書籍名 | オスは生きているムダなのか |
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著者名 | 池田清彦 |
出版社 | 角川学芸出版(193p) |
発刊日 | 2010.09.18 |
希望小売価格 | 1,470円 |
書評日 | 2010.11.10 |
刺激的なタイトルではあるが内容はけして奇を衒うものではない。長い間、男女という二分法がわれわれ人類の思考枠を縛ってきたが、オス・メスという生物レベルでもう一度考えてみようという本。生物全体におけるオスとメスの関係と比較すると人類の男女の関係はかなり特殊であるということも十分実感できる。「なぜオスとメスがあるのか」「性の起源と死の起源」といったテーマをはじめとして多くのトピックスが紹介されていて、授業などで教わった断片的な遺伝子知識とは次元の違う専門用語も頻出するが、雑学的知識として読む限り楽しい本であるのは請け合える。
「なぜオスとメスがあるのか」という問いかけの答えの一つは良く知られているように「性は遺伝的多様性を増加させることによって環境変化で絶滅の危険を少なくする」というもの。加えて「遺伝子修復」という考え方が紹介されている。
「人間のDNAは32億塩基対あり非常に長いため、卵や精子の元になる細胞にはどこかに損傷がある可能性が高い。しかし有性生殖では対合する相手のDNAと同じDNAの部分が損傷していない限り、対のDNAが減数分裂するときに組み替えが起こり、双方で修復し合って若返ることができる。・・・」
遺伝子修復による若返りがオス・メス存在の理由というのは極めてポジティブな理由でほっとするところだ。一方「メス」から見たときに本当に「オス」は必要なのかという視点から、オス・メスの損得勘定がバランスしていないとの指摘がされている。
「・・生物の目的は自分の子孫をたくさん残す、つまり自分のDNAをたくさん残すことである。・・有性生殖をすると減数分裂するので自分のDNAは半分しか残らない。・・メスだけで子孫を作る単為生殖のほうがメスのメリットは大きい。・・・人間の場合でも、子供はほしいが、男はいらないという女の人がいる。まさにこういうパターンである。だが、相手とくっつかないと子供が生まれないのであればしょうがない。・・加えて人間のような異形接合の場合は、大きい細胞はメス、小さい細胞はオスなので、メスにとってはおおむね損をしているといえる。・・・クローン技術が確立すると人間でも、女だけでこどもが作れるようになるはずである。・・・」
そうか、クローン技術が進歩すると必要なのはメスだけか。著者の指摘は「したがって、クローン技術の確立に心底反対しているのは男じゃないかと思う」とまで冗談めかして言われてしまうと「オス」の一人としては忸怩たるものがある。
次に興味を引いたのが、「死ぬ能力」についての話。 酸素を使って呼吸をする生物は20億年前に現れた。この細胞は核膜や細胞内小器官を持っているが、これによって生物は複雑化する能力を手に入れて、集合して多細胞の個体をつくれるようになった。ここから植物と動物の進化の方向は違った形に変化していった。植物は個体の統一性をあまり追求せず、生命力だけを強靭にしていった。屋久杉は1000年ぐらいまでは普通に生きるといわれている。これは細胞そのものがDNAの損傷を受けても簡単に死なないように出来ていることによる。だから、植物の枝や幹を切っても死にはしない。一方、高等動物は体を半分にすれば多くは死んでしまう。動物の細胞はちょっとしたDNAの損傷で死んでしまうのだ。動物の複雑化していく過程で、合体したものを半分に分ける(減数分裂)能力を開発したことが性の起源となったが、同時に、複雑化・自由化とともに「死ぬ能力」を手に入れたともいわれている。言い換えれば「複雑な生物になるために死すべき運命を受け入れた」という説明や、「生物にとって、死なないことのほうが普通なのだ」という指摘は新鮮に聞こえる。
この多細胞生物が獲得した「プログラム死」をアポトーシスというのだそうだ。この機能は生物の形作りや免疫系にとっても重要な働きをしているらしい。アポトーシスの身近な例はオタマジャクシの尾っぽがカエルに変態するときなくなるという現象である。こうした仕組みが人間の中で働いているのは脳神経系がその一つ。
「・・・まず、最初にたくさんの神経細胞を余剰に作り、不要なものを殺している。それが発生初期、胎児の終わりから生まれたばかりの赤ん坊の脳で起きていることだ。ものすごい勢いで神経細胞を作った後、必要な樹状突起を伸ばしてきて他の細胞とつながる。こうして必要なコネクションを作った残りはアポトーシスで殺してしまう。アポトーシスがないと人間の脳は作られないのだ。・・・」
もう一つの細胞の死がガンの発生。細胞は分裂すればするほど分裂時にDNAがミス・コピーされるリスクがあることからガン発生の確率が高くなる。ガンはこうした遺伝子異常から起こるので、日焼けをすると皮膚が再生し細胞分裂が起こったり、酒を飲めば内臓の粘膜が脱落して再生するなど、こうした理由から細胞分裂が多くなることにより、ガン発生のリスクが大きくなるというものだ。
三つめが分裂しない細胞の死である。例えば神経細胞や心臓の細胞など。これらは分裂しないのでガンにはならないものの、ひたすら老化していくことになる。高等動物の寿命はこのような分裂できない神経細胞の寿命と一致しているという。これが120年という人間の寿命である。こうした死のメカニズムこそ複雑化した人類の死の仕組みであり、「死ぬ能力」といっている。当然これ以外に事故や戦争など外的な要因で死亡することは多々あり、人類は外的要因による死のリスクもまた極端に大きい生物なのだろう。犬や猫は戦争しないからな。
オスとメスの機能的な差が極端になったケースとして紹介されているすごい生物がある。 「アリゾナに生息するアカシュウカクアリのめすは20年ぐらい生きるが、オスは3日ほどの命だ。・・・そもそもオスの口は退化していて食べることが出来ない。わずかしか生きられないように作られている。・・・生物の生態はそういう意味では厳しい合理性でなりたっている。・・・個体の命が重要なのではなく、いかに子孫を残していくかに全てが係っている。不要となった個体は速やかに死ぬように出来ている。一般的に生物の世界ではオスは種付け以外には役に立たない。・・・自然選択は子孫の数を増やすことに味方したが、個体の寿命を延ばすことには冷淡だったことは確かだ。これは寿命が長く、世代交代の遅い生物は進化の速度が遅くなるということだ。つまり死ぬことは進化的意味があった。・・・」
団塊の世代として、こういう結論はいささか辛いが、さりとて大声で間違っているぞとも言い難いところに切ないものがある。(正)
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