イラク水滸伝【高野秀行】

イラク水滸伝


書籍名 イラク水滸伝
著者名 高野秀行
出版社 文藝春秋(480p)
発刊日 2023.07.30
希望小売価格 2,420円
書評日 2023.09.15
イラク水滸伝

ノンフィクション作家である高野秀行のモットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かないことを書く」だそうだ。それがどんなものかは彼の著書を並べてみれば、おおよそ見当がつく。『幻獣ムベンベを追え』『謎の独立国家ソマリランド』(講談社ノンフィクション賞)『辺境メシ』『幻のアフリカ納豆を追え』。大学(早大)の探検部出身という経歴をつけ加えれば、梅棹忠夫、本多勝一、船戸与一、西木正明といった探検部出身の学者、作家、ジャーナリストの書くものに連なることも推測できる。

『イラク水滸伝』はイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川の合流点に広がる広大なアフワール(湿地帯)を舞台にしている。「水滸伝」とタイトルにあるのは、こんな理由からだ。アフワールと呼ばれる湿地帯は、昔から戦いに負けた者やマイノリティ、山賊や犯罪者が逃げ込む場所だった。迷路のように水路が入り組む湿地帯には、馬も大軍も入れない。そんな状況が、町を追われた豪傑たちが湿地帯を根拠に宋朝と戦う『水滸伝』を思わせるから。

アフワールの民の抵抗に手を焼いたフセイン政権は、流れ込む水を堰き止めて湿地帯を乾かし、水の民は移住を余儀なくされた。でもフセイン政権が崩壊した後、堰がこわされ湿地帯が半分くらい復活しているという。しかも、アフワールとその周辺でシュメール人が世界最古の都市文明を築いたメソポタミア遺跡群が世界遺産に登録された。高野が「アフワールへ行こう」と思ったのは、こうしたニュースを耳にしたからだった。

でも、困難がいくつかあった。一つはイラクの政治的混乱。この旅を企画した当時、IS(イスラム国)と政府軍が戦闘を繰り広げていた。その後も治安はいいとはいえない。もうひとつはコロナ。そもそもイラクへ入国できなくなった。

結論を言えば、高野はアフワールを昔ながらの船で旅するという当初の目的を達することはできなかった。この本はその経過報告というか、まずアラビア語イラク方言を学び、人脈をたどってアフワールに行き、元反政府ゲリラの親玉に会い、湿地を復活させようとするリーダーと親しくなり、船をつくり、水の民の生活に触れ、伝統的な刺繡布の謎を追い、完成した船を水路に浮かべて漕ぎ、といったもうひとつの旅の報告になっている。著者も言うように、「不運の連鎖」と「悪あがき」に満ちた「蛇行と迷走」は、本来の目的だった船旅よりたぶん面白いものになった。

高野は、東京の大学院に留学していたハイダル君にアラビア語を習い、それだけでなくバクダードで彼の兄の家に滞在し、アフワールへの旅にはハイダル君自身が通訳兼ガイドとして同行してくれることになった。チームは高野と、彼の師匠格、東京農大探検部OBで環境活動家・冒険家の山田高司(隊長)。

水滸伝を名乗るからには、豪傑が登場しなければならない。ハイダル君のコネクションでまず会えることになったのが、「湿地帯の王」と呼ばれるカリーム・マホウド。フセイン政権時代は反政府ゲリラ活動を率い、米軍侵攻後は占領軍の「暫定統治委員会」のメンバーになったが、あまりに荒っぽくて政治に向かず、現在はティグリス川沿いの町、アマーラで暮らしているという。彼はフセイン時代に投獄され、そこでコミュニストの仲間になった。自らも湿地民の氏族であるカリームは湿地帯とそこに住む民についてこんなふうに説明してくれた。

「アフワールは……ノアの洪水以来、何も変わっていない。そこは昔から『マアダン』という人たちが住んでいる。元の意味は『水牛などの動物を飼う人』の意味だ。と同時に、ギルガメシュの時代から“体制と戦う者”つまりレジスタンスのことも意味する。アフワールには馬や象が入れないから、強い権力に抵抗するのに適した場所だったのだ」

カリームだけでなく、アフワールの民に話を聞くと、ノアの洪水とかギルガメシュとかシュメールとか古代と現代とがごく自然に、当たり前のようにつながっている。カリームに会えたことは、高野たちにとって幸運なことだった。アフワールに限らないが、いまこの国は強盗が出没し、外国人は拉致されかねない。危険があるかもしれないとき、高野たちは「カリームに食事に招かれたよ」と告げる。「旅行者が誰かの世話になるとその地域では世話した人の『客(ゲスト)』と見なされる。そして客が被害を受けるというのは『主人(ホスト)』にとってこの上ない屈辱なのだ」。もしこのあたりでカリームの客である高野たちが襲われた場合、カリームが恥辱をそそぎに襲ってくる可能性を誰もが想像する。「だから彼の客であることをアピールすれば、一定の抑止力にはなる」。

高野はさらに伝手をたどって、アフワールでの活動に全面的に協力してくれることになるもうひとりの「豪傑」に出会う。環境NGO「ネイチャー・イラク」の長、ジャーシム・アサディ。アフワールの湿地民出身で、大学を卒業して水資源省に入り水利専門の技術者となった。フセイン政権崩壊後はアフワール復興事業の現地責任者になり、治水工事を指揮している。「大胆な治水工事を計画実行する能力と統率力、驚くほど広いネットワーク、国籍や身分や素性に関係なく、自分を頼ってきた人は誰でも最大限に面倒をみようという親分肌、そして個人の自由を無視した権力を忌み嫌い、自分が納得できないことには徹底して反対し戦う、反骨にして異能の人でもあった」「彼らこそが新世紀の『水滸伝的好漢』なのではないかと思う」。

ジャーシム宋江(と高野は水滸伝の主人公になぞらえて呼ぶ)の「客」となった高野たちは、彼の紹介でいろんな湿地の民に出会う。湿地の浮島(水面に出た葦の上に刈り取った葦を重ねて「島」にする)に小屋掛けして住む家族。「浮島は彼の土地なのかと訊くと、『いや、誰が使ってもいい』との答え。ジャーシム宋江が笑った。『アフワールに私有地なんてない』」。さらに、水牛を飼って移動生活する「マアダン」(現代イラクでは差別的に使われるという)の人々。原始キリスト教成立直後に生まれたマンダ教という宗教を信じ、湿地帯で船大工を生業に二千年間ひっそり暮らしてきたマンダ教徒。

高野たちは彼らから話を聞き、伝統的な船タラーデを注文して建造に立会い、水牛のミルクを寝かせてつくるゲーマルという食品(「絹ごし豆腐のような重みがあって、うっとりする香りと旨味」)の作り方を見学したり、アザールと呼ばれる刺繍布の織り手を訪ねたりしている。最後には完成したタラーデを湿地に浮かべて漕いでみる(カバー写真)。文章に写真やスケッチも加えて、そのひとつひとつの行動の報告がこの本の核をなしている。未知と謎を探求する冒険譚であり、地誌や民族誌でもあり、イラクという国の「混沌」を旅する読みものとして面白い。

同時に、西洋的な近代国家の常識や物差しでは測れないイラクの内側に少しだけ触れられる。われわれがイラクについて知っているのは、多数派のアラブ人シーア派と少数派のアラブ人スンニー派、それにクルド民族の対立といった程度だけど、この本にも出てくるように民族も宗教も多種多様な人びとが暮らしている。また氏族の力が大きい社会であることも、高野たちが氏族の有力者の「客」となることで安全を担保することからわかる。そうした民族・宗教・氏族の異なるいろんなグループが民兵組織をつくり武器を持っているから、われわれの目には「混沌」としか映らない。高野たちが最終的にアフワールの船旅をあきらめたのも、いくつもの氏族が、時に対立し武装している地域を誰の庇護も受けない外国人が旅することの困難さからだった。

実際、「ネイチャー・イラク」のジャーシムが、本書の取材後にバクダード郊外で(どうやら親イラク民兵組織に)拉致された。二週間後に解放されたが、誰が何の目的で拉致したのか、ジャーシムも高野に多くを語らない。彼は今もアフワールに戻れていないという。

高野は「あとがき」で取材を終えた後のことも書いている。アフワールはいま、ティグリス川上流にトルコが大規模なダムをつくったために再び深刻な水不足に見舞われている。水牛とともに暮らすマアダンはユーフラテス川に避難したという。

「今後アフワールは一体どうなるのか。水が減り続け、フセイン政権時代のように、湿地帯は乾燥した荒野と化し、湿地民と水牛は水を求めてイラク各地を彷徨うのだろうか。/別の可能性もある。湾岸諸国あるいは中国やイランといった国が資本と技術を投じて、アフワールを巨大観光地化することも私は想像してしまう。/いずれにしても、それは従来のアナーキーにして多様性に富んだ湿地帯の姿ではないであろう」

その意味で、高野も自負するように、この本はいままた岐路に立たされている巨大湿地帯の現時点での貴重な記録になるかもしれない。ともあれ、最後は水滸伝らしいフレーズで締めくくられる。「ジャーシム宋江だって、言っていたではないか。『湿地帯の将来は暗い。でも今日は楽しもう!!』と」。(山崎幸雄)

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