書棚と平台 - 出版流通というメディア【柴野京子】

書棚と平台 - 出版流通というメディア


書籍名 書棚と平台 - 出版流通というメディア
著者名 柴野京子
出版社 弘文堂(236p)
発刊日 2009.07
希望小売価格 2,940円
書評日等 -
書棚と平台 - 出版流通というメディア

「読書離れ・活字離れ」が叫ばれて久しい。子供や若者がその槍玉に上がっていたのが、いつの間に全ての世代に対して語られるべき状況になってしまった。インターネットによって出版物の流通は大きく変化してしまって町の本屋も少なくなったし、ネット小説が発生するに至っては、今までの本にまつわる価値観の多くは覆してしまう可能性もある。しかし、そうした危機感も所詮は本を買う側からの目線だと思う。本書は出版業界の側から「本の危機」をどう捉えるべきかを論じている。したがって「本の危機」とは「出版業界の危機」との視点である。

まず、経営問題としての出版不況とは二大取次による流通寡占、利幅の大きい雑誌への依存体質、再販制度にみられる商慣習といった業界構造の問題であるという理解。そして、それらが未整理のまま俎上にのり、加えて技術革新、外部環境変化、活字幻想ともいうべき教養主義的な言説といった議論が組み合わされてしまった結果、「出版危機説」の多くは漠然とした問題意識を「不安」としてクローズアップしたものだったり、「出版産業体の経営問題」と「読書問題」が峻別されない議論によって問題の本質から逸れていってしまったと指摘する。

「・・ありがちなのは、売れない良書と商業主義のベストセラー、町の書店とインターネット書店、活字文化とコンピュータ、といったわかりやすい図式化で、問題は常に文化的意義と産業的合理性との二項対立に置き換えられてしまう。この種の二項対立の代表は、『こころざしとしての出版』対『なりわいとしての出版』というアポリオだ。しかしそのような論法では結論は留保されるか、とりあえず誰かを『戦犯』にして矛先を収めるしか手がなくなる。・・・」

こうした混乱する議論を解いていくアプローチを次のように提唱している。 「・・だから今現実に前にある問題を解決したいならば、すべては近代を踏まえることから始まる。われわれが通過してきた道筋のなかにはいくつものヒントが隠されているはずであり、出版危機言説の中に立ち現われるいくつかのフアクターは、必ず近代との連続性をもって存在している。・・・」

業界内部からであれば当然のアプローチだろう。そして踏まえるべき歴史として指摘しているのは、出版物の流通過程における「仕入れ、配本、陳列」といった一連の工程を「財そのものではなく、財の集合の状態を変化させることで消費者に接近する過程である・・・」というアソートメント機能として流通の価値を明確にしようとする試みである。

本や雑誌、新聞などの印刷メディアの流通については多くの歴史と経緯があり、興味深い事実も沢山紹介されている。そのひとつが出版流通の転換点となったといわれている明治維新の学制発布における初等教科書の発行とその物流である。当時、教科書の発行は自由であったので様々な教科書が流通した。その中には、あの銀座の天賞堂(四丁目にある老舗の時計屋さん)が明治10年に「江沢」の屋号で教科書を出版して茨城県で採用されたという話も驚くが、流通の確保のために教科書の販売・流通ルートは多岐に渡っていて全国で酒屋、郵便局、呉服屋、文房具店、薬局などで取り扱ったようだ。学制といった国家としての統一事業が推進されていった裏で、その実現のため「出版物を希望する多くの人たちに届ける」という目標達成のために既存のインフラが活用されるとともに、新たな仕組み造りの契機となった。

また、関東大震災から昭和初期になって世の中のインフラ整備が進み、「取次」の世界では大きな変化が起こった。それは「円本」といわれる全集ものに代表される書籍の爆発的な売り上げが記録され、取次会社は「発送戦」といわれるほど地方の本屋にいち早く円本を送り届けるための熾烈なスピード競争を毎月行っていた。この結果、雑誌取次業者による書籍扱いの増加、予約販売による外商の発達、出版物の全国流通ルートの確立などが進んだ。

次のターニング・ポイントは第二次大戦中の国家統制システムである。

「産業システムからみた戦時出版統制の要諦は用紙統制と配給統制である。・・・国家が支配する出版社への従属を命じられた取次各社は国策会社である日本出版配給株式会社に統合させられた。・・・戦後、世界最高システムと称される二大取次を軸とした産業構造に引き継がれていくことになる。・・・」

この仕組みによって出版・取次・本屋というヒエラルキーが構築されたという点が注目されている。すなわち、出版一元体制と称し、新聞社・出版社・学識経験者・陸海軍将校・翼賛会・内閣情報官らをメンバーとして日本出版文化協会(文協)が創設され、文協は用紙割当を行うことで、取次機能を担う日本出版配給株式会社をコントロールしていった。この構造によって、それまで取次各社が営々と築いてきた付加価値を上流である国や出版会社が牛耳った瞬間である。「物のフローがイデオロギーのフローとして体現した」という著者の考えは取次業界に生きてきた人たちの率直な思いなのだろう。

さて、出版の流通過程における最後の工程が「読者と本屋」の結びつく「購書空間」であり、本書のタイトルにもなっているところだ。江戸時代から本屋はいわゆる坐売りだし、露天の赤本や雑誌は平台にのせて売られていた。そうした販売形態が開架陳列という形式に変わっていったのは、まさにアソーティグ機能として「意味のある集合」を効率的に作り出していく仕組みだった。この変化を活用して本屋の書架の占有を狙った商品が企画された。それは昭和2年に刊行された岩波文庫である。岩波文庫は戦略的にいくつかのアイデアが実装されていた。ひとつは全冊揃販売の円本・全集本と違って、分売を基本としたこと。また、補充スリップ(売り上げカード)の採用によって本屋の在庫管理や取次の管理手数の簡略化を達成したこと。国文学は黄色、自然科学は青といった各色帯の採用によってジャンル分けを実現したこと。こうしたアイデアを武器として岩波文庫は棚ぐるみで本屋に進出したと言われている所以である。岩波もなかなか商売人である。

このように、出版流通のそれぞれの工程においてスピード競争や知恵の発揮、効率性の追求などのエピソードを断片的に読んでいくだけでも面白い。

本書の文脈に従って出版の長い歴史を踏まえ、現在を俯瞰すると、今起こっている変化は非可逆的な変化だと思われる。インターネットの検索機能と発注機能を読者(客)に担わせるというビジネス・モデルは「流通の主導権を半分読者の手に移してしまった」という柴野の指摘の通りだ。しかし、彼女はこのビジネス・モデルに警鐘も鳴らしている。リテラシーによる階層化の発生とともに、デバイドされた人にとっては出版物を手にする機会が極端に減少するリスクがあると指摘しているし、「売りたいものをわかってくれる人だけに」売るというネットの世界では可能な個人商店のビジネス・モデルも出版流通全体を視野にいれた場合には大多数の「わからない人」を放置してマニアックな個人書店に「オルタナティブな流通革命」の期待を寄せるのは安直すぎるとも指摘している。

盛りだくさんの内容ではあるが、出版業界の内側から現在を見る視点として興味深く読み終えた。 評者にとっての「出版流通」の意味は、読みたい本に出会う確率を高める仕組みであると思っている。丸善が140周年記念事業として開始した「松丸本舗」企画も面白い試みだ。これは松岡正剛の個人的な書棚を丸善の売り場に再現して、アソートニングした膨大な書籍の集合を目の前に見せ、売るというイベントだ。当然、そこには新たな本との出合いがあるのだろう。出版・取次・書店・読者の関係はますます複雑化してきた。(正) 

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