書籍名 | かわうその祭り |
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著者名 | 出久根達郎 |
出版社 | 朝日新聞社(325p) |
発刊日 | 2005.3.17 |
希望小売価格 | 1,890円(税込み) |
書評日等 | - |
かわうそは取った獲物を自分の周りにおいておく、いわく「獺祭」。さながら、人間がもつ収集癖を表現した言葉だろう。同時に、そこに満州というプロットを組み合わせたことで、この小説は一挙に深みを増したというか、複雑な構図でどんどん読み進んでしまう。
満州物はどこか魅力を感じるのだが、それは世代的な特徴なのか、今の時代がそうさせるのか自分自身としても興味の源泉はなにやら曖昧な状態にある。「もう、存在しないもの」に対する憧憬もあるだろう。それは清岡卓行の「アカシアの大連」が読者を惹きつける要素にも通じる。
また、歴史のあやともいうべき変化が極めて短時間に営まれ、そしてあっという間に崩壊していった。歴史の暗部とともに、新たな国家体制の確立という実験活動には先進的挑戦が多くの分野で実行されたことは今後とも満州国が研究対象としてされていくだろうことは予想できる。
本書は、現在では紙屑といわれてしまうような紙片や子供の駄菓子のおまけのようなフィルムの一齣から過去に踏み込んでいく面白さである。そこに登場する人物たちは商売を超えた、収集癖の塊のような人たちである。切手商、古書店主、映画マニア、加えて「貴重文化紙クズ商」と称するあらゆる紙・チラシを扱う不思議な商売人、などなど。業界用語も沢山出て来るので、読者の側もなにやらその商売人やマニアになってしまったような気分である。ただ、そうした商売人とコレクターは厳然と違いがあるようだ。
「・・・コレクターに珍品を売り、喜んでもらう立場の商人が、コレクターであってはならなかった。いや、切手商はコレクターには違いないのだが、収集品を惜しげもなく手離せるコレクターなのである。だから、客が納得できる売価がつけられるのである。本物のコレクターは、手離したくない意識が働いて、法外な値段を吹いてしまう。・・・自分の収集品に酔うようになったら、切手商は成り立たない。」
大津事件から始まり、ロシアから南満州権益を確保した日本、満州国建国とともにプロパガンダの一環として多用された映画活動、日本とシベリア鉄道を結び欧州との一貫交通路を達成した南満州鉄道(満鉄)、こうした事柄を地方の素封家からゴミとして出現してきた16mmフィルムを軸に物語が進んでいく。これは小説だと思いながら、ノンフィクションと間違えそうな重さを感じる。てっきりブルーフィルムと思っていた映画、「女の一生」という大層な題名、がブルーフィルムと他の映画をつなぎ合わせたものであることが判る。主人公は映画を見ながら、一瞬出て来る女優の顔に見覚えがあった。その女優の正体をつきとめようとする。
「・・・「女の一生」六巻を入念に見た。秘密映画の性格上、フィルムの切りつなぎは当たり前と思われていた。五郎はもっぱら「女の一生」の女優を注視した。初めて見たとき、「あっ」と思わず声がでてしまった。帰宅して書棚から一冊の古い映画雑誌を取り出した。古本屋で求めた、「小型映画趣味」という誌名の、昭和十三年八月号である。・・・名刺大の写真が、載っている。日傘をさした白い中国服の女性が、大きな廟の前で微笑んでいる。写真の説明に「満州美人? いえいえ大和撫子、染井芳乃さんの麗姿。」・・・短い記事が写真の横にある。「既報の満鉄映画制作所創立十五周年記念の大作「撥雲見日」は、日本編をとり終わり、・・・・」・・・・秘密映画に登場する女は二人。「裸の女」と「洋服の女」はまったくの別人である。すなわち別々の二本のフィルムを切って繋いだものである。・・」
そうして、監督探しが始まり、数少ない関係者の話しも聞く。
「雪原のシーンが必要だった。ロシアのロケはままならず、昔撮った記録映画から「雪原」のようなシーンを使った。しかし、あっけなく露見した。完成試写会を見た関東軍将校の一人に、おいら達を阿片栽培地に護衛してくれた人が居たのだ。その人が無邪気に、これは雪原ではない、阿片畑だ、と大声で指摘した。・・・・・昭和十三年の秋に満州国政府はケシの栽培を禁止した。馬賊や日本軍に反抗する武装ゲリラの資金になっていたためだ。・・・しかし、満州国政府は熱河に自らの資金源として直営のケシ畑を丹精した。・・・何万町歩という広大なケシがいっせいに満開だ。山上から俯瞰した白いケシ畑は、現像してみると、雪原そのものだった。・・・・阿片専売は、そもそも満州国を建国するに当たって、建国国債の担保として考えられたんだよ。政府は国際阿片禁止条約の手前、阿片撲滅政策を強化する。その一方で阿片を独占的に売った。だから政府や軍の協力で、阿片撲滅キャンペーン映画が作られても、何の不思議もない。・・・・ある晩、大尉の案内で満州国高官たちの秘密の煙館に忍び込んだ。隠れてその様子を撮影した。ところが現像してみると日本人の高官も見える。・・・」
そんなこんなでつくられた「撥雲見日」は公開されず、煙館のフィルムも隠されることになった。
「君沢(監督)がフィルムを一本につなぐ役を買って出た。出来上がったフィルムは十本もあった。・・・わざと増やしたという。日本内地で製作はされたエロ映画を七本ほど譲ってもらい、それらを適当に切り、同じく切った「撥雲見日」のシーンをつないだ。一本十六分にまとめ、「女の一生」とタイトルをつけた。・・・・煙館シーンは三分ほどもつないだ・・・・」
そして、数奇な経緯で手に入ったフィルムを仲間内で見る。
「濛々と煙のこもる中の、生気のない顔。 あっ、これ、XXじゃないか? ボタさんが上ずった声を発した。ほら、政治家の若い時の顔だよ、これ。 一同唸った。 これも、政治家だ。XYだよ。この顔も見覚えあるな。 ほら、地上げ屋の親玉だよ。バブルの仕掛け人・・・」
紙くずは時代の証人という一言に釣られて面白く一挙に読んでしまった。しかし、本書は半分にそぎ落とすと名作の誉れ高いという感も否めない。(正)
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