書籍名 | ザ・ペニンシュラ・クエスチョン-朝鮮半島第二次核危機 |
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著者名 | 船橋洋一 |
出版社 | 朝日新聞社(752p) |
発刊日 | 2006.10.30 |
希望小売価格 | 2500円+税 |
書評日等 | - |
北朝鮮が弾道ミサイル発射につづいて核実験をおこない、米朝中露韓日による六者協議が進行しているまっただなかに出版された「朝鮮半島第二次核危機の現在史」である。
本の厚さ4センチ、752ページがずっしり重い。名前を挙げられているだけでも160人の当事者に取材した超重量級のノンフィクションだ。
取材対象には日本の小泉純一郎、福田康夫、安倍晋三、田中均ら、アメリカのパウエル(前国務長官)、アーミテージ(国務副長官)、ケリー、ヒルの二代にわたる六者協議代表、中国の唐家●(王偏に旋)(外相)、武大偉(六者協議代表)、韓国の金大中、潘基文(外相)ら、北朝鮮をのぞいた各国の当事者や最高責任者が含まれている。
これだけの錚々たるメンバーへのインタビューは、国際派の新聞記者として長年、各国トップとの人脈を築いてきた著者にしてはじめて可能になった仕事だろう。
アメリカにはボブ・ウッドワードがブッシュ、ラムズフェルド、パウエル、ライスらに取材した「ブッシュの戦争」「攻撃計画」というブッシュ政権の内幕を暴露したベストセラー・ノンフィクションがある。著者がこの2冊を意識していたのは間違いない。ウッドワードの仕事に対抗できる、国際政治の最前線を内側から掘ってみせるノンフィクションがようやく日本にも現れた。
扱われているのは、北朝鮮が核兵器製造をめざして高濃縮ウラン計画を進めていることが明らかになった2002年から、弾道ミサイルを発射した2006年7月まで。その間に、日本では小泉前首相が訪朝して拉致問題が表面化し国中をゆるがした。
明るみにでた北朝鮮の濃縮ウラン計画に各国はどう対応したのか。
ブッシュ政権内部での、ラムズフェルドの強硬路線とパウエルの対話路線の対立。六者協議の議長国としてイニシアティブを取り東アジアでの存在感を高めようとする中国の、北に対するアメとムチ。太陽政策を進める韓国の困惑。そんな各国の複雑な思惑が錯綜して紆余曲折した末に、北の核放棄とエネルギー支援をうたった共同声明にこぎつけるまで(2005年)が、なまなましいやりとりを交えてリアルに再現、分析されている。
この大作を要約しても仕方ないし、できもしないので、面白いと思ったところをひとつふたつ紹介してみよう。
ひとつは日本の拉致問題と核危機、あるいはイラク戦争との関係。
日朝正常化をめざした小泉純一郎の訪朝を、著者は「北東アジアに安定した枠組みをつくるための戦略的決断」であり、そのために「リスクを避けず」、アメリカを不快にさせかねないテーマで「独自にイニシアティブを取ろうとした」と評価している。
それは当時の官房長官・福田康夫が小泉を表に立てながら推し進めた戦略でもあったらしい。日米のあいだでは、「日本が米国のイラク戦争に協力する代わり、米国は小泉の訪朝を支持する」という暗黙の「取引」があった、と船橋は記している。
しかし拉致問題で何人もの死者が出ていたことが明らかになって日本国内に「逆流」が生まれ、その戦略は頓挫した(この「逆流」を心配していたのは実は北朝鮮で、小泉は何とか乗りきれると楽観していたようだ)。その結果、日本は拉致問題を最優先課題と位置づけることになり、以後、六者協議でほとんどイニシアティブを取れていない。
もうひとつ、ふうんと思ったのは中国の戦略。
1992年に中国が韓国と国交正常化して以来、中国と北朝鮮の関係は冷えきっていたようだ。中国と北朝鮮は朝鮮戦争以来の同盟関係にあるけれど、「中国は、それを軍事同盟として機能させる気はない」、いわば「同盟立ち腐れ」状態にある。
そこで中国は北朝鮮のウラン計画にどう対応したか。
「中国は基本的には「北朝鮮の核脅威は、米国への脅威ではあっても、中国への脅威ではない」とみなしている」が、「間接的な脅威」にはなりうる。
「間接的な脅威」のひとつは、米国が北を軍事攻撃した場合、大量の難民が発生して中国に流入し、大きな混乱が生ずる可能性があること。もうひとつは、「日本や韓国、台湾が核保有を主張する危険性」があること(著者によれば、「核武装まで行かずとも、それが日本の軍備拡大の口実に使われることを中国は警戒している」)。
経済発展をめざず中国の最優先課題は、北東アジアに混乱を起こさせないことにある。そのためにアメリカをはじめとする国際社会と協調することが必要で、だからこそ朝鮮半島を非核化しなければならない。ただし、北朝鮮にあまり圧力をかけすぎると北の体制が瓦解する危険があるから、微妙なかじ取りが求められる。
もうひとつ中国にとって北朝鮮問題を考える上で重要なのは、「中国の一部」と主張する台湾の存在だ。著者は、朝鮮半島と台湾と関連づけて考える中国関係者のこんな言葉を紹介している。
「「日清戦争は、朝鮮半島をめぐって、中国が日本と戦い、台湾を失った。朝鮮戦争は、朝鮮半島をめぐって、中国が米国と戦い、台湾解放の機会を逃した。もう一度、朝鮮半島をめぐって戦争が起これば、台湾が独立する危険がある」
中国の最優先順位は、朝鮮で動乱を起こさないこと、それによって台湾を再び失わないこと、すなわち平和と安定である。それでも北朝鮮が崩壊するのであれば、平和裡に崩壊してほしいということである」
こうした諸々の要素を考えあわせると、中国にとって「「現状維持」がベストのシナリオ」という考え方もできる。つまり、北の崩壊というリスクを賭けて問題を解決するより、米中が協力して北東アジアの平和と安定の問題を協議している現状そのものに意味があるというわけだ。
一方、泥沼のイラク戦争を抱えるアメリカにも、六者協議でイニシアティブを取る中国に北朝鮮に対して影響力を行使するよう「アウトソーシング」せざるをえない事情がある。
ここまで読んでくると、小泉の「戦略的判断」が頓挫して以来、拉致問題が動かなければ何もしないという日本の硬直した姿勢が、なんとも幼児的なものに見えてくるのはどうしようもない。
何十人もの日本国民の生命と安全が不法に脅かされた拉致問題の解決が重要なのは言うまでもない。でも、各国の利害と戦略戦術が複雑にからむ国際政治の場で、反北朝鮮の感情に駆られて拉致問題一辺倒になり、経済制裁をふりかざすことで、いまだに生死のわからない被害者が帰国できる可能性は果たして増大するだろうか。
評者にはそうは思えない。経済制裁は、北朝鮮の貿易の大部分を占める中国と韓国が動かないかぎり実質的な効果はない。中国も韓国も、また当面はアメリカも北の体制崩壊を望んでいない。そんな状況のなかで米韓中との連携なしに日本が強硬手段に訴えれば訴えるほど、その路線はラムズフェルドが主張した「体制転覆」路線に近づいてくる。
そうなれば、拉致被害者の帰国が対話や取引によって実現する可能性は限りなく小さくなり、北の体制が崩壊するそのときまで実現しないのではないか(対北強硬論者の本音は被害者の帰国ではなく北を崩壊させることにあるのかも)。
結果として日本は六者協議のなかで「かませ犬」的な役割を果たすことになるかもしれない。北の威嚇に日本が吠え、北が噛みつき、中国とアメリカがまあまあと落としどころを探る。先の核実験に対する国連安保理での制裁決議論議のなかでも、そうした役割がほの見えていた。
その先に見えてくる北東アジアの未来は、アメリカと協調する中国のイニシアティブが確立し、北の崩壊を望まない韓国とのあいだにも溝ができて日本は孤立する、という可能性だってあるのではないか。
この本の中で著者は、北朝鮮が核を手放すことはないだろうと見るアメリカの政府関係者の話を紹介している。インド、パキスタンがそうしたように、北朝鮮が「核保有国」としてふるまいつづければ、やがてそれは既成事実となってしまう。
船橋は、この第二次核危機の意味を、インド、パキスタンから北朝鮮へと核が拡散したことによって、かつての米ソのような「核を究極のパワーの象徴とする国際政治秩序が根底から揺らぎつつある」ことに見ている。
中国の台頭、北朝鮮の危機、韓国の米国離れと親北路線、日本の「普通の国」化、日中の対立など、「冷たいバルカンとなりつつある北東アジアの相互不信危機の重層的危険」が広がりつつある。
そのなかで、この国が21世紀をどう生きていったらいいのか。今こそ長期的な戦略にもとづいて考えなければいけないと、この本は教えてくれる。(雄)
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