浮世絵でたどる江戸の凸凹地形散歩【渡邉 晃】

浮世絵でたどる江戸の凸凹地形散歩


書籍名 浮世絵でたどる江戸の凸凹地形散歩
著者名 渡邉 晃
出版社 山川出版社(208p)
発刊日 2023.12.22
希望小売価格 2,200円
書評日 2024.02.16
浮世絵でたどる江戸の凸凹地形散歩

旧街道歩きを楽しんで来たこともあり「凸凹地形散歩」という言葉に惹かれて本書を手にした。旧街道を歩くと、昔の人々は地形に寄り添って生活をすることから「道」が形成されていたと体感することが多い。現代であれば、川には橋を架け、山を越えるにはトンネルを掘ることで移動の最短ルートを確保しているが、旧道は山の縁を遠回りしながら川を迂回したり、峠越えでは延々と坂道を上下することで自然の地形を否が応でも体感することになる。

本書の主題である浮世絵は葛飾北斎の「富嶽三十六景」(1830)の大ヒットをきっかけにして、歌川広重を中心に昇亭北寿、歌川国芳などが競って江戸の風景を描くようになる。当時浮世絵はそば一杯の値段で庶民が気楽に買うことが出来たことから、ヒットした絵は数千枚摺られたと言われている。広重は出世作の「東海道五拾三次之内」と同時期に江戸市中の風景を描いた「名所江戸百景」を作成・販売している。このシリーズは118枚で構成されていて、そのほとんどが台地と崖線や水辺(低地)がテーマとして描かれており、本書の中核として多くの絵が取り上げられている。

著者はこうした浮世絵が描かれた作画地点に足を運び、現在の地形とのギャップを確認しながら、変化の文化や歴史を汲み取ることを本書の狙いとしている。また、浮世絵が現代の我々に「江戸・東京」の地形・風景を楽しませてくれる理由を次の様に語っている。写実という観点であれば、明治期の東京を写した写真も重要な視覚的資料となるはずだが、これらはモノクロームである。一方、浮世絵は当時の西洋の絵の具や表現技法なども積極的に取り入れてカラフルに風景を表現している点が大きいとしている。

本書の冒頭には鍬形蕙斎が描いた「江戸名所の絵」(1803)が掲載されている。この浮世絵は江戸市街地全域を北東上空から俯瞰して、手前に向島、そして隅田川を描き、対岸の浅草から日本橋、江戸城、飛鳥山などの江戸全域の地形を表現している。著者はこの絵と同様の視点として東京スカイツリーからの俯瞰写真を載せているが、まさに蕙斎の絵との相似であることが良く判る。400m上空からの江戸全域の俯瞰図を想像出来る江戸の絵師たちの画力は驚くばかりである。また、絵師たちの表現技法として、歌川国芳のエッチング法に影響を受けたと言われる陰影を強く表現する手法や、北寿のキュービズム的に表現した崖線は立体感溢れる姿などから浮世絵そのものを楽しむのも本書の面白さだと思う。

そうした多様な江戸の地形から「御茶ノ水」「王子・飛鳥山」「目黒」「上野・道灌山」「江戸城」「愛宕山」「溜池山王」「浅草」「日本橋・八丁堀」「木場」の10ヶ所を選んで、浮世絵とそこに描かれている地形を語り尽くしている。

江戸初期の江戸城築城など大規模な土木事業が行われた結果、江戸の原風景を知るには古地図や文献で辿るしか術はない。広重たちが描いた浮世絵はそうした工事から100年以上経っている時代だ。例えば、湯島天神や御茶ノ水の辺りは1620年から40年間仙台藩によって工事が行われたことから「仙台濠」と呼ばれる江戸城の外堀である。しかし、その仙台濠の荒々しい工事痕跡や人工的な崖の構造を広重や北寿が描いている。東京湾に台場を造営する際に、品川の御殿山や八つ山などが土取場となって大きく切り崩されたが、そんな風景を広重の「品川御殿山」では地肌が露出した御殿山を描いている。また、深川や木場一帯の埋め立ても広重の「深川洲崎十万坪」からもその広大さが理解出来るなど、古江戸と現代の中間的風景としての浮世絵たちは重要な視覚資料なのだろう。

また、本書でいろいろ雑学的な学びも多かったが、その一つが「すやり霞」という言葉だ。これは浮世絵でしばしば「霞」や「雲」のようなものを描いて、画面内で遠近を切り替えたり、絵巻物で言えば場面転換を示すモチーフとして使われている。広重の「日本橋雪晴」は日本橋から富士山を遠くに見ている構図だが、江戸城あたりに霞が掛かっている。これは空間省略をして富士山を大きく描くためのお決まりの表現であるとともに、著者はもう一つ別の見方もしている。それは、多くの浮世絵で江戸城や徳川御三家の屋敷を霞や雲で隠しているものが多いということ。これは享保の改革(1722)で「徳川家に触れる版行の禁止」の御触書が出ており、絵師や版元は江戸城や徳川家を隠して幕府の意向を伺いながらの出版活動をしていたと指摘している。描くだけでなく、隠す技法も絵師の腕なのだろう。

それにしても、江戸風景を代表する地域・地形として「王子・飛鳥山」が取り上げられていたのには驚くとともに嬉しかった。子供の頃から住み慣れたこの地域について楽しく読み進んだ。飛鳥山と言えば桜であるが、広重の「飛鳥山花見の図」では音曲の各派の師匠たちが弟子を連れて花見をしている。遠景には富士山が見えているので西に向かって描かれていることが判る。飛鳥山の桜は八代将軍吉宗が吉野の桜を移植したもの。江戸の桜の名所の上野寛永寺は飲食が禁止されていたという。一方、飛鳥山は飲食も仮装も許されていて、羽目を外して酒宴や余興が行われていたという話も加えながら浮世絵を見ていると、人々の歓声や歌声などが聞こえてくるようだ。

次に、広重の「王子稲荷の社」という作品では、王子稲荷の拝殿の一部と石の鳥居を近景に、遠景には筑波山が描かれている。現在も拝殿や石の鳥居は残っていて同様の画角で風景をみることができるのだが、うっそうと茂った木々で広重の絵のようには遠景を見ることは出来ない。これは私の想像では、広重は遠景の筑波山を描くために、境内の杉をまばらに描いているのではないかと勝手に想像しながら、広重の画力の凄さを痛感する。

この一帯の眺望を造っているのは上野台の東側に上野、日暮里、王子と続いている崖線である。この崖地帯は「崖雪傾(がけなだれ)」と呼ばれた入会地で所有者が居ない土地だったことから、明治16年以降上野高崎間に始まり、東北・上越への官営鉄道線路が敷設されていった。飛鳥山と王子駅を結ぶ跨線橋に行って、小学生の私は煙を噴き上げるD51や当時最新鋭のEF58が牽引する急行列車を飽きずに見ていたことを思い出す。巣鴨・滝野川で就学前から高校卒業まで過ごしたこともあり、飛鳥山と石神井川(私たちは音無川と呼んでいた)は高低差20mの崖線、王子稲荷、名主の滝、そして都電荒川線(両親は王子電車と呼んでいた)の専用軌道などが凝集した思い出として沸き上がって来る。江戸と現代と60年前という三つの時代を交錯した読書になった。

読む人の思い出のある地域の浮世絵とその地域の歴史を自分の思い出に重ね合わせた読書は楽しい時間になる事は間違いない。そして、また未知の地形への散策に一歩踏み出す機会になればと思いつつ読み終えた。(内池正名)

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