書籍名 | 円朝の女 |
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著者名 | 松井今朝子 |
出版社 | 文芸春秋(227p) |
発刊日 | 2009.11.12 |
希望小売価格 | 1,500円 |
書評日 | 2010.01.06 |
松井今朝子というと歌舞伎の脚本を書いていたり、武智歌舞伎に関わっていたりと、歌舞伎畑の人だという知識しか無かったので、円朝に関する本書を手にしたときには少し驚いた。それにしても、円朝、この稀代の名人に関する本は過去から夥しい数が刊行されているのだろう。直接見聞き出来ないその芸がこれほど大きな影響を与え続ける理由は何なのかと考えてしまう。円朝の凄さはいろいろな側面から語られている。例えば、真打になったのが17歳というとてつもない若さだった、「真景累ヶ淵」や「怪談牡丹灯籠」などの名作を自ら書いた、円朝作の「塩原多助一代記」は修身の教科書に採用された、井上馨や山岡鉄舟、福沢諭吉など当時の一流人の懇意を受けた、明治天皇に御前落語を行った、等など。そうした、華麗なる伝説に彩られた円朝を材料に松井今朝子がどう料理したかというと、歌舞伎に対する造詣を生かしつつ、円朝が生きた天保10年(1839年)から明治33年(1900年)という時代を丁寧に描いている。
半分が江戸、半分が明治という世の中が劇的に変化していったこの時代に関する確かな史的知識が小説とはいえ話しの骨格の確かさを形成している点が注目されるべきところ。また、歌舞伎の台詞回しを髣髴とさせる巧みな会話の流れは松井の腕の見せ所となっている。円朝の身辺に五人の女性を登場させて、その「女達」の境遇・身分と江戸から明治に変化していく時代、そして円朝の芸という三つの視点を絡み合わせて5つの掌編がまとめられている。女性の生き様を表現するために円朝や時代を借りたという見方が正当だとは思うが、相方として存在している円朝もまた生き生きとして見えてしまうのも名人のなせる業である。
「惜身の女(ひと)」は、幕末の旗本直参のお嬢様が主人公。神楽坂のお屋敷に若き円朝が幾度となく呼ばれて一席うかがう。当時としては寄席とは別に金持ちの家に行き、少人数の家族を相手に落とし話を語るというパフォーマンスもごく普通のことだった。そのお嬢さんも年頃となり、とある武家の若様との縁談がととのったものの、お相手は幕府軍の一員として長州征伐に出陣、祝言は勝ち戦の後ということに。しかし、鳥羽伏見の戦いではあっという間の幕府軍の負け戦。戻った若様の様子もいささか変。そんな様子を「男は気分の波よりも、時流の波がはっきりと顔にあらわれる。・・・・」と松井風の冷徹に表現している。
お嬢様は「敵に後ろを見せて逃げ出すのは卑怯でござりまする」と若様をなじるとついに二人は大喧嘩。居合わせた円朝が「姫御前に手を挙げられてはお武家様の名が泣きましょう」と割って入る。真剣を振り回す若様にガタガタ震えながらも江戸っ子円朝は啖呵をきらざるを得なかった。結局若様とお嬢様は祝言を挙げることなく別れることになった。お嬢様としては円朝に感謝する気持ちとともに、女としての円朝に対する気持ちの揺れを微妙に描いている。
しかし、武家のお嬢様と芸人は所詮世界が違う。お嬢様にしてみると、幕府の旗本の若様も当てにならない男だったし、芸人円朝とて「身分を越える勇気もなく、世間のしがらみとちゃんと戦いもしないうちに意気地なく逃げ出してしまった。・・・・」そう考えていた。一方の円朝は「身分の垣根に遠慮したというばかりでもなさそうで、つまりは世間にきっぱりと背を向けられるお嬢様の気の強さとわがままに恐れをなしたというのが正しいかもしれない・・・・」
幕末という時代が旗本の若様・お嬢様・噺家芸人といった登場人物達の人生を翻弄していった様が描かれている。
二つ目は「玄人の女(おんな)」と題された掌編。時代背景としては明治5年の太政官令で娼奴解放のお布令が出たころのこと。廓が確たる文化であり産業であった江戸の世からは大きく変わっていった。明治維新の外交、特に西欧列強との外交の進展の中で廓を是認する文化は世界に通用しないという認識のもと、廓を否定するお布令が太政官令として発布されたが、その文章も驚くような内容である。「娼妓芸妓は人身の権利を失う者にて牛馬に異ならず・・」。花魁が牛馬と一緒と言われてしまっては庶民はもう訳がわからない。ことほど左様に、廓の世界も世の中とともに大変化していく。
そうは言っても、花魁が堅気の世界に戻るためには旦那に身請けされることしかなく、駆け落ちは娼奴解放といいながら廓のご法度であったのは変わらぬ事実。大店の花魁(太夫)がある若い花魁の駆け落ちを手助けするために、円朝を店に呼び「累ヶ淵」を語らせる。花魁やご新造など店の女たちは真に迫った怪談話に引き込まれ、幽霊は本当にいるかもしれないと皆が思い込むほどの熱演であった。さて、円朝が語り終えて帰ろうと暗い廊下を歩いていくと、たった今話しに聞いた幽霊が出てきて女たちは大騒ぎとなる。幽霊は円朝の背中に取り付くように佇んでいるが、円朝だけはその幽霊は見えないと言い張り、幽霊を連れて帰る如くに、待たせていた人力車に乗って円朝は帰っていった。翌朝、一人の若い花魁が駆け落ちしたことが発覚する。
年が経ち、煉瓦造りの洋館が立ち並ぶ銀座界隈でばったりと円朝と太夫が出会う。太夫はもう堅気の格好をしているもののその粋な風情をこう表現する。 「黒い呂の着物に博多帯をゆったりと巻いて、水浅葱の半襟と紅色の帯揚げをちらりとのぞかせた出で立ちは、やっぱりそんじょそこらの女とはずいぶんちがって粋なもんだ・・・」 あの若い花魁の駆け落ちをなぜ手助けしたのか。ひとつ間違えば大夫といえどもその責任は重い。 銀座の茶店の西洋椅子に腰掛けて話す二人の姿はほんの10年前の幕末には想像も出来ない情景である。
「時をつくる女」という話は円朝の内儀さんになったお幸(おこう)の話。彼女はその気風(きっぷ)の良さから柳橋で一二を競う売れっ子芸者だった。お幸のご贔屓は伊藤博文や井上馨といった一流どころ。円朝とお幸は柳橋のあちこちの宴席で顔を合わせてもいたので知らぬ中ではない。そんなこんなで二人は夫婦になる。世のたとえとして「雌鳥に突っつかれて雄鶏が時をつくる」とあるように、まあ円朝がお幸の尻に敷かれているように見えていたことによる題である。そのくせ、お幸は威張った風でもなく、むしろほかの内儀さんよりずっと亭主を立てて人前でも堂々と胸をはって亭主をやたらと持ち上げる。その持ち上げ方が松井の手に掛かるとこう表現されている。
「九代目の団十郎(なりたや)は大きな声じゃ言えないが、権様と呼ばれた昔からちっとも変わらない大根ですよ。五代目の菊五郎(おとわや)はまだましだけど、それだって衣装や道具がなけりゃただのでくの坊じゃないか。そこへ行くとうちの亭主は扇子一本であれだけ人を泣かせたり笑わせたりするんですから。そりゃ日本国中広しといえど、真の名人は三遊亭円朝をおいてほかにない・・・」
亭主一番主義もここに極まれりということか。こうした言い回しが随所に飛び出してくるところが本書の楽しいところ。
5つの話の全てが、松井の技巧や語りの流麗さを具体化しているわけではなく、話しによって多少の出来、不出来があるのも愛嬌か。それにしても朗読に堪える小説である。(正)
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