書籍名 | NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか |
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著者名 | 上村達男 |
出版社 | 東洋経済新報社(324p) |
発刊日 | 2015.10.23 |
希望小売価格 | 1,620円 |
書評日 | 2015.12.19 |
著者の上村達男は2012年の3月から2015年の2月までの3年間NHKの経営委員であり、経営委員長代行を務めた。この間のNHKにまつわる報道は、一般視聴者としても驚きと不可解さの連続であった。その結果とはいえ、国民に放送法の基本やNHKの仕組みといったものに目を向かせる契機となったのは皮肉なことであった。「NHKはなぜ反知性主義に乗っ取られたのか」という本書の直截なタイトルは上村の自己反省を含めたさまざまな思いがストレートに込められていると思う。
歴代のNHK会長、そして経営委員長の人となりを語りつつ、籾井勝人がNHK会長に任命されてから上村が経営委員を退任するまでの一年間をNHKの経営体の内部における経験を語ることで、問題を掘り下げている。籾井と上村の会話を読んで見ると、それはせめぎ合いと言ったレベルのものではなく、まるで子供の喧嘩に近いすれ違い方である。上村が法学者としての冷静さを保ちつつ記述しているものの、書かずにはいられなかったと言う沸き上がる感情も十分伝わってくるものになっている。タイトルに使われている「反知性主義」という言葉も評者にとってはあまり馴染みのある言葉ではなかったこともあり、上村による定義を知りたかった。
「知的誠実とは個人の好みや理想、信念といった価値判断を極力排除して、不都合な真実をも真実として認めることを言います。『反知性主義』とはこの『知的誠実』を欠く姿勢です」
マックスウエーバーをはじめ多くの賢者がこうした観点を語っているようだが、佐藤優の「反知性主義」の定義も紹介している。それは、「実証性や客観性を軽視し、もしくは無視して自分が欲するように世界を理解する態度」というもの。なかなか意味の深い言葉ではあるが、こうした、言葉を理解した上で籾井の振る舞いや発言についての記述を読んで見ると、上村は籾井の姿の後ろに存在している安倍内閣そのものが持つ露骨な権力意識こそが、その問題の根源と指摘しているのだ。
本書は大きく四つの章で構成されていて、第一章は、NHK会長選出や経営委員選任プロセスの放送法上の規定と慣行として行われて来たプロセスが紹介されている。例えば、経営委員は慣行として与野党一致の国会同意で選任されてきたが、百田尚樹はじめ3名の経営委員が選任された2013年は安倍内閣与党だけの同意人事が行われ、これが以降、籾井選任に至るNHK混乱の火種となった経緯が描かれている。
第二章は籾井就任後のNHKの統治メカニズムの混乱や、その発言・行動の特異さについて内部での実態も示すことで明らかにし、そこでは、外部から見える籾井の姿以上に組織人としての異様さが描かれている。第三章は会社法の権威である上村として、安倍内閣が抱える「籾井現象」と同種の危うさを取り上げている。それは日銀黒田総裁と財政政策や内閣法制局問題といった観点とともに、アベノミクスの成長戦略のうち、特にコーポレート・ガバナンスと大学改革については上村の本職の主戦場として自論を展開している。第四章でNHKガバナンスの新しい可能性についての提言をまとめている。
評者が籾井のNHK会長就任記者会見の報道に接したとき、上村が語るまでもなくNHKの「不偏不党」といったメディアとしての矜持や、放送法における公共放送のあり方を理解した上での発言とはとても思えなかったことを思い出す。それは、NHKという公共放送を担う特殊な組織の責任者だからではなく、世の中一般的な会社のトップとしても籾井が連発した「個人的見解」という言い方で免罪符が得られると考えていては組織管理者としての資質が無いと言われるに違いない。
ただ、上村は経営委員として、NHK会長の選任に係わり、面接をした当事者でもあることから、大いなる反省と多少のグチを語っているのが印象的ではある。それは、籾井が、九州大学法学部を卒業し、三井物産という一流商社で副社長に上り詰め、日本ユニシスの社長も経験している。そんな経歴を見せられて、「この人では、どうでしょうか」と言われると、なかなかだめだとは言えない、と述べていることだ。
一方、本書にもある通り、候補者として一人残った籾井を経営委員が面接をしたときに、女性委員たちは「言葉遣いがおかしい。この人は大丈夫か」といった意見があったとしている。紙だけではなく、面接の意味もそれなりに発揮されている。また、評者もIT業界に身をおいていたが、他社とは言え日本ユニシスの社長に就任した籾井について、はかばかしくない評判を耳にしたこともある。もし当時の経営委員の人達がそれとなく、財界の知人にヒヤリングをすればそれなりの情報を手に入れることはさして難しいことではなかったのではないか。上村は最終的に籾井をこう評価している。
「籾井会長は非常に単純といえば単純な人で悪人ではありません。しかし、これは経営委員として選任の責任がある以上忸怩たるものがあるが、巨大組織のトップを担うにふさわしい素養・知見といったものが備わっていないだけでなく、気に入らないとすぐに怒鳴りだす等、そうした欠落を徳で補うという側面も欠落しています。・・・人の話を聞けない、人の言うことが理解できない。だから議論ができない。建設的なコミュニケーション能力がまったくありません」
こう評価する籾井と上村の経営会議のやり取りなども詳しく記載されているのだがそこに表れている籾井の姿はまさに、反知性主義そのものといった風情である。何故そうした人間を選んだのかという疑問が深まれば深まるほど、会社法の専門家であり、早稲田大学法学部長を務めた著者としては、本書出版の思いを次のように言っているのが印象的だ。
「何度も申しますが、籾井会長は経営委員会が指名したのですから、私にも責任があることは間違いありません。しかし、その時点では良かれと思ったことがかくも裏目に出るのなら、本書のような書物を出版することで、問題のありかを全てさらけ出し、NHKの今後のあり方を検討するための素材を提供することこそが私に出来る責任の取り方と考えるほかはありませんでした」
上村はNHKの言う「不偏不党」について「単に世の中の真ん中を歩く」という事ではないと語っている。「第二次大戦中に日本の真ん中を歩いていたのは中立の人ではなく軍国主義者であり、ドイツの真ん中を歩いていたのはナチスである」という言い方で、民主主義の基本を少数意見に耳を傾ける度量と考えている。
それは「知性」こそが時代や状況に係わらずリーダーが持つべき資質としているとともに、現在の政治状況の持つ不安定さの根源こそ「知性」の欠落と見ているということだ。論理的に考える力、反対意見を理解する力、加えて自身の考えを適切に伝える力など「一神教的」思い込みを排除した「知的誠実」の追求をNHKの現役の職員に対してのエールとして送っている。それは、同時に我々に対する警鐘でもあるのだが。(内池正名)
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