書籍名 | 皮革とブランド |
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著者名 | 西村祐子 |
出版社 | 岩波書店(206p) |
発刊日 | 2023.05.23 |
希望小売価格 | 990円 |
書評日 | 2023.07.15 |
著者は社会人類学の領域で、皮革産業の歴史や文化をテーマとした研究者。本書では皮革加工とファッションブランドの歴史を紹介しつつ、持続可能性の観点から皮革産業の将来について語っている。加えて、この数年のコロナ禍で高級ブランドビジネスの中核だった観光客に対する免税販売は苦境に立った。コロナ禍で「見せ場」もなく、ブランド品に金を掛けるという目標を失った消費者達、特に女性達は「ユニクロ」で良いという不可逆的な意識変革を起こしているのではないかとさえ感じられる。
著者は服飾業界での「ブランド」とは「製品としての信頼」を中心に、サービス、製作能力といった多様な要素で構成されるとしている。しかし、私を含めオジサン達からすると「グッチ」とか「エルメス」と言われても服のデザインの違いも良く判らない中で、バッグなどはブランドのシンボルマークがついていたりするのでどうにか判別できるという程度。もともと、ブランドの語源は放牧する牛の所有者を識別するために個々の焼印を押していたことに由来する。つまり「ブランディング」とは識別することであり、「ブランド製品」に求められるのは、他人から「あの人は高級なブランド品を持っている」と認識してもらうという「自己満足」がファションブランドの本質ではと私は思うのだが。そんな、ファッションブランドにさしたる興味を持たずに生きてきた私にとっては、ファションブランドと皮革製品の歴史や関係について初めて知る事柄も多い読書だった。
まず、皮革の文化について語られている。古くから、ヨーロッパでは王族・貴族は毛皮を身に纏って身分の高さを誇示していた様に「皮革」は高級品としての象徴性を持っていた。しかし、同時に各国では革に加工するなめし皮職人は卑しい仕事とされ、ユダヤ人や華僑の客家といった流民や移民が担ってきた歴史が有る。日本でも「皮田」と呼ばれた特殊な集団がこの仕事を支えてきた。まさに、屠殺に対する宗教的忌諱感や皮なめしの工程で使用されていた動物の脳しょうの悪臭が差別感を生んでいたようだ。
ただ、欧州では中世の終わり頃には「皮なめし職人」の技術は評価された結果、技能集団はギルドを構成した。イギリスでは「レザーセラーズ」として独占販売権・技術独占・新規参入阻止をしてブルジョア集団化していくとともに政治的地位も獲得していった。
こうした皮革産業の構造変革を促したのは、ナポレオンによる近代戦争と言われている。近代戦争では軍関係の皮革需要は大きく、都市ごとの閉鎖的なギルド組織に支えられる限定的な生産モデルでは対応出来なかった。ただ各地の職人の技術は温存されて、バルカン半島で原皮を手に入れ、スペインのコルトバで製品を作り、ヴェネツィアで販売店を開いているビジネス・パートナーに渡すという国際分業体制、大量生産体制が構築されていった。
「ブランド化された高級品」と「大量生産された製品」は一見結びつかないように思うが、何故皮革製品がブランドの看板商品になっていたったのかという疑問に著者は次の様に答えている。「服飾は毎年新作が発表されるが、皮革製品は一つの製品が何十年も売れ続き、衣服と違って国ごとにサイズを取りそろえる必要もなく、時として男女兼用だったりもする。こうしたことから、ファションメーカーの利益の過半は皮革製品から生まれている」と聞くと、ファションビジネスモデルで見ると皮革製品は特別な範疇にあるということが良く判る。
本来、中世の王侯は専用の仕立屋を自宅に呼びオートクチュール(オーダーメイド一点物)として服を作って来たが、より多くの客を相手にする為に19世紀にはメゾン(高級服飾店)を構えて客を店に呼ぶという効率化を図った。加えてミシンが発明されたことで製作の効率化を可能にして行った。これがブランドの量産化の最初の変革であり、メゾン体制のもとパリが世界のファションブランドの中心となっていった。
しかし、パリの伝統的なファッション業界の優位性も第二次大戦後から揺らぎ始める。それは「ブランド品」は一握りの特権階級の占有物ではなく、膨大な中産階級の需要によって成り立っているという見方をして、著者は「ファッションの民主化」と表現するとともに、ファション業界の量産化が進む。
また、革の衣服の象徴性はジェームス・ディーンの黒革のジャンパーとブーツに始まり、「アウトロー」・「プロテスト」を表現するものに変化していく。1970年代にベビー・ブーマー世代が成人となり、それまでの「少数の文化人や芸術家によってリードされていた文化活動」とは大きく異なる「数の力」や「豊かさ・余裕」が消費者活動の主役となった。それを取り込もうとするブランド戦略はある意味でブランドのサブカルチャー化であったというのもうなづける。ファションが著者の言う「庶民の思想的トレンド」であればブランドのデザインの方向を決めるのは時代なのかも知れない。富裕層も若者も同じものを着るという「平等」と「自由」であり、これを業界の人達は「民主化」「第二のルネッサンス」と呼んだようだ。
ものづくりとして、こうした動きを可能にしたのは、大量生産体制、グローバル化したサプライチェーン、複数企業の連携だったとしている。その中で著者は各人が同じ製品を持ちながらも、オリジナリティーを発揮するために使い方、着かたに自分なりの主張(襟を立てるとか)を少しだけ加えることの重要性を「3%ルール」といっている。
一方、製造業に関する国の規制も強化されていく。伝統的な皮革製造プロセスで使用されて来た漂白の為のホルマリンは使用禁止となり、石油由来の仕上剤などを水溶性剤に代えて環境汚染を減少させ、排水処理の効率化、廃棄物のリサイクルの推進などが行われて来た。こうした環境問題への対処に加えて、動物愛護の流れは強くなっていく。そうした動きを加速させた例として、2015年にエルメスのバッグ「バーキン」に使われているクロコダイルが残酷に殺されているとの批判を受けて、その名前の由来主である女優のジェーン・バーキンがエルメスに自分の名前を使わない様に要求したというのも象徴的な事件であった。こうして、希少動物の捕獲禁止、製造プロセスでの使用薬品の制限、毛皮取引制限などを守る事がブランドの評価に加わってくる時代となってからも、皮革の代替品として合成皮革開発では、ルイヴィトンが通気性のあるポリウレタン開発に成功して以降、「革」と「合成皮革」を組み合わせた製品が作られ、今や天然合皮のヴィーガンレザーが登場してくる。
「革製品は触ることで良さを体感する。品物と自分のコミュニケーションの第一歩」で「持ち手と作り手の会話」と著者は言う。ただそれはブランドを選ぶ以前に、どんな革が自分として好きなのかということだと思う。私は革製品について興味もあるし、日用品として長財布、名刺入れ、書類鞄などはコードバンの製品を長く使っている。それらは「大峡製鞄」や「いたくら」といったブランドよりもコードバンという革の手触りや使い勝手で選んでいる。今更ながら、革製品と言えば靴やベルト、キーホルダーなど多くの革製品に日常生活は支えられていることに気付かせされた一冊だった。(内池正名)
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