書籍名 | ひととせの-東京の声と音 |
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著者名 | 古井由吉 |
出版社 | 日本経済新聞社(251p) |
発刊日 | 2004.10 |
希望小売価格 | 1890円(税込み) |
書評日等 | - |
1937年生まれ、東京流入二世と自称する古井が声や音をキーワードとしてまとめた57編の小文集である。生活の中の音の感じ方は評者と10才年上の古井だけに時代の差を実感するが、その違いは違いとして彼の持つ感性と表現が楽しめる一冊だ。
いまや東京では音で季節の移り変わりを感じるとのいうも希薄になってしまった。逆説的にいえば、車も人通りも少ない静かな(音の無い)季節が正月を実感するというのもなにやら寂しい。表現されている多くの声と音は、忘れていた記憶が掘り起こされ、懐かしさがふつふつと湧いてくる
「・・あれは気象概況と呼んだか朝の子供の起きる時刻にラジオから日本全国の島やら岬やら観測定点の、風向きと気圧をつぎからつぎへ読み上げる。あの声が耳に切迫して聞こえたものだ。」
そう言えば、小さい頃聞いた気象概況は早口で抑揚のない声にある種の怖さも感じていたことを思い出される。しかし、あのラジオは朝聞いたというより、夜聞いたように思っていたが、何か思い違いか? また、吉井はその気象概況を最近聞いた感想をこうも言っている。
「・・・その声が昔ほどに切迫して聞こえないことに首をかしげた。読み上げ方が昔よりゆるやかになっったのか。・・・・しかしまた、聞く側の耳が変わったとも思われる。」
はたして年をとった分だけゆったりと聞こえるものなのか。そんなこともありそうだと思う一方、映画の東京物語について、古井は会話ののろさを指摘している。表現としてののろさ以上に、時代の日常としてののろさだった。「・・・・人の声と人の耳がはっきりと違ってきたのはいつ頃だろうか・・・」と古井は言っている。自分の加齢と時代の流れの双方が変化を生む。そんなことを考えはじめると何が自分の軸として存在しているのか確かめたくなったりする。ふと、NHKの気象概況を聞いてみたくもなり、「東京物語」を見てみたくもなる。
夏の声についての文はなかなか小粋である。
「夏は夏なりに、人の声のほうもそうなるようだ。
-おい、あまり暑苦しい声出すなよ。
-そう言う、あんただって。
そんな男女のやりとりを、通りすがりに耳にはさんだことがある。お互いに辟易したような青息吐息の声ながら、手放しで睦んでいる。」
そんな会話から二人の男女を表現できる古井の非凡さを実感する。砂の中から小さな宝石を拾い出してくるように。
「ベッタラ市の頃、晩秋は、夕食時の茶碗の音がどこか冴えて響くように感じられるのもこの時期だ。・・・・」
「歳末には家を綺麗にする。・・女性たちがガラス戸を磨く音に・・・・」
こうした、日常の音に四季を感じつつ一年を終えている。何ページ目から読んでも良し、一週間に一文読んでも良し。読書のスピードさえもゆっくりとなってしまう。そんな一冊である。日本経済新聞に連載されていたエッセイのため、時としてゆるい感じのする文章もある。決められた字数に作り上げる苦しさか。 (正)
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