はじめての福島学【開沼 博】

はじめての福島学


書籍名 はじめての福島学
著者名 開沼 博
出版社 イースト・プレス(416p)
発刊日 2015.03.01
希望小売価格 1,620円
書評日 2015.04.17
はじめての福島学

3月11日の原発事故から四年が経って、落ち着いて来た領域もあれば、まだまだ不安定な状況を続けている点も少なくない。ただ、落ち着いたと思えるところも、問題が解決したわけではなく、人々が忘れつつあったり、直接的な傷が見えなくなったということでしかない事柄が多いように思う。福島の問題は多岐に亘っている。正しく理解し議論するための前提知識も広範囲に必要とされるという厳しさがある。本書はこの四年間の「福島」の現実を数字としてとらえ、正しい理解にたどり着く手順を示すとともに、「とりあえずこれだけは知っておいてもらいたい」という事柄を一冊にまとめたと著者、開沼博は言っている。福島出身で3.11のあと福島大学で教鞭をとりつつ、日々地元に根付いて活動している人間からの発信として、先入観なしに本書を読んでみた。

そこには、「現実をまっとうに理解する」という面があるとともに、福島の問題とは「日本全体で今後起こるであろうと想定されていた問題が福島で先鋭的に発生しているのであって、福島固有の問題ではない」という視点で粘り強く語られているのが印象的である。福島の状況を何も知らない人からは「福島はどうなるか判らないからね」という発言が多い。

「それは、あなたが福島のことをどうなるか判っていない、ということだ。いろいろデータがそろってきた中で『自分で判ろうとする努力をしないで思考停止している』のは『福島が判らない』のとは違う。自分自身が『判ろうとしない』だけの問題を『判らない』と相手のせいにしてやり過ごそうとする大変迷惑な話なのだ」と語る。こうした挑発的な書きぶりが随所に見られるものの、それらが問題理解の難しさに起因していることを十分承知の上で本書は作られている。また、情緒的な不安感や差別感の醸成などに結果的に加担している論者、メディア、政治家などに対する問題提起の一面も持っていることを指摘しておきたい。

著者の開沼博は昭和38年福島県いわき市で生まれた「社会学者」。3.11後、福島大学の「うつくしまふくしま未来支援センター」の特任研究員を務めている。生活者目線からの発言・活動が特徴的であり、住民レベルの善意とその活動が支援達成の必要条件であるとの確信を持ちつつ、同時に彼は県や国レベルの施策を実現させるための「コツ」や「したたかさ」といった能力も発揮してきた人間である。本書の冒頭では「福島を知るための25の数字」というリストが示されている。福島県の2010年2011年の米の生産高順位、震災後県外で暮らしている人の割合、直近の福島の有効求人倍率(就業地別)の順位、福島県の平均初婚年齢の順位、等の誤解を持たれやすい数字を使って、福島の復興、人口、農業、漁業・林業、二次・三次産業、雇用・労働、家族、などの論点を語り、状況の正確な理解に向けて本書は構成されている。

福島の現状で言えば問題の解決のためにはまだまだ多くの「障壁」が存在しているのだが、まず「福島の政治化」という視点に開沼は言及する。福島というとどうしても「避難」「放射線」「原発」といったビックワードが並ぶのが常である。これらについて議論しようとすると一定の知識が求められるとともに、立場が分かれるため双方の意見の溝を埋めることが難しくなる。そこが政治化たる所以なのだが、開沼は「福島の生活者からすると『福島に行く』ことと『放射線』や『原発』とは別の話ですが、遠くから見ていると『福島に行くこと』自体が政治的立場の表明になりうる」と指摘する。

こうした感覚は評者としても感ずるところだ。生まれも育ちも父の仕事の関係で東京だったが、もともとは福島市の出身である。2年前から縁あって福島市のとある企業の依頼を受けて月一回のペースで会議の為に福島に通っている。近くの寺には父の墓も含め代々の墓があることから、仕事と墓参の両立である。それを人に言うと「大変ですね」とか「ご苦労様」と言われることが多い。「いや、別に大変ではありません、仕事ですし、新幹線で一時間半程度ですから」という言葉では相手の期待した答えにはなっていないようだ。こうした感覚のギャプはなかなか説明して埋められるものではない。

二つ目の点は「福島の問題の科学化」という視点である。最近とみに福島の問題に言及すると科学的に高度すぎて一般人にはハードルが高くなりすぎる傾向は否めない。その対応策として開沼の提言は、「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子供達」といったビックワード6点セットをあえて外して考えてみようという試みを行っている。そして、この6点セットの様な表面的に使いまわせる言葉を利用して「いかにも福島らしい」特殊な問題風に語っているその背後にこそ、日本全体、世界全体に通じそうな普遍的な問題があり、それを炙り出そうとする視点の重要性を開沼は主張するのだ。加えて、データと理論を使って問題を語るということを徹底しているのが本書福島学のポイントである。

「独自の複雑の文脈を持つことになった福島の状況を学問的にいって体系的且つ継続的に分析・考察し知の蓄積を行っていくことを目的として私が始めた。・・・論理とデータを通した議論のベースを再設定することによって、日本の社会が抱える複雑な病巣・・もっと具体的に言えば地方の窮状や産業・医療福祉などテーマ横断的に抱えられている債権すべき部分を洗い出している」

ただ、3.11以降、原発や放射線といった議論をけん引してきたものは「科学的視点を忘れずに知見を積み重ねて議論する」ことの重要性であったことは論を待たない。しかし、時としてこの領域では専門家の話が聞き手たる非専門家にとっては「知識」ではなく「単なる膨大な情報」としてしか受け止められない現実がある。「前提知識」や「複雑性」を理解するだけの知的体力が求められているものの、それが出来ない人が数多くいると言うことだ。そのために、「洗練され過ぎていない知識=ローコンテクスト」を用意して普通の人の議論が行われることを開沼は目指している。そうしないと普通の人達は「ハイコンテクスト化された知識を理解できない」と言う前に、センセーショナルな話に飛びつき、お涙頂戴、感動話、あれもこれも政府が悪いといった議論に陥ってしまうという危険を指摘しているのだ。

「ビッグワード」や「ハイコンテクスト化」された言葉は便利な言葉で、福島の問題の全体像を語っているような雰囲気になることが出来るのも事実だ。しかし、開沼が語り、掘り下げていく方法論としては日常目線の数字を、ある時は人口問題に焦点をあて、ある時は農業・林業の抱える問題に焦点を当てている。巻末に「福島への有難迷惑12箇条」というリストや、「福島学おすすめ本・論者リスト」など、開沼の言う「ローコンテクスト化」活動の面目躍如たるものが並んでいて、彼の筋の通し方が良く判る。

本書の最後に「福島のために何かしたい」という人に対する彼の助言は、まず「買う・行く・働く」をやってみたらと書かれている。そう言われてみると評者の毎月の福島行きはこの三点を着実に果たしていることになる。こんなレベルで納得してはいけないと思うのだが、まあ一歩一歩出来ることを実行してみようと思わせるだけでも本書の目的は達成されているのだろう。本書と同じ構成で三年後どんな福島学が出来上がっているのか楽しみなところである。(内池正名)

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