不良定年【嵐山光三郎】

不良定年


書籍名 不良定年
著者名 嵐山光三郎
出版社 新講社(240p)
発刊日 2005.2.10
希望小売価格 1429円+税
書評日等 -
不良定年

8年前に嵐山光三郎が書いた本に「「不良中年」は楽しい」(講談社)がある。

当時、嵐山は55歳。彼が人生の師と仰ぐ色川武大=阿佐田哲也が、「50歳になったら何をやってもよい」と書いたのを受けて(色川の場合、それ以前だって放蕩無頼の人生だったように見えるけど)、中年よ不良化しよう! という魅力的なメッセージだった。
はやりの「面白エッセー」のひとつだったけど、ひと世代下の人間としては、実践的(?)にもけっこう影響を受けたものである。

色川はすでに亡く、嵐山は今年、63歳。で、出した本のタイトルが「不良定年」だ。

2007年問題というのは、この年に団塊の世代のなかでも最多数派である1947年組が定年を迎えることによって、企業の人件費が減ったり、同時に熟練労働者の不足に陥ったり、社会の負担が大きくなるといった「諸問題」のことだけど(かくいう僕も、そのひとり)、この本は数年のうちに定年を迎える団塊の世代に向けた誘惑の書と読むこともできる。

もっとも嵐山本人は、あくまで自分自身が「不良定年」を楽しめばいいので、他人を啓蒙するつもりなんかさらさらないだろうけど。

この8年の間の変化といえば、「不良中年」では自分のことを「オヤジ」と呼んでいたのが、今度の本では「ジジイ」である。歳月を感じてしまうが、彼の場合、「オヤジ」にしても「ジジイ」にしても、言葉に対する世のマイナスイメージを逆手にとりながら、それをプラスに転化させてしまおうとする戦略がある。

雑誌「LEON」が得意とする「モテるオヤジ」なんて用語も、嵐山のこういう使い方の延長上にあるのかもしれない。10年後には「モテるジジイ」の特集をやってたりして。

ともかくも、嵐山のいう「不良定年」に耳を傾けてみよう。

「定年には体力も知力もいる。……六十歳すぎてから、給料を安くして、また、もとの会社に雇用されるというシステムができた。私にいわせれば、一度出所した前科者が、刑務所の生活を忘れられずに、わざと犯罪をおかして再入獄する心情に似ている。……一度釈放されたんだから、ひらきなおって別の道を捜したほうがすっきりする。……いままで働いてきた経験を生かしつつ、個人としていかにそれを応用できるかが、定年後の人生を再構築するコツである」

と、このへんはまだ世にあふれる「定年本」と大差ない。今は企業の定年セミナーだって、このくらいの脅しはかけてくる。企業のココロは、あんまり会社を頼るなってことだけど。

「不良定年は、自分の内に眠っていたオスの野性をとり戻すことである。自然児に戻ればそれで不良定年になる。「ジジイズ・ビー・バッドマン」(老人よ不良精神を抱け)と申し上げたい。不良は生きる活力源である。/不良は自分のルールを持たなくてはいけない。世間の常識である「期待される老人像」になる必要はない。いままで会社のなかで束縛されてきたモラルに代わって、自分なりの原則を考え、それを実践する」

このあたりからが、嵐山流「不良」の極意だ。彼は「自分のルール」を「思いつくままに」100も列挙している。「思いつくままに」というのは、要するに「遊びだよ」ってことだけど、ただの言葉遊戯かというと必ずしもそうではなく、遊びでもあり本気でもあるところに、この本の面白さがある。ちなみに100のうち最初の10項目を引いてみる(カッコ内も嵐山の文章)。

  •  ?約束した事は、呆けて忘れる(老人は常習犯である)
  • 借金も、呆けて忘れる(これも常習)
  • チャンスがあれば浮気する(一期一浮気)
  • 馴じみの飲み屋へ行かない(旧縁を切り、馴れあわない)
  • 競輪三昧(車券は百円のお遊びで十分。競艇・オートも可。宝くじは買わない)
  • 妻の預金をおろして使う(当然の権利だ)
  • 落ちぶれた同僚にたかる(同情しないことが相手のためだ。同情は命とりとなる)
  • 信号は無視する(ただし、周囲をよく見て)
  • いっさいの謙遜をしない(昔のまんま)
  • 絵手紙をよこす人へは返事を書かない(それほどヒマじゃないので)

「不良定年」の姿勢がどんなものかは、これでだいたい見当がつくだろう。世の常識や良識を自分ひとりでひっくり返してしまえというわけだ。もっとも、そんなふうに生きるには、それなりの知恵と体力とカネと、なによりダンコたる覚悟がいる。ほかに気になったものをいくつか書き写してみる。

「妄想に生きる(想像力を喚起する。俳句もそのひとつであろう)」--嵐山は、ひとりでのたれ死んだ荷風、75歳で「瘋癲老人日記」をものした谷崎を不良老年の鑑と呼ぶ。凡人のこちとら、文豪や嵐山の兄貴には及びもつかないが、せめて志だけはそうありたい。

「ヒューマニズムよりニヒリズム(無神論で自分をクールに見つめよ)」--歳とったら他人のために生きる、なんて「ボランティア心」が起きるものだけど、ここは思案のしどころ。

「淋しさを食って生きる(孤独は老後の栄養である)」--つまりは荷風、谷崎の徒になるかならないか。みんなで支えあって生きていくのか、それとも孤独に生きる覚悟があるか、ってことですね。

「とぼける(老人の特権である。具合悪くなったらアクビすりゃいいの)」--なるほど、そういう手があるのね。

「二律背反を是とする(生きる証し。不易流行でいく)」--自己矛盾を気にしない。これはけっこう大事なことかも。「不易流行」とは、「志は高く持ちつつも、俗世間を肯定して軽やかに生きた」芭蕉の言葉。

「ハイカラ主義(身なりをよくするのは、不良定年者の基本的心得である)」--定年者がみすぼらしかったら、ほんとに濡れ落ち葉だもんね。

「テーマを持たない(なりゆきでいけ。テーマを持つとインテリに戻って、また企業戦士となる)」--企業戦士は目標を設定をして、そこにいく道筋とコスト・パフォーマンスを考えるのは得意だからなあ。

「昼からビールを飲む(酔っぱらって繁華街を歩きましょう)」--これはほんとに気持ちいい。

「軟弱にいく(年寄りだから当然のことである)」--がんばらないことが大事、ってことですね。

「美的生活(これが余裕というものだ。一輪の野草を見つめよ)」--鈴木清順が「花一輪もって死にたい」と言っていたのを思い出す。

とまあ、「嵐山ルール」はこんな具合につづいている。これがいわば総論で、本の後半は「不良定年」嵐山の日々の生活や旅や句会の日録。

さっきもちょっと触れたけど、不良定年の「ルール」がお遊びで終わらないのは、嵐山が口説の徒でなく色川武大門下としてこれらを身をもって実践しているさまが文章の背後から滲みでてくるから。だからこそ、彼の文章にはアジテーションの力が宿る。そして、そのアジテーションにふらふらと乗ってもいいかなと思わせる、誘惑する力を持っている。(雄)

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