アフロ・ディズニー1・2【菊地成孔・大谷能生】

アフロ・ディズニー1・2


書籍名 アフロ・ディズニー1・2
著者名 菊地成孔・大谷能生
出版社 文藝春秋(280p、368p)
発刊日 2009.8.30、2010.9.15
希望小売価格 1,500円、1,575円
書評日 2010.11.10
アフロ・ディズニー1・2

菊地成孔といえば、菊地成孔ダブ・セクステット、ペペ・トルメント・アスカラールという二つのバンドを率いるミュージシャン。ダブ・セクステットはミキシング技術者もメンバーに入ったジャズ・グループで、現代的なマイルス・ディビス・バンドみたいな音を出す。ペペ・トルメント・アスカラールはブラック・ミュージックにサルサやタンゴ、クラシックや現代音楽までミックスさせてジャンルを超越した音楽を聴かせてくれる。どちらも聴く者を興奮させるバンドで、僕がいま気に入っているミュージシャンの一人だ。

一方の大谷能生もミュージシャンだけど、こちらはNHK「坂本龍一 音楽の学校」くらいでしか見た(聴いた)ことがない。ミュージシャンであると同時に音楽批評家であり、音楽批評誌を立ち上げて編集・執筆していたこともある。

この二人のコンビは、このところいろんな大学に呼ばれ、講師として音楽の講義をやっている。東京大学でのジャズ講義録は『東京大学のアルバート・アイラー』(文春文庫)として刊行され、これは本book-naviで相棒の<正>氏が取り上げたことがある。

『アフロ・ディズニー』と題された二冊はその最新版。2008年度に慶応大学で1年間講義されたものの記録だ。一冊目の『アフロ・ディズニー』は前期の授業で、菊地と大谷の二人あわせて一人の「私」による講義録。二冊目の『アフロ・ディズニー 2』は後期授業で、村上隆、鈴木謙介ら8人のゲストを招いてのディスカッションという構成になっている。

この本のいちばんの読みどころは、今回、二人が専門であるジャズだけでなく、ブラック・ミュージックから映画、ファッション、アニメまで手を広げて壮大な「20世紀論」を繰り広げているところだろう。

もちろん二人とも学者でなくバリバリの現役ミュージシャン。加えて菊地は、映画音楽もたくさんつくっているし、書き手として面白いエッセイを書いてもいる。音楽と映画と活字を股にかけたそんな現場からのユニークな発想と問題設定を面白がれるかどうかが、この本を楽しめるか否かの分かれ目になる。それを面白がれなかったら、この本は壮大なホラ話にしか聞こえない。もし本当にそうなら、それを一年間聞かされた慶応の学生はずいぶん無駄な時間とお金を使ったことになる。

菊地と大谷は、ざっとこんなふうに問題を設定する。

19世紀末に映画とレコードという新しいメディアが誕生した。映画は当初、音のないサイレント映画だったから、人々は視覚だけを働かせるという経験をした。一方、レコードは音だけを聞かせるメディアだから、聴覚だけを働かせる経験を持つことになった。つまり、20世紀の人間は視覚と聴覚が分断されるという、それまでになかった体験をすることになった。

映画はやがてトーキーになり、レコードは20世紀後半にやっとプロモーション・ビデオなどが生まれ、聴覚と視覚が再統合される。こんなふうに視覚と聴覚が時差を伴って発達するという経験は、人間が幼児期に母の胎内でまず音を聞き、やがて母の外に出て視覚を獲得するという幼児期の体験を文化的に反復していることになる、と菊地と大谷は考える。

19世紀までの音楽はダンスや社交(人間関係)を伴ったものだったが、レコードが発明されて以降、リスニング・ルームでレコードを聞くという密室体験(DVDを見るのも同じ構造)は、「視覚情報を切り離し、自分の内面に潜り込んで、その妄想力を勝手に飛躍させる、ということで言うならば、それは幼児的な全能感に近しい経験のものである、と言えるでしょう」。密室で視覚を遮断して音楽を聴くときの「全能感」は、僕なんかもジャズ喫茶で眼を閉じて長時間ジャズを聴いた1960~70年代の体験から、なるほどとうなずける。

菊地・大谷コンビはサイレント映画とそのトーキー化についても、視覚・聴覚再統合による過剰シンクロ(ディズニー・アニメ)とそこからのズレ(ヌーヴェル・ヴァーグ)について興味深い話をしているけれど、それは端折るとして、こう結論づけている。視覚と聴覚の「一方がクローズされた作品経験は、幼児期への退行を促しやすいのではないか、という仮説を立てました」。「規律も掟もない、幼児的な無法状態で、20世紀において総ての文化=芸術は、菓子を自由に貪る様に鑑賞されるようになったしまった」

以下、さらに端折ってしまうと、20世紀文化の幼児退行からは、例えばディズニー、手塚治虫、宮崎駿という流れをたどってこの国のオタク文化が生まれてくる。そしてオタク文化は今や「ジャパン・クール」として文化の最前線に立っている。ブラック・ミュージックもパリのハイ・ファッションも「ジャパン・クール」に近接しつつある。……とまあ、こんな大風呂敷になっている。

後期授業の記録である『アフロ・ディズニー2』は、毎週ゲストを呼び、前期の授業を踏まえたゲストの講義と、菊地・大谷も加わったディスカッション形式で進められている。ゲストは鈴木謙介(社会学)、黒瀬陽平(アニメ評論)、村上隆(現代美術家)、伊藤俊治(美術評論)、斉藤環(精神分析)、細馬宏通(コミュニケーション論)、高村是州(ファッション研究)、松尾潔(音楽プロデューサー)の8人。プロモーション・ビデオや「萌え」アニメをYou tubeで検索しながらの講義がいかにも今ふうだ。

ゲスト8人がそれぞれに読ませるけれど、特に面白かったのは村上隆と高村是州。村上隆は、いま世界でいちばん知名度の高い(売れてもいる)日本の現代美術家だけど、その発想がすごい。以下は、村上がかつてオタクとして入れ込んだ日本製アニメについてのやりとり。

「村上 『リトルボーイ』ってのは日本人のインポテンス感ていうかね、国家を軍備によってアイデンティファイするということが去勢された国の人間がつくったものの、ある種の極致ってのは、ほんとうに『マクロス』だと僕は思っているので、だからその『マクロス』がいかにパリのモードに入っていくかというのは手助けできれば……。 菊地 はい。 村上 世界平和が起こると思います。(一同爆笑) 村上 いや、芸術家ってね、何がやりたいかっていうとやっぱり革命をしたいわけですね。無血革命をすることは芸術家の使命であって、ジョン・レノンがやったことで世界中が共感したわけで、スティーブ・ジョブズでも何でも無血革命をやるために、ああいうイクイップメントを開発しつづけてるわけじゃないですか。そのなかで、やっぱり僕が自分でできる無血革命は何かっていうと、それは『マクロスF』のような──スットコドッコイなストーリーなんだけれども──超弩級平和主義? 菊地 ハードコアな平和ということですね。 村上 そういうすごい平和主義を、どうやってパリ・モードに合体させるかっていうところをテーマに持つ」

一方、ストリート・ファッションの研究家である高村是州もかつてのオタク。『宇宙戦艦ヤマト』(1970年代)の森雪、『機動戦士ガンダム』(1980年代)のセイラ、『新世紀エヴァンゲリオン』(1990年代)の綾波レイの3人のヒロインを比較して、目の大きさと「ヨコ目」「タテ目」の違い、背骨のS字ラインとシルエットの変化などを語っていくあたりが真骨頂。ファッションの世界に生きる高村は、長いことアニメ好きのオタクだとカミング・アウトできなかったらしい。

「高村 僕のなかでは、オタクもロックも既成社会や大人文化に対するカウンターというか、攻めているという意味で共通のフックがあるんですが、同じパンク世代の認識としては、セックス・ピストルズやジャムと『ガンダム』『マクロス』はとても等価には考えられないと思います。世代的な価値観として。だから仲良くしてくれるオタクは第三世代以降ですね。彼らは、オタクもファッションも全肯定になって、みんなあっけらかんと受け止めてくれますから。ちなみに菊地さんのジャズに対するアティテュードも、何度かライブも拝見させていただいておりますが、ロック以上にロックしてて、攻めてる感じが大好きなんです(笑)。 菊地 (笑)高村さんの立場は非常に特殊だと思います。今日のお話は同世代として、ほとんど感動的なものだと思いますけれども(笑)」

大学の授業にふさわくないと考える人もいるかもしれない。でも、こんなふうに生々しい問題意識で、現代的なテーマを生き生きと語る授業を聞けたとは、この講義を取った慶応の学生がうらやましい。(雄)

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