半島を出よ【村上龍】

半島を出よ


書籍名 半島を出よ
著者名 村上龍
出版社 幻冬舎(上432p・下512p)
発刊日 2005.3.25
希望小売価格 上1800円・下1900円+税
書評日等 -
半島を出よ

面白く一気に読んだ。そのことを書くつもりでいながら、気がついたら1カ月も経ってしまっている。真夏の暑さのせいか、こっちの脳が軟化したせいか、小説のディテールをすっかり忘れてしまった。うまく書けそうにないけれど、いま頭に残っていることだけでもメモしておきたい。

この小説の読後感を一言で言えば--よくできたハリウッド映画みたい。

文章から次々にイメージが立ち上がる鮮やかさ、快い語りのテンポ、一筆書きでさっと描く多彩な登場人物の造型、政治と暴力と友情と色恋が錯綜する場面転換の速さ。400字詰め原稿用紙1600枚余りを一気に読ませる。トニー・スコットあたりの映画を彷彿させる上質のエンタテインメントに仕上がっているのだ。

村上龍にはもともと、こういう近未来政治フィクションの系譜がある。「愛と幻想のファシズム」と「五分後の世界」。才能ある作家にありがちなことだけど、どちらも明らかな失敗作だった。そのことについては、この「今月の本棚」で、「2days 4girls」の書評のなかで触れたことがある。

「(細密描写が素晴らしい)一方で龍はあきれるくらいストーリー・テリングが下手なのだと思う。物語を複雑に動かさなければならない作品になると特にそうだ。見事な細密描写が延々とつづいて一段落し、通常の時間や空間にもどって物語を動かしはじめると、とたんに劇画のあらすじのような文章になってしまったりする。「愛と幻想のファシズム」「五分後の世界」なんかがいい例だろう」

「半島を出よ」で、そんなふうに細密描写と「劇画のあらすじ」が接ぎ木されたような不自然さはない。この小説は失敗した2作にも増して政治・軍事・建築・生物学などの知識が詰め込まれた情報小説でもあるけれど、それらがうまく咀嚼され、「劇画のあらすじ」ではなく、いかにも龍らしいイメージの連鎖で物語が動かされてゆく。

一方、彼らしい細密描写は健在だ。「五分後の世界」でもそうだったように、クライマックスの戦闘シーンではすべてが生き生きしている(というより、見事に壊れ、死んでゆくと言うべきか)。

けれどこの作品で僕がそれ以上に舌を巻いたのは、例えば登場人物の一人、シノハラが飼っている何種類もの毒虫の描写。

「ヤドクガエルはオタマジャクシを背中に乗せて運び、水をたたえた木の葉のくぼみなどで育てる。地球上でもっとも贅沢で魅惑的で危険な熱帯雨林で人類の誕生のはるか昔から生き延びてきた。彼らにとっての進化は道具でも言語でもなかった。メタリックなその色彩と柔らかな皮膚から分泌される毒だった」

「ヤドクガエルに限らず両生類の皮膚には角質層も鱗もない。だから悪性のバクテリアやウイルスから身を守るために皮膚粘膜に毒を分泌する。熱帯雨林で生き延びるためには、猛毒と、それとセットになった信じられないような美しい色彩を身にまとう必要があったのだ」

ここでは情報が情報としてではなく色彩豊かなイメージとして提出されている。このヤドクガエルをはじめ、シノハラが飼っている毒虫は小説全体のなかで重要な小道具なのだけれど、情報とイメージと語りが、かつての失敗作のように分裂しておらず、一体となって小説をドライブさせてゆく。

この小説の語り手の一方は福岡ドームを武力占拠した北朝鮮軍のコマンドたち。もう一方は、彼らに戦いを挑むシノハラやイシハラやタテノら、日本社会からはみ出した若者たち。

デビュー以来、この国の多数派に敵意を剥き出しにしてきた村上龍にとって、北朝鮮軍のコマンドの視点に同一化し、「外部」の目でこの国を観察することは、多数派に同一化して普通の日本人の視点に立つよりずっと刺激的な作業なのだろう。

それにしても、北朝鮮軍のコマンドが初めてティッシュペーパーを見て驚く次のような描写が全編に貫かれていることは、なにより龍の確かな目の力を示している。

「パク・ミョンは、紙をつまんで目の前でそよがせた。息を吹きかけるだけで蝶のようにひらひらと揺れる。リ・ギョンウン特務上士は、この紙の束を雁ノ巣で徴用したタクシーの運転手にもらったと言っていた。…つまりこの紙は一部の特権層のものではなく、ごく普通の民衆が大量に使用する安価なものなのだ」

なんでもない描写のようでいて、そうではない。「外部」の目で、この国を見ていく。それが「半島を出よ」を書かせた動機なのだろう。

もともと武装した北朝鮮のコマンドが福岡に上陸するという近未来の設定に、龍自身そんなにリアリティーを感じていたとは思えない。だから、この国の日常に異物を放り込み、それがこの国にどんな反応を引き起こすか、そしてまた異物自身が異なる環境の中でどんなふうに変わっていくかという思考実験が、この小説の狙いだと思える。

ところで、「半島を出よ」は時間と空間がちょっとした入れ子構造になって物語られるけれど、にもかかわらず全体の構造はすっきりと筋が通っていて、時間にも空間にも歪みがない。よくできたハリウッド映画のようだと言ったのは、そのことを指している。

村上龍の小説の面白いところは、細密描写にこだわることによって、あるいは細密描写の積み重ねのみで全体を構築しようとする力技によって、例えば「コインロッカー・ベイビーズ」がそうだったように時間と空間の見通しが効かず、そのために全体が独特に歪んでいる感じを読む者に与えるところにあるのだと思う。

この小説には、そんな歪みがない。だから、読者は安心してエンタテインメントに身をゆだねることができる。けれどその代償として、村上龍を村上龍たらしめている文章の密度は少し薄まってしまったようにも感ずる。といって、これは貶しているのではない。村上龍がこういう上質のエンタテインメントを書いたことを素直に喜びたい。

このところ幻冬舎から出ることの多い村上龍の新作にはほとんど期待を裏切られてきたけれど、これは久しぶりに小説の面白さを堪能した。

小説の舞台である福岡上空からの空中写真に、原色のヤドクガエルを立体的な隆起印刷で配した鈴木成一のデザインもいい。(雄)

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