書籍名 | オリーヴ・キタリッジ、ふたたび |
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著者名 | エリザベス・ストラウト |
出版社 | 早川書房(440p) |
発刊日 | 2020.12.25 |
希望小売価格 | 2,970円 |
書評日 | 2022.12.15 |
「ふたたび」(原題:Olive, Again)というタイトルから察せられるように、オリーヴ・キタリッジという女性を主人公にした小説の二冊目である。一冊目は『オリーヴ・キタリッジの生活』(ハヤカワepi文庫)。原著は2010年に出版されて、ピュリッツァー賞を受けた。本書はその9年後に刊行されている。といって、必ずしも1冊目から読む必要はない。2冊とも短篇集で、時にオリーヴ・キタリッジが主役で、時には脇役や端役としてちらりと登場する。だからどこから読んでも短篇として楽しむことができる。
舞台はアメリカ合衆国メイン州の架空の街クロズビー。ボストンの北、合衆国の東北端で太平洋に面する小さな港町だ。林に囲まれた入江にはロブスター漁の浮きが見え、マリーナもある。冬は寒く、雪が積もる。オリーヴは、今はリタイアしたがこの町の高校で長いこと数学を教えていた。教え子がたくさんいるので、町の住民には顔見知りが多い。夫のヘンリーは隣町で薬局を営んでいる。
小さな町だから大事件など起こらない。そんな平穏な日常のなかでの、オリーヴやヘンリーや、町の住民たちの小さな出来事が短篇に仕立てられている。もっとも、恋したり、結婚あるいは離婚したり、町を出たり、ありふれた出来事だからといって、オリーヴやヘンリーや登場人物ひとりひとりにとってみれば、人生を左右するような恐怖や不安、あるいは喜びに満ちている。そんな心模様が掬いとられている。
オリーヴは背が高く、「図体が大きい」。好き嫌いをそのまま言葉にせずにいられない性格。信仰深い看護師が祈りの言葉を繰り返すと、「いいかげんにしなさいよ。くだらない」。その毅然とした、傲慢とも取られかねない姿勢を嫌う住民も多く、町の人からは「ひねくれ婆さん」と呼ばれている。その一方、教室でオリーヴが口にした、人の生き方にまつわるちょっとした言葉を今も覚えている教え子もいる。
夫のヘンリーは、オリーヴと対照的に気配りのよくきく善人だ。第一作の冒頭は、そのヘンリーが店員として雇った若い女性にほのかな思いを寄せ、妻のオリーヴには何も言わず自分の心を始末する話。ほかに、強盗事件に巻き込まれた二人が互いを傷つけあう言葉を吐いてしまったり、息子の結婚相手と気が合わず、息子夫婦がカリフォルニアに去ってしまったり、ヘンリーが卒中で倒れて入院したり。そんな歳月を過ごしながら、オリーヴは心の底にこんな感情を抱いている。
「人間にとって淋しさはたまらないものだ。いろいろな淋しさがあって、どうしても死にたくなることだってある。オリーヴは心の中で、大きな破裂、小さな破裂、ということを考えていて、それで人生が決まるのだというのが持論である。“大きな破裂”とは結婚や子供のようなもの。そういう愛の関係があるから人間は沈まずにいられる。でも大きな破裂には、うっかりすると足を取られそうな底流もあって、だからこそ、“小さな破裂”も必要になる。たとえばディスカントストアへ行ったら店員が親切だったとか、ダンキン・ドーナツの顔なじみのウエートレスがコーヒーの好みを心得ていてくれるとか」
第一作の最後、夫のヘンリーは既に亡くなっていて、川沿いを散歩していたオリーヴは「禿げあがって、大きな腹」をしたジャックと知り合う。本作『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』は、そのジャック・ケニソンを主人公とした短篇から始まる。ジャックはハーヴァードで教えていたがセクハラで辞職し、クロズビーに隠遁している。その、ささやかな一日──隣町のバーで飲んで死んだ妻を思い、帰り道でパトカーに飲酒運転を疑われて止められ、家に帰ってオリーヴに手紙を書く。いかにも短篇小説らしい起承転結からは遠く、ある日の断片が放り出されるように置かれている。これがエリザベス・ストラウトのスタイルなんだろう。最後、ジャックは己の生き方を顧みて自分につぶやく。「たいしたことないぞ、ジャック・ケニソン」。
知り合って互いを「わけのわからないことを言いたがる御大層なへんてこりん」、「しち面倒なやつ」と言うオリーヴとジャックだが、中ほどの短編では二人が惚れあって結婚してしまう。そのことを気に入らない息子に「どうして?」と聞かれて、オリーヴは「どっちもさびしい年寄りで、一緒にいたいと思うから」と答える。
ところがそのジャックも、後半の短編であっけなく死んでしまう。一冊の終わり近く、「心臓」と題された短篇では、83歳になった一人暮らしのオリーヴが心臓発作を起こす。入院したオリーヴは、話をよく聞いてくれる医師に少女のような好意を寄せる。
家に戻ったオリーヴのもとを二人の看護助手が訪問看護にやってくる。ベティはオリーヴの教え子だが、トラックの後部に「大統領になったオレンジ色の髪の怪人」を支持するステッカーを貼っていて、オリーヴは彼女を毛嫌いする。もう一人のハリマはアフリカからやってきた難民の娘。ベティはハリマに冷たく当たって、オリーヴはそれが気に入らない。
でも訪問看護が終わり、一人暮らしに戻ったオリーヴを訪ねてきたベティに、教え子の人生はどうだったかを尋ねる。高校の校長先生に恋心を抱いたまま二度の不幸な結婚をし、やっと看護助手の資格を得た彼女の話を聞いて、オリーヴは「自分は安楽に生きてきたものだ」と思う。この短篇の最後の一文。「オリーヴは愛を感じた。くだらないステッカーを貼っているベティでも、いまは愛せると思った」。エリザベスの短編は、物語がなんらかの結末を迎えることなく突然に終わってしまうことが多いが、この小説では珍しく温かな余韻を残して終わる。
エリザベス・ストラウトを読んでいてドキッとする瞬間がある。小さな出来事の小さな一瞬を捉えて、さりげない、でも味わい深くもあり恐ろしくもある文章が配されているところだ。
「救われる」はオリーヴではなく、弁護士のバーニーを主人公にした一篇。バーニーは、金持ちの依頼主の娘で幼いころから知っているスザンヌと再会する。スザンヌの父は火事で焼死し、母は認知症で施設に入っている。それで久しぶりに故郷へ帰ってきた。スザンヌがバーニーに相談するうち、二人にかすかに惹かれ合う感情が流れるのだが、互いにすっと身を引いて別れる。家へ帰ったバーニーは、スザンヌのことを心配する妻に何と言おうかと考える。「まもなく一階へ下りて、スザンヌは大丈夫だと妻に話してやるとしよう。話したことの詳細までは言わずともよい。スザンヌに助けられたと思っていることも、胸にたたんでおくだけだ。たいして害はあるまい。椅子から立ち上がりながら、そう思った。人間がどれだけの秘密を押し隠して生きるものかと思えば、それくらいの秘密に害はない」。
もうひとつ。先に紹介した「心臓」のなかで、ジャックが突然死する前の最後の夜をオリーヴが思い出す場面がある。その夜、ジャックは「おやすみ、オリーヴ」と笑顔を見せて眠りについた。「あれは遠く離れたところから笑う顔、と彼女の記憶には残っている。そういうことがわかるくらいには、彼との暮らしも長くなっていた」。「もう何なのよ、と彼女は思った。そういうことだとわかってくると、本当に心が傷ついた。彼はオリーヴのそばにいて死んだのではなかった」。作者はそれ以上の説明をしないけれど、直後にこの家はジャックが「妻のベッツィーと暮らした家」であることが添えられている。
短い要約では微妙なニュアンスが伝わりそうもないけれど、この小説を読む喜びは、そうした日常の襞々の深いところから言葉が紡がれている、と感じられることだろう。第一作では60代くらいだったオリーヴは第二作の最後では83歳になっている。最後に置かれた短篇「友人」では、一人で生活できなくなったオリーヴが老人ホームに入っている。相変わらず話しかけてきた老女にそっぽを向いたり、食事のとき誰からも声がかからないが、一組だけ一緒に食事する夫婦もできた。
オリーヴは過去のいろんな記憶をタイプライターで打ち始め、自分が死ぬことを考えながらこう打つ。「自分がどんな人間だったのか、手がかりさえもない。正直なところ、何ひとつわからない」。高齢になり先が見えてきたからといって、人は変わるものではないし、きれいに収まりがつくものでもない。綻びだらけ、小さな秘密だらけで、とっちらかったまま、この小説がそうであるようにブツリと中断される。「訳・小川高義」(山崎幸雄)
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