書籍名 | 世界史を大きく動かした植物 |
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著者名 | 稲垣栄洋 |
出版社 | PHP研究所(224p) |
発刊日 | 2018.06.18 |
希望小売価格 | 1,540円 |
書評日 | 2021.10.17 |
『世界史を大きく動かした植物』というタイトルに惹かれてこの本を手にとった。腰巻きに踊る「植物という視点から読み解く新しい世界史」「一粒の小麦から文明が生まれ、茶の魔力がアヘン戦争を起こした」という惹句も、なにやら魅力的だ。植物が人類の進化に大きくかかわってきたであろうことは容易に理解できる。頭の中では、以前読んだ『銃・病原菌・鉄』(本書の参考文献のひとつでもある)の植物版というイメージで読み始めた。
本書は植物学者である著者が、世界史を大きく動かしたであろうと考える植物をいくつかピックアップして、それぞれについて解説をしている。コムギ、イネ、コショウ、トウガラシ、ジャガイモ、トマト、ワタ、チャ、サトウキビ、ダイズ、タマネギ、チューリップ、トウモロコシ、サクラの14点がそれだ。
植物ごとに章立てをしていて、記述内容には濃淡があり、ここでは比較的世界史寄りの記述が多い植物を中心に紹介してみたい。
コムギの章には、「植物の種子は保存できる・・・保存できるということは、分け与えることもできる。つまり、種子は単なる食糧にとどまらない。それは財産であり、分配できる富でもある」という記述がある。実は「植物は富を生み出し、人々は富を生みだす植物に翻弄された」(はじめに)というのが、本書の大きなテーマの一つでもある。
例えば、コショウである。コショウは今でこそ多くの香辛料や調味料の陰に隠れて目立たない存在だが、「その昔、コショウは金と同じ価値を持っていたと言われている」。なぜか? 古来、ヨーロッパでは家畜の肉が貴重な食糧であったが、肉は腐りやすいので保存できない。ところが、香辛料があれば良質な状態で保存できる。「香辛料は『いつでも美味しい肉を食べる』という贅沢な食生活を実現してくれる魔法の薬だったのである」
コショウの原産地は南インドであり、ヨーロッパの人々にとっては手に入りにくい高級品であった。陸路をはるばる運ぶしかなく、どうしても高価になる。インドから海路で直接ヨーロッパに持ち込むことができれば、莫大な利益が得られる。そこで、スペインやポルトガルの船団が地中海の外側に船を繰り出し、これが「大航海時代」の始まりとなった。植物が世界を「大きく動かした」ことになる。
コショウを求めてインドを目指したコロンブスは、1492年アメリカ大陸に到達した。そこで出会ったのはコショウならぬトウガラシであった。トウガラシは辛味が強くヨーロッパ人には受け入れられなかったが、ポルトガルの交易ルートによって、アフリカやアジアに伝へられていった。インドやタイ、中国などに無理なく受け入れられたのは、「栄養価が高く、発汗を促すトウガラシは、特に暑い地域での体力維持に適していた」からだという。
半世紀後、トウガラシは日本にも伝わり、中国経由だったことから「唐辛子」と名付けられた。一方、韓国には日本から伝わったことから、韓国の古い書物には「倭芥子」と記されている。日本ではそれほど広まらなかったが、韓国ではトウガラシの食文化が花開いて現在にいたる。
ジャガイモの原産地は、南米のアンデス山地である。コロンブスが新大陸を発見して以降、16世紀にヨーロッパに持ち込まれた。もともとヨーロッパには「芋」はなく、ジャガイモの芽や葉などに毒が含まれていて、めまいや嘔吐など中毒症状を起こすことなどから、当初は「悪魔の植物」と呼ばれていた。主にドイツで普及して、今ではヨーロッパ料理に欠かせない存在になった。豊富にとれたジャガイモは、保存が効き、冬の間の家畜(主にブタ)のエサにも利用されて、多くのブタを一年中飼育できるようになって、ヨーロッパに肉食を広める要因になった。
アイルランドでは18世紀には主食となるほどに普及したが、1840年代にジャガイモの疫病が流行し、大飢饉が発生した。当時イギリスの対応は冷たく、100万人にも及ぶ多くの人々が、故郷を捨て新天地のアメリカを目指すことになる。イギリスとアイルランドの確執は、このときから始まったのかもしれない。「このとき移住した大勢のアイルランド人たちが、大量の労働者として、アメリカ合衆国の工業化や近代化を支えたのである」
ワタは「世界史を大きく動かした植物」の中でも出色の存在であろう。ワタの主要な原産地はインドである。「17世紀になって、イギリス東インド会社がインド貿易を始めると、品質の良いインドの綿布がイギリスで大流行することになる」。18世紀後半には蒸気機関の出現により、手間のかかる機織りの作業が機械化され、大工場での大量生産が可能になった。これが「産業革命」である。
「産業革命」はいいことばかりではない。材料となる大量の綿花が必要になり、19世紀には、もはやインドだけでは足りなくなり、イギリスは新たなワタの供給地をアメリカに求めた。アメリカにはワタを栽培するのに必要な広大な土地はあったが、十分な労働力はなかった。そこで、アフリカから多くの黒人奴隷がアメリカに連れて行かれたのである。アメリカから綿花がイギリスに運ばれ、イギリスから綿製品や工業製品がアフリカに運ばれ、アフリカからは大勢の黒人奴隷たちがアメリカに連れて行かれた。「このようにして常に船に荷物をいっぱいにするための貿易は、三角形のルートで船が動くことから三角貿易と呼ばれている」。そして奴隷制などをきっかけとして1861年南北戦争が勃発する。
ワタと並んでチャもまた世界史に大きく影響を与えた植物の一つだ。チャは中国南部が原産の植物だ。仏教寺院で盛んに利用され、宋代には日本からの留学僧たちによって抹茶が日本に伝えられた。一方、ヨーロッパには長い海路でも傷みにくい紅茶が出荷されるようになった。はじめにオランダへ、次いでイギリスへと伝わった。アメリカ大陸にはすでにオランダから紅茶が伝わっていたが、その後イギリスの植民地に変わったことで、イギリスとアメリカの間にチャを巡る騒動が勃発する。1773年の「ボストン茶会事件」がそれだ。そして1775年には独立戦争に発展する。
イギリスで紅茶が普及すればするほど、大量のチャを清国から輸入しなければならず、代わりに大量の銀が流出していく。この貿易赤字を解消するため、「イギリスは、インドで生産したアヘンを清国に売り、自国で生産した綿製品をインドに売ることで、チャの購入で流出した銀を回収するという三角貿易を作りだしたのである」。そして、1840年にはイギリスと清国都の間でアヘン戦争が勃発する。この間、1823年にはイギリスの探検家がインドのアッサム地方で中国とは別種のチャの木を発見する。こうして、インドはチャによって経済を復興していく。
世界三大飲料として紅茶、コーヒー、ココアが挙げられるが、いずれもカフェイン含んでいる。「植物が持つカフェインという毒は、古今東西、人間を魅了してきた。そして、カフェインを含むチャもまた、人間の歴史を大きく動かしてきたのである」
植物は本来、昆虫や鳥、動物などを介して種子を広く散布してきたが、本書を読むと、人類もまた植物を世界中に広めることに大きく貢献してきたことがよくわかる。著者は「人類は長い歴史の中で、自分たちの欲望に任せて、植物を思うがままに利用してきた。そして、物言わぬ植物は、そんな人間の欲望に付き従ってきた。・・・はたして、植物たちは人間の歴史に翻弄されてきた被害者なのだろうか? 私は、そうは思わない」(おわりに)と述べている。著者は、実は、植物こそが人間を利用してきたのではないかと言いたかったのかもしれない。
全体的には、雑学的な要素も多く、面白く読めた。ただ、個別の植物ごとに章分けしたことで、植物の特性に関する記述が中心で、肝心の「世界史を大きく動かした」という視点が希薄な章が散見された点が少々残念な気がした。
なお、21年9月に新たにコーヒーの章を追加、タイトルも『世界史を変えた植物』と改題して文庫化(PHP文庫)されている。(野口健二)
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