奇怪な男の一生
書籍名 | 岡田桑三 映像の世紀 |
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著者名 | 川崎賢子・原田健一 |
出版社 | 平凡社(508p) |
発刊日 | 2002.9.4 |
希望小売価格 | 5,800円 |
書評日等 | - |
この本のタイトルである岡田桑三(おかだ・そうぞう)という名前を聞いて、思い当たる人がいったい何人いるだろうか。知っているならば、よほど写真か映画か南方熊楠に興味のある人にちがいない。そんな一般には無名の、しかし奇怪な人生を送った男の評伝である。
岡田桑三は、横浜で生糸を商う裕福な商家の息子。イギリス人の血が4分の1入ったエキゾチックな顔立ちだった。大正末、舞台美術を志してドイツに留学、当時の革新的な芸術運動に触れる。
帰国して、俳優・山内光として百本もの映画に出演。同時にプロレタリア映画運動にたずさわる。昭和10年代には、名取洋之助、木村伊兵衛らと日本初の写真制作プロダクションをつくる。日米開戦に際しては参謀本部にコネをつけ、「FRONT」という対外宣伝雑誌を発行。
敗戦後は一転、コミック「スーパーマン」の日本語版を出版するかと思えば、南方熊楠の業績を広めるための全集刊行に取り組む。また科学映画のプロデューサーとして、数々の国際的賞を得た名作を産み出す。
岡田桑三の一生をかいつまめば、こんなことになる。今まで写真史のなかで、あるいは映画史のなかで、あるいは出版の世界で、あるいは南方熊楠関係のなかで、岡田の名前は断片的には知られていた。かくいう僕も、写真史の文脈のなかだけで知っている名前だった。
それを、ジャンルを横断して一本の糸でつなげてみると、革命と戦争の時代をしたたかに生き抜いた、国際的と言おうか、ヤヌス的と言おうか、ハイブリッドと言おうか、文中で用いられている言葉を使えば「越境する」男の肖像が浮かび上がってくる。
なにしろエイゼンシュタインやプドフキンと親交を結び、銀幕のスターでありながらプロレタリア映画をつくり、失踪してソ連に入ったスキャンダラスな女優・岡田嘉子と「愛人」関係となり、参謀本部と結託しながら左翼をかくまい、関東大震災で大杉栄を斬殺した甘粕正彦の満州映画協会に所属し、戦後は生物学者としての昭和天皇の映画を制作しようと接近を試みる……と、その行動は常識的な予測を超え、ひとつの価値観では計れない。
かといって、無節操な変節漢かといえばそうではなく、岡田のなかでは一貫した美学が貫かれている。なによりも、岡田という男を生んだ1920年代、30年代の日本が、意外にも外に向かって開かれており、国内でも階級と職業を超えて人間関係が縦横に結びあうネットワークがあったことに驚く。
これに比べれば、僕たちが生きてきた戦後の世界は、内にも外にも閉ざされた空間だったことに、そして現在の僕らもその閉ざされた空間のなかで、「自由に」「世界と向き合って」いるつもりが、実は孤立して踊りを踊っていることに気づかないわけにいかない。
この本は、そんな岡田桑三の血湧き肉踊る人生をヴィヴィッドに描いた書物では、残念ながらない。小むずかしい研究書である。お勉強本である。「境界」「二項対立」「周縁」などと言った流行の知的タームをちりばめての分析には、過剰な意味づけも感じられる。
とはいえ、岡田桑三という断片的にしか知られていなかった男の全体像に迫ろうとしたことは、この本の最大の功績だ。誰か、こうした研究を下敷きに、この時代のリアルな肖像を描いてくれないか。(雄)
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