福島の原発事故をめぐって、ほか【山本義隆、ほか】

福島の原発事故をめぐって、ほか


書籍名 福島の原発事故をめぐって、ほか
著者名 山本義隆、ほか
出版社 みすず書房(104p)
発刊日 2011.08.25
希望小売価格 1,050円
書評日 2011.09.13
福島の原発事故をめぐって、ほか

+「日本の大転換」中沢新一/「原発社会からの離脱」宮台真司、飯田哲也

福島第一原発の事故をめぐって、たくさんの本が緊急出版されている。

事故を起こした原子炉で圧力容器の内部がどうなっているのか、いまだに詳細は分かっていないし、収束の見通しがきちんと立っているわけでもない。6月刊の本ならゴールデンウィーク前後、8月刊なら5、6月には執筆・編集しているはずだから、まだ水素爆発などで事故の規模や被害の様相が大きく変わる可能性もあった。ひとつ間違えれば焦点のずれた本になったり、一瞬で消えてしまうトンデモ本にもなりかねない。

でも、今回の事態はチェルノブイリ級の汚染を東日本全域や海洋にまきちらし、この国のありようを何世代にも渡って変えてしまうほどの過酷事故であり、また原子力発電という科学技術をめぐって根底的な疑問が出された歴史的(文明論的)出来事でもあった。とすれば、いろいろな論者がさまざまな立場からこれを論ずるのも当然のことだろう。

以前にもこのbook naviで、事故に対して活発な発言を続けている小出裕章の本や開沼博の『「フクシマ」論』を紹介したけど、その後に読んで刺激を受けた3冊の本を取り上げてみよう。

『フクシマの原発事故をめぐって』の著者・山本義隆の名は団塊の世代にはなじみ深い。元東大全共闘議長で、著書『磁力と重力の発見』で評価の高い在野の科学史家。「物理教育のはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできた」立場から「原子力発電に反対する理由」を論じている。

山本がとりわけ注目するのは、なぜ戦後日本で原子力発電が「国策」として遂行されたかについてだ。1950年代後半、原子力発電にむけてアクセルを踏んだのは時の総理大臣・岸信介だった。岸は回顧録のなかで、こう語っている。

「日本は国家・国民の意思として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることが出来る」

日本の原電推進が裏では核兵器保有の可能性を維持するためのものだとは、これまでも指摘されてきたけれど、山本はむしろこちらこそ本当の目的だったと判断する。

「この時点では原子力発電の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、むしろ日本が核兵器を有すること自体、すなわちその気になれば核兵器を作りだしうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた」

この見方からすれば、欧米諸国が技術的に困難と判断して撤退した核燃料サイクルにいまだにこだわっていることにも納得がいく(同時に核弾頭を運ぶ国産ロケット技術にこだわっていることにも)。使用済核燃料再処理とウラン濃縮によって、核兵器の材料であるプルトニウムの保有が実現するからだ。実際、日本は国内に核兵器1250発分のプルトニウム10トンを貯めこんでいる。2006年に当時の通産省産業審議官が「核燃料サイクルは産業政策の枠を超えて、外交、安全保障政策と統合して対処してゆく」と述べていることからも、その考えが今も貫かれていることが分かる。

「潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった」

だからこそ、「経済的収益性はもとより、技術的安全性さえもが、二の次、三の次の問題となってしまう」のだ。

山本は、さらに科学史家として近代科学がどのように成立したかを展望しながら、20世紀のマンハッタン計画(米国の原爆製造計画)で、国家主導で軍産官と学者が総動員される巨大科学技術が成立した歴史をたどっている。結論として山本は、「原子力は『人間に許された限界』を超えている」と述べる。

この「原子力は『人間に許された限界』を超えている」ことを、中沢新一は『日本の大転換』のなかで「生態圏」と「太陽圏」という言葉で説明している。

人間がこれまで使ってきたエネルギーは、植物や石炭・石油にしても、太陽エネルギーを光合成など何重にも媒介し変換して生態圏に持ち込んだ「生態圏に属するエネルギー」だった。でも原子力は原子核が分裂して高エネルギーを生み出す「太陽圏に属するエネルギー」であり、言わば「小さな太陽」を媒介なしに直に地球の生態圏に持ち込んでしまった。地球外部で起きる太陽圏の現象を地球の生態圏内部で起こそうとする原発は、石炭・石油などそれまでのエネルギーとは本質的に異なるものであり、太陽圏のエネルギーによって生態圏が損傷を受けた場合、それを「癒していく能力を、私たちの生態圏はもっていない」。

本来、人間の生態圏の外にあるべき原子力エネルギーの暴発。1000年に1度の大津波。そのような震災と原発事故の体験は「私たちに新しい思考の出現を促している」と考える中沢は、「『太陽と緑』という名の『緑の党みたいなもの』」を提案している。原発をすみやかに退場させ、太陽光発電(中沢によれば、それは電子技術で模倣された植物光合成のメカニズムだ)など再生可能エネルギーに転換させるとともに、過剰な合理性が支配する市場原理で覆われたこの社会を別の原理で組み替えなければならない。その新しい原理を中沢は「キアスム(交差)」と呼ぶ。

「キアスム」というのは、人と人、あるいは人と自然が接したり交換する場合に、互いがつながりあおうとする心の作用を指す。要するに人と人、人と自然・モノの関係を計量可能な合理性だけで考えない、近代以前の社会ならどこでも見られた心のありかたのこと。例えば、津波や原発事故で故郷を追われた農民や漁師が土地や海に抱く「深い共感情・共感覚」のことだ。

『日本の大転換』は、そうした新しい運動を起こすための「党みたいなもの宣言」になっている。もっとも、ネットで調べた限り、まだそれ以上の具体的な動きはないようだ。いかにも中沢らしいアイディアと思考にあふれたマニフェストだけれど、それを現実の思想・政治運動として成立、持続させるには、中沢が最も不得手とする(だろう)実務と組織の能力が要る。そんな力を持ったスタッフと組めるのか、期待したい。

ところで2冊の本の著者、山本義隆が1941年生まれで団塊の世代より一世代上、1950年生まれの中沢新一が団塊のいちばん若い世代に属するのに比べて、『原発社会からの離脱』で対談している2人の著者、宮台真司と飯田哲也はともに1959年生まれ。団塊の次の世代に属する。その世代の差が、原発事故をめぐる思考と行動の違いとして現れているのが印象的だ。

宮台と飯田は「原発社会からの離脱」を目指すけれど、「反原発」を正面に掲げることをしない。それは2人に、こんな認識が共有されているからだ。

「(原子力推進と原発反対の)二項対立だと、相手の穴を狙って論破すれば勝ち、ということになります。でも勝っても現実が何も変わらないなら、そういう議論は不毛です」(飯田)

「現実に作用する権限を持った者の側に、圧倒的に責任があることは間違いない。そうした非対称な関係のもとで、実際に行為する側は政治的な無責任を決め込み、批判者は有効性を度外視したままひたすら反対運動をやり続けてきた。その結果、何も変えられないまま、今回の惨事にいたった」「ベビーブーマーズの人たちが、フランスだと34時間労働制、ドイツだと35時間労働制、アメリカにおける積極的是正措置(アファーマティブ・アクション)というように制度の成果を残しています。それに対して、日本の団塊世代といわれる方々が何を制度として成果を残したか。政治的な成果を何も残していません」(宮台)

社会学者として80年代以後の日本社会を論じてきた宮台。原子力技術者から転じて、各地で自然エネルギー普及を実践してきた飯田。2人は、「食とエネルギーを手がかりにした共同体自治による復興」を提案する。

食は措くとして、自然エネルギーについて飯田はこんな設計図を描く。これまで、自然エネルギーの普及というと、国が研究開発するか、補助金をつけるかの「上流」のことしか考えてこなかった。しかし、ヨーロッパのやり方を参考にすれば、市場のインセンティブを使い、市場を拡大することによって普及させる需要側の政策を取ることが有効だ。消費者が電力会社や発電方法を選べる「電力自由化」によっても、炭素税や環境税を導入することによっても、自然エネルギー導入を進めることができる。このとき、「地方自治体がエネルギーと環境の政策の主導権を持つ」ことが重要だ。

ただし、「共同体自治とは、自治体への権限委譲ではありません」と宮台は言う。「任せる政治」から「引き受ける政治」へ、「もっとちゃんとやれよ」ではなく「自分たちでちゃんとやります」という政治に転換しなくてはならない。そのためには、一方ではシステムの「産業構造改革・税制改革・霞が関改革が必須」だし、他方、日本人の心のなかの「『今さらやめられない』『空気に抗えない』といった言葉に象徴される独特の<悪い共同体>の<悪い心の習慣>」を断ち切らなければならない。

宮台が指摘するシステムの問題も心の問題も、第二次大戦時のこの国が抱えていた「失敗の本質」につながる、いわばこの国の宿痾のようなことだから、事は簡単ではない。

また、宮台と飯田が「団塊の世代は制度としての成果を残していない」と言うように(痛いなあ)、全共闘運動は政治的有効性を軽視(というより無視)していたから制度的改革に関心が向かなかったし、運動が退潮した後、結果として「任せる政治」「もっとちゃんとやれ」と言うだけの政治に加担してしまうことになった。でも今度の大震災と原発事故は、団塊の世代を含めあらゆる世代の人間が、子どもや孫の世代にどのような国を残すのか、そのためには何をやらなくてはいけないのかを改めて考えることを求めている。

「歴史を振り返ると大災害は爾後を二つに分ける。従来の権益まみれの<システム>におさらばして飛躍する社会。権益まみれの復旧をめざして沈没する社会。飛躍するにせよ、沈没するにせよ、大災害は当該社会の歴史的転移を速める」

宮台のこの言葉を噛みしめたい。(雄)

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