書籍名 | 「世界地図」の誕生 |
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著者名 | 応地利明 |
出版社 | 日本経済新聞社出版局(278p) |
発刊日 | 2007.1 |
希望小売価格 | 2520 円(税込み) |
書評日等 | - |
さて、天気も良いし散歩に行くかというとき、国分寺崖線散策図とか世田谷の遺跡といったガイドブックを片手に出掛けることが多い。初めて散策する地域の方角や距離を確認するという実用性こそ地図の持つ最大の特性だと思う。しかし、地図の長い歴史から見るとそうした実用性というか科学性は比較的新しい時代に獲得した特性らしい。
本書では歴史的に特徴のあるいくつかの地図を題材として、思想性・芸術性・科学性・実用性といった視座でそれがどの様に作成されたのかを論じている。その四つの視座とは、
「思想性とは主張することであり、すべての地図は「地のかたち」の表現をめざしてきた。しかし、地図の作製では現実を縮小して表現することが求められる。・・・当然、表現するものの選択が行われることから「なにを描き、語るために地図を作成するのか」という主張の選定と直結する。・・・・逆に言えば衛星画像に主張はない。・・・」
「芸術性とは、地図表現の明快さと美しさである。・・・近代への道は装飾性を排除してきた。・・・しかし、機能芸術性とも呼べる美が存在しているのではないか。・・・例えば、等高線で山体をみごとに表現している明治中期につくられたものは美しい・・・」
「科学性とは正確な地図である。・・科学とは何かという問いにはさまざまな答えがある。・・地図の科学性とは実体を再現可能であることをいうのではないか。・・」
「人間は、地表を活動の場としてきた。・・ということは、人間はせいぜい地表2メートルほどの目線でまわりをみわたし、確認して生活し、活動している。・・・・したがって人間にはこの制約を超えて地表を広く見渡したいという願望がある。・・・一方、地表を縮小・要約することがどうしても必要になる。それが地図である・・・身体と地表をわれわれの身体性のなかにとりこんでくれるインターフェイスが地図である。その機能が実用性である。・・・」
地図の進化は現代に近づくにつれて、思想性・芸術性とともに科学性・実用性の重視へと変遷してきた。つまり、表現しようとするものが人間や、そのコミュニティが持つ「世界観」から「世界地図」に変化してきたということである。こうした変化を分析するとともに、もう一つのテーマは「地図も絵画と同じ様に「傑作」「名作」という言葉で語れないだろうか?」という問題提起である。
つまり、地図と絵画の共通点は三次元の対象を二次元の平面に映すということだが、その技法として絵画では遠近法、地図では投影法がルネッサンス時に相互影響を与えながら成立したと言われている。
絵画史での傑作・名作といわれる基準は、それまでの絵画に比べてその作品の持つ革新性・斬新さ、すなわち時代画期性といわれているものである。第二の基準は作品としての完成度、すなわち、表現の美しさという審美的基準といわれている。
この二つの基準で傑作を語るとすると、「審美的基準」は「地図」の作成プロセスを考えると、製作者の自由度または独立性は絵画に比べるとはるかに小さいことから評価することは大変難しい。したがって、時代画期性で地図を評価して「傑作」とは、「思想性+芸術性」から「科学性+実用性」にシフトする時代にうまれた「カンティーノ図」にその評価は与えられるべきというのが著者の結論である。
さて、大航海時代の1502年にポルトガルで作成されたといわれる「カンティーノ図」はバスコダガマのインド発見によって彼らが把握した新しい「世界」を示すとともに、インドの発見はポルトガルの国家目標の達成そのものでもあった。従って、インドへの海路および海路図は国家機密であり厳密に管理されていたといわれている。しかし、その地図は現在北イタリアのモデナ市の図書館に所蔵されている。盗写されてポルトガルからイタリアに売られたとのこと。
一方原図は厳重な管理下におかれながら1755年のリスボンを襲った大地震とその後の大火で秘匿地図の全てを焼失したといわれている。盗写されていなかったら、この地図は現存していないことになるし、皮肉なことに「カンティーノ」というのは盗写したスパイの名前である。地図の正式の名称は「インディアスの諸地方で近年発見された島々への航海のための海図」という。
この地図は、西はアメリカ大陸の東部、東は東南アジアまでをカバーし、測量や天測による経緯度の測定などによって作図した最初の世界地図である。原図につけられていた名前から分かるように極めて目的的かつ実用として作成されたものである。
そのほか、仁和寺蔵日本図、古代バビロニア粘土板世界図、法隆寺蔵五天竺図、ヘレホード図、などが紹介されている。評者としては「古代バビロニア粘土板世界図」を世界史の教科書で写真を見たような気もするが、その他の地図は初めて知ったものだと思う。
さて、十四世紀の書写された仁和寺の日本図を見てみると、山城の国を中心として本州が東西に長く描かれている。その本州島は東西の比率を正しく描いている。
「・・・本州島が島であるとの認識、またその「かたち」についての知見が成立していく背後には、本州島に住む個々人の経験が蓄積・集成され、その経験の束が集団全体で共有されていくという過程があっただろということである。・・・仁和寺の日本図は、観念やコスモロジーによることなく集団的な経験世界の内部を語り描く地図の例と考えられる。・・・」
集団の経験世界の内部を束ねるという過程(プロセス)とは、つまり律令制において国家を量的に把握してきた結果であったり、五畿七道で生活し、旅をし、体感した経験を語ってきた日本人の歴史である。それにしても本州の形状や本州が巨大な島であることを日本人は具体的にどうやって認識したのだろうか依然として興味は尽きない。
次に、日本で描かれた現存最古の世界図といわれるのが法隆寺蔵五天竺図である。五天竺とはインドが五つの州から構成されているということだが、この地図のポイントはその五天竺の北東端に中国が書かれていることである。
「・・・東アジア海域世界の東端に位置する日本にとっては、文明の中心はつねに中国にあった。日本は、国家形成以来、中国の周辺的地位に甘んぜざるを得ないという従属的な関係におかれてきた。日本にとっての「インドの発見」は、中国のほかにもう一つの文明中心として天竺が存在するという事実の発見であった。しかもそこが仏教の発祥の地であると同時に、中国以上の大国であることは、日本にとって中国への従属的な劣等意識からの脱却をはかる可能性を与えるものであった。それは、中国への日本の屈折したナショナルな感覚をいやすものでもあったろう。」
まさに「観念が構図を作る」という例として挙げられている。
地図達をこのように読解したことは今まで経験していなかった。伊能忠敬の「全日本沿海與地全図」以前の日本における地図についてあまり深い思いをめぐらせることがなかったのは、地図の役割を実用的な側面からのみ捉えていたからなのかもしれない。宗教観や歴史ドラマを一枚の地図から読解する楽しさを教えてもらったと思う。(正)
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