書籍名 | 東日本大震災復興時刻表 ほか |
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著者名 | 越前 勤 |
出版社 | 講談社(175p) |
発刊日 | 2003.03.01 |
希望小売価格 | 2,625円 |
書評日 | 2003.04.11 |
+「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」福島原発事故独立検証委員会
この二冊を机において、今回の震災と事故とはなんだったのか考えて見る。一年間という時間はまだまだ当面の対処の期間であり、対策についても手探りの期間でしかなかった。特に原発事故に関して言えば数十年といった時間軸で対策の効果を見ていかなければ、その影響実態は判断できないだろう。一方、発生した被害や痛みはどんどん風化していって、残された住民の怨嗟や遺棄された国土だけがモニュメントのように残るという事態だけは避けなければならない。私たちは今回の震災や原発事故で、肉親や仲間、家や風景、生活の場たる海や田畑、伝統や文化などあまりに多くのものを失っている。そうした状況の中からも新たに生まれてきた夢や希望はどんな些細なものであっても拾い上げて行きたい、そんな気持ちで取り上げたのが「東日本大震災復興時刻表」である。
本書は2011年3月11日の発災から9ヶ月間の鉄道運行状況を記録したもの。東北六県と新潟を加えた七県の鉄道を対象としており当日の被害状況や臨時ダイヤなどの詳細を調べ、日々復旧していくダイヤを路線毎にまとめている。筆者は仙台在住の鉄道マニアであるが、その努力は大変なものであったと思う。特に発災直後の臨時ダイヤは緊急対応そのものであり、一日から数日限りの運用で、各駅に運行情報が張り出され地元利用者への告知のみでその使命を終えていったものだ。こうした運行記録や臨時ダイヤは市販の時刻表に載せられることもなく、消えていくのが普通である。そうした日々の変化を地道に確認し、地元新聞の記事を丁寧に拾い上げることなどでこの本は出来上がっている。
掲載されている被災時の駅舎や車両などのショットは一般の報道写真として公開されているものも多いが、趣を異にしているのは、普段は磐越西線で運行している485系や往年の東北本線の特急車両だった583系が『臨時』というロゴを表示して走行している写真などは鉄道マニアの視点からでないとその特殊性を理解出来ないだろう。JRを始めとする鉄道事業者が持てる資材・装備・人員を駆使して臨時編成の特別列車を運行させていたことがわかる。
路線の復旧推移を見ると、震災翌日に再開できたのは上越新幹線はじめ新潟県下と東北常磐の関東圏の在来線で約20%。3月13日になると東北圏内の私鉄数社が再開。3月14日以降になって東北日本海側の路線が再開するなど、徐々に復旧する路線が拡大して行っている。この間も4月7日の最大余震発生とともに復旧区間は再び大きく落ち込むことになるが、4月29日に東北新幹線が全線復旧して全国の新幹線ネットワークが復旧している。また、運休原因別の路線長比率などを見ると、運休区間の約50%が地震のみの被害によるもの。約20%が非電化区間を中心に気動車の燃料供給不足。同じく約20%が計画停電や節電対応で運休した路線。残り5%は津波の被害による影響。1%が福島原発20km圏内の常磐線の路線となる。このようなマクロ的な復旧状況の理解とともに、各路線の時刻表からは3月11日からの数日間は殆ど空白であるが徐々に列車数が増え始め、運行区間が広がっていく様子が実感できる。こうしたミクロ的な把握からも正常運行へのステップが判る貴重な記録だと思う。
今回の震災における鉄道や輸送についてはいくつかの論点が指摘されている。その一つは鉄道の災害対応能力である。特に新幹線は発災時に39本の列車が運行中であったが、本震の数秒前から減速が開始された結果、全ての営業列車が脱線を免れている。これはシステムとしての対応能力としては完全といえ、奇跡に近いともいえる。この仕組みやシステムはもっと評価されてしかるべきだ。また、新幹線ネットワークの拡大とともに、物流の主力は鉄道から高速道路と大型トラックにその座を譲ってきたのがわが国の姿だ。しかしその物流のバックアップも在来線が力を発揮したことなどから見ても輸送における鉄道のあり方は再確認されるべきだと思う。
次に、「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」を読んだ。日本再建イニシアティブ財団の最初のプロジェクトとして行われた調査・検証の記録である。民間で検証を行う意義を財団のプログラム・ディレクターである船橋洋一がこう主張している。
「・・・公共政策の遂行と政府のパフォーマンスの検証と評価を、政府からも、業界からも、政治からも独立した民間の立場で行う。それは、健全な民主主義の発展にとって欠かせないオーバーサイト(監視・監督)機能を強化することにつながる。・・・」
そもそも、原発の開発・建設・運用といった事業は産官学の極めて密接かつ閉鎖的な世界のプロセスで続けられてきた。そうした、わが国の原子力政策であればこそ、独立した目線での検証は必要という理屈は誰にでも理解できる。問題は、本当に民間事故調が独立した存在としてなり立っているのかを冷静に判断する必要があるということだ。それほど国民は原発にまつわる人達や体制に不信感を持っていると思う。
本書は全体が4つの構成に分かれている。第一部は、3月11日からの福島第一原子力発電所内で発生していた事象や外部に放出された放射性物質の影響などのまとめ。第二部はこの原発事故発生時の対応がまとめられており、本報告書の特徴的・中核的な部分である。政府の危機管理センターにおける対策本部の機能とその活動結果の評価を始めとして、官邸、経済産業省、東京電力、保安院、安全委員会、など、この事故に係わりを持つ国家組織や会社組織がどう機能したのかを検証している。第三部は原子力規制の課題、安全のガバナンスのあり方などをポイントとしている。第四部はグローバルな観点から、安全のための各国間のピアレビュー、核防衛、事故対応としての日米同盟といった点が示されている。このように本書で扱われている論点は広範なものである。それだけに各論点の掘り下げについては不満もあるし、議論もあるところだろう。しかし、まずはマクロ的に論点を構造化して提示した意味は評価したい。
また、官邸や東電、経産省などの判断プロセスにおける議事録が残されていないという実態から、当時の菅総理、海江田経済産業大臣、枝野官房長官、細野補佐官、斑目原子力安全委員会委員長などに対して行ったインタビューに重きを置いている。本書が2月末に発刊されるや、多くのメディアに取り上げられた理由はそこにある。ただ、彼らの発言や行動からみた判断プロセスは全てにおいて混乱の極みであったことが良くわかる。情報が断片的であることとともに、人間同士の信頼感の喪失、組織間の協業機能不全は目を覆うばかりだ。ある人は菅直人の性格やマネージメント・スタイルについて批判している。本書のインタビューからも彼の強権的で恫喝的な物言いの一端が示されている、それはそれで明らかにリーダーとしての資質や適格性の問題はあるものの、同時に、専門家や官僚が機能していないことも大きな問題だ。それは、専門家としては未知の事態に対して、「予測」ではなく「判断」することの難しさに直面して、思考停止状態に陥ったと言ってよい。民主党ひいては菅直人自身の官僚嫌いがこうした効率的判断や情報の一元管理を困難にした一因でも有るだろう。
また、大きな論点として本書で「エリートパニック」と称している「国民をパニックに陥れないための『情報隠蔽』が行われていた」という事実について、「国民はどのレベルまでの情報を共有すべきか」という点で、我々にこれからの国家のあり方としても大きな課題を残したと思う。この点は我々の内なる弱点である、「お上依存型」かつ「自己責任回避性向」とのバランスが問われている。
二つの記録の読後感は大きく異なる。「東日本大震災復興時刻表」は現場の人間の努力や行動の成果について納得感を持ちつつ一つの完結した記録として読み終えることが出来た。一方、「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」については論点の提示、政治家・官僚に対するインタビューの成果などは評価するものの、結果としては混乱していたという事実やまだまだ事故対応がこれから進んでいく状況ということもあり、報告書はまだ早いという印象は否めない。とは言え、こうした検証を現実の政策や施策に落としていくことの責任も我々国民が負うべき責務の一つであるのは紛れもない事実だと思う。(正)
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