地元を生きる【岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子】

地元を生きる


書籍名 地元を生きる
著者名 岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子
出版社 ナカニシヤ出版(444p)
発刊日 2020.10.20
希望小売価格 3,520円
書評日 2022.07.16
地元を生きる

本サイトで取り上げる本は新刊を中心にしているけれど、ときどき古い本にすることもある。新刊を2冊くらい読んでもこれという本に出会わなかったとき、新刊ではないがどうしても書いておきたい本に出会ったとき。本書は後者に属する。京都の小出版社から刊行されており、新刊のとき見逃したらしい。先日、沖縄復帰50年関連の書籍広告が新聞に出ていて、そこで目に入った。

著者グループの一人である岸正彦の本は、このサイトで『はじめての沖縄』(新曜社)を取り上げたことがある。社会学者で、沖縄から本土へ就職した若者や、沖縄戦と戦後の生活についての聞き取りを長年つづけている。最近は小説家としての評価も高い(おまけにジャズ・ベーシストでもある)。打越正行と上間陽子という2人の名前にも覚えがあった。本書のサブタイトルは「沖縄的共同性の社会学」だが、それに2人の著書のタイトルを加えるとこの本の姿がおぼろに見えてくる。打越の著書は『ヤンキーと地元──解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(筑摩書房)、上間のが『裸足で逃げる──沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)。

1960年代生まれの岸と、70年代生まれの打越と上間、80年代生まれの上原健太郎という世代の異なる研究者たちが集まって、「沖縄における『地元』──つまり『沖縄的共同性』──というものが、さまざまな人びとにおいてどのように経験され」ているかをフィールドワークしたのが本書である。その際、聞き取りをする相手について岸は「安定層」(琉球大学や本土の大学を卒業し公務員など安定した仕事に就いている人)を、沖縄出身の上原は「中間層」(多くが高卒でサービス業で働く人)を、打越と上間は「不安定層」(地域社会から排除され、建築業の末端や夜の街で辛うじて生計を立てている人)を対象にした。

聞き取りをする上で4人が取り入れた視点があり、それは「階層とジェンダー」だという。なぜなら「沖縄は階層格差の大きな社会」であり「ジェンダー規範の強い社会」でもあるからだ。言い換えれば沖縄内部では貧富の格差が激しく、男は男同士の、また男女間での濃密な関係が時に理不尽な抑圧や暴力を伴うことがある社会だ、ということだろう。

「沖縄的共同性」というのは、たとえば県が作成した文書ではこんなふうに表現されている。「沖縄はユイマールをはじめとする助け合いの精神を有しており、人と人とのつながりや地域の課題等を共有し、協働で解決を図りながら生活を営んできました」(「沖縄21世紀ビジョン基本計画」)。この本の聞き取りは、そんな「一枚岩的な共同体のイメージ」を抜け出して、沖縄社会内部の格差と分断を明らかにする。4人の筆者が行った聞き取り調査のなかから、印象に残った語りを拾いだしてみようか。

「それが沖縄的だったかどうかすらもうよくわかんないですけどね。/…例えばNHKの『ちゅらさん』とかですよね、そういうのに出てくる状況みたいなのはほぼ無いですね」──1964年生まれ、琉大卒の公務員。那覇とその郊外の都市部で育った彼の語りを岸たちは「共同体から距離化する語り」と呼ぶ。

「俺ら、資金もないし、じゃあどうやって居酒屋スタートするかっていう話になったときに、じゃあ、俺たちは資金もないから、人脈だなってことになって。じゃあその人脈を活かして、居酒屋をやる前になんかやろうぜってなって」──1985年生まれ、専門学校卒の若者が地元の同級生ら3人と居酒屋を立ち上げ、地縁血縁のネットワークで商売を広げていく。上原が聞き取った「中間層」に属するジュンのこの語りは「共同体に没入する実践」と呼ばれている。

「達也にーに(兄)から、仲里かー、ってから。すぐらったんよふーじー(殴られたんだよー)。はーってから。誰によ? よしきにーににくるされた(暴行を受けた)って言ってるわけよ。まじでねって、引き合わんねえ。もういいよー、辞めようってから、他の仕事やろう。俺も達也にーにのこと好きだから。だから要は、友だちがこんなってやられたら引き合わんさ。俺もこれで辞めたのに。バカみたいだなあって」──中卒、30代。元暴走族で、族仲間が多く働く建築現場で「しーじゃ(兄)」と「うっとぅ(弟)」の上下関係が時に暴力を生み、仲間が離合集散を繰り返す。この章の筆者・打越は自らバイクに乗って暴走族の一員となり、「パシリ」役を勤めながらこの集団と長年つきあってきた。そんな研究者と研究対象の関係を超えたつきあいがあってこその語りが紹介されている。

「帰るおうちがあって、逃げれる場所がある、で、みんなに会いたいときに会えるし、なんか、そんなのがあるから、いまは別に苦しくもないし……いまが楽しいし、逃げなくてよかったな。……現実から。……自分が、なんかこの仕事(注・風俗の仕事)をしてしまったら、なにも考えなくてすむ、っていうのがあって、この短時間のあいだに、とりあえずこの人としゃべって、まあ、そういうことして、終わればいいんだ、っていう自分の中でこれが逃げ道になってしまってて……。だけどいまはこうやってやることがちゃんとあって、毎日仕事行って、帰ってきて『疲れたぁ』っていうのも、たまにはいいなって」──暴力をふるう父親のいる複雑な家庭から逃げ、民宿を転々しながら暴力と隣り合わせの風俗の仕事をし、打ち子兼恋人に金をまきあげられ、その後、ようやく空き家になっていた実家に戻り仕事を始めた春菜の語り。上間が担当している。

本書に先立って上梓された上間と打越の2冊の本の意味を、岸はこう評している。「上間陽子は沖縄社会のなかで排除されると同時に縛り付けられる若い女性たちの過酷な世界を描き、打越正行はその女性たちに暴力をふるうような男たちの、それはそれでまた過酷な世界を描いた。そうすることでこの二人は、これまでの沖縄的共同性についての私たちの『語り方』を、永遠に変えてしまったのだ」

4人の調査から浮かび上がるのは、助け合いの精神に富み地縁血縁の強い「沖縄的共同性」と言われるものを、必ずしもひとくくりでは語れないということだろう。その内実は複雑で多様だ。本土に住む私たちはともすると沖縄を、本土では失われたものをこの地に仮託して、おじいおばあを核にした共同体の強い絆が残り、ノロやユタに象徴される伝統的な信仰が生き、青い空と海、南国のゆるい時間のなかでゆったり生きる、といったステレオタイプで捉えがちだ。でもこの本は、そんな紋切り型で沖縄を見るのはもうやめよう、と言っている。

戦後すぐの沖縄は基地に依存した輸入経済でなりたっていた。だから本土のようには製造業が育たず、主に零細企業からなる第三次産業に偏るかたちで発展してきた。沖縄の県民所得は今も全国最下位であり、有効求人倍率、非正規雇用率、離職率、完全失業率いずれも全国最低クラス、また地域内の不平等性を示すジニ係数も全国最低クラスとなっている。年間収入1000万円以上の世帯は沖縄全体の2.1%に過ぎないが、400万円未満の世帯は64.1%を占めている(2014年)。こうした数字を背景に、岸たちの調査は沖縄社会の多様性や複雑さ、「ある種の『分断』」を描き出した。「私たちは、沖縄の貧困や格差が、かなりの程度『人為的に』作られたのではないかと考えている」と記す。

もちろん本書で紹介されている調査はそのまま一般化できるものではない。岸たちも書いているように、「小さな、ささやかな、断片的な記録」にすぎない。でもこうした「生活の欠片たち」を通じて「私たちなりのやり方で沖縄社会を描こうと思う」と、岸は控えめながら強い確信をもってこの本の意図を語っている。『断片的なものの社会学』(朝日出版社)という素晴らしい著書を持つ岸らしい。

上間と打越が執筆した「不安定層」の男女の語りは、ほとんどの読者にとってたぶん初めて見る沖縄の底の底で、すごい迫力で読む者に迫ってくる。それに上原の「中間層」と、岸の「安定層」の語りを加えて、この本は沖縄社会の構造を、彼らなりのスタイルで描き出そうとしたものだろう。貧困と暴力を再生産する負の側面も持つ沖縄的共同性。そこから意識的に離脱する者があり、そのなかで生きる者があり(それが多数派だろう)、そこから排除されると同時に縛り付けられる者もある。そんな像がおぼろげに見えてくる。

この調査は2012年に始まり2016年には原稿がほぼ出来あがっていたが、そこから刊行まで4年かかった。刊行を止めていたのは岸で、「私は、自分自身が『ナイチャー』の社会学者として、沖縄の内部の『複雑性』を描き出すような本を出版することを、深く迷い、恐れ、悩んでいました」。でもその間に沖縄の多くの人から背中を押され、刊行を決めたという。

本書はあくまで聞き取りの記録、「エスノグラフィー」であり、そこから見えてくる範囲内で沖縄社会内部の構造が語られている。その外にある戦後沖縄の歴史や政治、アメリカや本土との関係については触れられていない。ただ岸はそのことについて、ひと言だけ書いている。「私たち日本人は、一方で『共同性の楽園』のなかでのんびりと豊かに生きる沖縄人のイメージを持ちながら、他方で同時にその頭上に戦闘機を飛ばし、貧困と基地を押し付けている」。本書は、そんな本土の人間の矛盾、あるいは見て見ぬふりを私たち自らが理解する最初の一歩になるはずだ。(山崎幸雄)

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