蛇にピアス【金原ひとみ】

蛇にピアス

痛みを感じているときだけ生を実感


書籍名 蛇にピアス
著者名 金原ひとみ
出版社 集英社(128p)
発刊日 2004.1.10
希望小売価格 1200円
書評日等 -
蛇にピアス

才能という原石が、ごろんと放りだされたような小説だと思った。新人のデビュー作にそんな印象を抱いたのは(たくさん読んでいる訳ではないが)久しくなかった経験だ。何人もが同じように語っているけれど、僕も村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を思い出した。

冒頭の一行目から、小説の最深部に向かって衒(てら)いもなく真っすぐに掘りすすんでゆくのが気持ちよい。

「「スプリットタンって知ってる?」
「何?それ。分かれた舌って事?」
「そうそう。蛇とかトカゲみたいな舌。人間も、ああいう舌になれるんだよ」
男はおもむろにくわえていたタバコを手に取り、べろっと舌を出した。彼の舌は本当に蛇の舌のように、先が二つに割れていた。私がその舌に見とれていると、彼は右の舌だけ器用に持ち上げて、二股の舌の間にタバコをはさんだ。
「……すごい」
これが私とスプリットタンとの出会い。
「君も、身体改造してみない?」
男の言葉に、私は無意識のうちに首を縦に振っていた」

書き写していて、改めて才能だなあと思う。主人公の「私」と男(アマ)との出合い頭の恋の瞬間。最初の10行で、すでに小説のテーマが提示されている。しかもそれが説明でも観念でもなく、「蛇の舌」という鮮やかなイメージを伴って読者の皮膚をざわざわと波立てる。

スプリットタンとは、舌ピアスの穴をどんどん拡張していって最後に舌先まで裂いてしまう「身体改造」のことなのだが、引用した冒頭につづく25行で、金原はそのことをやはり読者の皮膚感覚を刺激しながら説明しきってしまう。

次の段落では、もう一人の登場人物である刺青の彫り師(シバさん)が登場してくる。冒頭の3ページで、読者はもうこの小説のど真ん中に連れてゆかれてしまうことになるのだ。「私」は、シバさんの手で舌ピアスをしてもらう。

「シバさんはピアッサーを縦にして先端をタオルに押しつけた。そろりと舌をはさみ、舌の裏に冷たい金属が当たった。
「オッケー?」
シバさんは優しい声で聞き、上目遣いで軽く頷くと、いくよ、と小さな声で言って指を引き金にかけた。その声で、シバさんがセックスしてる所が頭に浮かんだ。セックスしてる時もあんな小さな声でGOサインを出すのだろうか。ガチャ、という音と共に、全身に戦慄が走った。イク時なんかよりもずっと強烈な戦慄に、私は鳥肌を立ててヒクッと痙攣した。胃に力が入り、それと共に何故か膣にも力が入った。エクスタシーと同じように、陰部全体が痺れた。パシッという音と共にピアスはピアッサーから離れ、自由になった私は顔を歪めて舌を口の中に戻した」

この小説を読んだ何人もが「限りなく透明に近いブルー」を思い出すのは、読む者の身体感覚を揺さぶるこんな描写が次から次へと繰り出されるからだ。時には、舌ピアスの施術が痛いのではないかと心配する「私」に、「焼き肉だとミノの次くらいにタンって歯ごたえありますよね」などと言わせて、読者の笑いを誘ったりもする。自分を客観視できている。達者なんだなぁ。

引用からも予感できるように(こうした伏線が至るところに張られていて、うまい)、アマと同棲した「私」は、舌ピアスだけでなくシバさんに刺青も彫ってもらうことになり、ふたりは寝てしまう。

そこから「私」とアマ、「私」とシバさんの奇妙な関係が展開してゆくのだが、そのセックス描写が結構すごい。僕はこれを電車のなかで読んでいたけれど、自分の娘より若い20歳の女性にこんな描写をされて、車内で開いてはいけないものを開いてしまった気分で思わず周囲を見回した。

主人公は「私が生きている事を実感できるのは、痛みを感じている時だけだ」と思っている。「こんな世界にいたくない。暗い世界で身を燃やしたい」と念じながら、痛みとともに舌ピアスを次々に拡張してゆく。

この小説にはいくつかの単語が頻繁に登場してくる。「神」と「死」と「殺す」。といって、「神」も「死」も観念的な、あるいは形而上的なものではない。もっと即物的で身体的な、パンク・ロックの歌詞のような単純さと、独特のリアリティーをもった言葉として。

「人の形を変えるのは、神だけに与えられた特権だ」(シバさんのせりふ)
「私が神になってやる」(アマとセックスしながらの「私」の内なる声)
「私は死に取り憑かれたとき、(アマとシバさんの)どちらに殺しを依頼するのだろう」
「彫ってる時、お前を殺したくなったらどうしよう」

「痛み」にしか生きる証を見つけられない主人公たちが、そのような「痛み」の極限の形として全能である自分や、あるいは逆に自分という存在の抹殺を日常の中で思いえがく。そのような気持ちを表すものとして「神」や「死」という言葉が彼らの口から発せられている。

舌ピアスという素材は小説世界では風俗的に新しいし、描写も過激だけれど、でも一方で、この作品は基本のところで小説のツボを押さえ、きちんと正統を踏まえてもいる。2人の男と1人の女の「三角関係」というのは、夏目漱石の「それから」や「門」を引き合いに出すまでもなく物語の原型ともいうべきもののひとつだし、アマの死をめぐってミステリー的な要素も加わってくる。

文章も、例えば「限りなく透明に近いブルー」は極端に長いセンテンスで改行も少なく、読みたくない奴は読まなくてよいといった不遜な面構えをしていたけれど、この作品は憎いことにちゃんと読者のことを考えている。父親世代の僕たちが読んでも、一瞬の血の騒ぎと果てしない無為に揺れる主人公たちの心情に、同化はできないにしても共感はできる。

そういうことを20歳の女性がこともなげにやってのけてしまうのを見ては、文学志望だったらしい金原の父親が、「娘に嫉妬する」と言ったとか言わなかったとかいうのもうなずける。

舌ピアスを拡張したあげく、「私」は最後に00Gという直径1センチ弱にまで穴を広げ、後は舌先を裂いてスプリットタンにするだけ、というところまで身体改造を進める。最後に近く、朝の光のなかでペットボトルの水を舌に感じながら、「私」はつぶやく。

「私の中に川が出来たの」

暗い情熱に導かれた小説だけれど、読後感は悪くない。青春小説と呼んでもいいかもしれない。父親でなくとも嫉妬したくなる。楽しみな作家が出てきた。(雄)

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