食材とそれを使った料理のレシピが極めて単純というか簡単に書かれている。したがって、料理初心者がこの本を手にして紹介されている料理を作るというのは多少難しそうだが、さして面倒な料理が紹介されているわけではないので、普段包丁を使っている人であれば書かれている作り方の行間を想像しながら挑戦することはさして難しいことではない。
さて、取り上げられている食材はかなり偏っている。登場する、主たる食材と副たる食材を大雑把にまとめてみると、野菜系として、菜の花・レンコン・ハヤト瓜・そら豆など総数で32種類。調味料系として、ハチミツビネガー・千鳥酢・山椒とうがらし・イカリソースなど総数で10種類。果物系として、イチゴ・白桃・柿など総数9種類。魚系として4種類。肉系として4種類。加工食品系として9種類。このように圧倒的に野菜・果物系の食材が使用・紹介されている。
こうした比率は季節とか旬を考えれば野菜や果物に傾斜していくのは理解できる。確かに肉では野鳥や獣などでも対象にしない限りは旬もあまりなく、料理のやり方としての季節があるだけだろう。一方、著者の目線はほとんど魚には行っていない。魚介類の季節感はいろいろあると思うのだが、取り上げられている数は限られている。サンマが紹介されているところでこんな文章がある。
「・・・以前、庭の七輪で焼いてはみたものの、さすがにお隣さんにご迷惑と、途中でやめたことがあった。でも、この脂がサンマの魅力だからね。脂があってのサンマ、だものね・・・。では、サンマの腹わたは?というところがモンダイ。・・・実は私はやや苦手。・・・・今後、このおいしさに開眼することはあるのだろうか。」
魚の料理が少ないわけである。この人、鮎もだめなのだろうなと想像する。
とは言え、嗜好の違いが生む、エッというようなレシピにぶちあたるのも面白いものだ。
紹介されている料理で気になったもののひとつが「レンコンとイチジクのマリネ」。味の想像がつくような、つかないような。それでいてレンコン好きとしてはひとつ作ってみるかと思わせる料理である。レンコンといえば、煮付け、きんぴら風のピリ辛炒め、酢の物、といった料理ぐらいしか思い浮かばないのだが、さて恐る恐る、作ってみるとさっぱりとしたレンコンとドライ・イチジクの濃縮した甘み、オリーブ・オイルと香菜、黒胡椒が以外とマッチすることに驚く。
この様に調味料、特にオイルの使い方に著者の特徴を感じた。紹介されている料理のうち、調味料や調理のために油が使われているものが25品目ほどである。そのうち3品目を除いた22品目で使われている油がオリーブ・オイルである。これは拙宅で料理に使う油類の比率とは明らかに違う。我が家では、植物性種子油(大豆・菜種)、バター、ゴマ油(白と茶色)、オリーブ・オイル、ピーナッツ・オイルなどが常備されて登場するのだが、比率的に考えてみてもオリーブ・オイルが一番ということはない。年齢とともに油分をあまり使用しない料理や調理になっているということもあるが、この差は明らかな食習慣の違いと調味料の多様性が進んでいることを実感した。
さて、第一章(3月4日)では食材として油揚げと豆乳が紹介されている。なんとも季節感の希薄な食材が、いの一番に選ばれたものだと思った。その油揚げを使う料理して紹介されているのは「菜の花と油揚げの炒め物」という、常備惣菜。それはそれで納得。しかし、食材としての取り上げを季節感のある菜の花でなく、油揚げを登場させる意図はどれ程のものなのかと思いながら読み進み、その店を巻末の索引で見てみると「東京仁藤商店」とある。ウン?聞いたことあるなと思っていたら、家人が「ほら、家の近所の豆腐屋さんよ」と教えてくれた。私にとっては近くの真っ当な豆腐やという理解であったが、こうして本に紹介され、食材の一番バッターに登場とは、「東京仁藤商店」もなかなかやるものだと認識を新たした。ということは、著者もご近所なのだろうか。(正)
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