階級「断絶」社会アメリカ【チャールズ・マレー】

階級「断絶」社会アメリカ


書籍名 階級「断絶」社会アメリカ
著者名 チャールズ・マレー
出版社 草思社(560p)
発刊日 2013.02.28
希望小売価格 3,360円
書評日 2013.08.19
階級「断絶」社会アメリカ

「ホワイト・トラッシュ(白いクズ)」という言葉を初めて聞いたのは確か『8マイル』という映画のなかだったと思う。白人ラッパーとしてスターになったエミネムが主演した自伝的映画。デトロイト郊外、貧困地域のトレイラー・ハウスに住むエミネムが、アフリカ系ラッパーに馬鹿にされながらMCバトルに挑戦する話だった。

エミネムの母(すっぴんのキム・ベイシンガーが素敵だ)は離婚し、小さな娘はほったらかし、酒浸りで若い男におぼれている。母は働かず、代わりにエミネムが市内のプレス工場でバイトしながらラップに入れ込んでいる。車を持たないエミネムはバスで工場に通う。その車窓に映る荒廃した町の風景が忘れられない。「ホワイト・トラッシュ」という言葉は、アフリカ系ラッパーがエミネムと仲間たちをそう呼んでいたのだったか、エミネム自身が自分たちを自嘲的にそう呼んでいたのだったか。

その後、いろんな映画や小説で白人貧困層を指すこの言葉に接するようになった。『階級「断絶」社会アメリカ』は、この白人貧困層と、対照的な白人新富裕層を比較・分析して「アメリカは人種でなく階級によって分裂しつつある」と論じている。

著者のチャールズ・マレーは自ら「リバタリアン」と称している。「リバタリアン」は自由至上主義とも訳され、大雑把にいえば個人の自由を制限するものすべて(例えば政府による政治・経済への介入)に反対する。「リバタリアン」にとって政府は小さければ小さいほどよく、国民皆保険や所得再分配による格差是正といった福祉制度は社会の基礎を破壊するものに映る。さすがにアメリカでも少数派らしいけれど、保守派のティーパーティ運動の思想的支柱にもなっている。

僕は「リバタリアン」の主張に(アメリカ建国に果たした歴史的意義はともかく)賛成できないけれど、この本を読んでみようと思ったのは、「なぜこうなったか」「どうしたらいいか」という著者の思想が大きく影響するテーマに深入りせず、いまアメリカで何が起きつつあるかをデータを駆使して分析しているからだ。

もうひとつ、この本に興味を持った訳は原書のタイトルに“Coming Apart ─ The State of White America,1960-2010”とあるように、白人社会のみを扱っていること。アメリカが抱えるさまざまな問題を考えるとき、人種や民族の要素が重要であることは言うまでもない。先日、モータウン・サウンドやエミネムを生んだデトロイト市が財政破綻したときも、白人中産階級が町を去り、貧しいアフリカ系住民ばかりになってしまったことが破綻の原因のひとつと報道されていた。でも、アフリカ系やヒスパニック、アジア系住民ばかりに注目していては白人社会の変化が見逃されてしまう、というのが著者の言い分。

その上で著者は1960年と2010年のデータを比較しながら、この半世紀で白人社会に新上流階級と新下層階級が生まれたと論証しようとしている。

マレーが新上流階級と呼ぶのは、経営管理職、医師・法律家・エンジニア・学者・マスコミ関係者など頭脳労働に従事する専門職の成功者、つまり頭脳労働で対価を得ている者の上位5%を指している。頭脳労働というところが昔からの大富豪と違い、その背景には頭脳労働の市場価値がこの半世紀で飛びぬけて上昇した事実がある。

一方の新下層階級。かつての白人下層階級の典型的な肖像といえば「(地域の)結束が固く、家庭的で、大酒のみで、働き者のブルーカラー」だった。しかしこの50年間に生まれた新下層階級はかつてのブルーカラーとはまったく違うと、マレーは数々のデータを示して言う(著者は白人富裕層が住むボストンのベルモントと白人貧困層が住むフィラデルフィアのフィッシュタウンを選び、そこにデータ操作を加えることで、架空のベルモントと架空のフィッシュタウンとして典型化している)。一言で言えば、ベルモントではアメリカ社会全体の動向をそのまま反映した変化が見られるのに対し、フィッシュタウンではそれを遙かに超えて激しい変化(悪化)が見て取れる。

結婚に関するグラフを見てみよう。ベルモントでは1960年から2010年にかけて既婚率が94%から十数ポイント下がったのに対し、フィッシュタウンでは84%から40ポイント以上下がり、半数以上が結婚していない。また離婚率はベルモントでは十数ポイント上昇したが、フィッシュタウンでは30ポイント上昇して、結婚したカップルの35%が離婚するようになった。その結果、片親と暮らす子供たちの割合が増加し、ベルモントの上昇が数ポイントなのに対して、フィッシュタウンでは20ポイント近く上昇し、4人に1人の子供が片親家庭で暮らしている。

労働に関するグラフも驚く。失業率(日本のやり方と違うので数字は省略)はベルモントが全米の平均以下なのに、フィッシュタウンは平均以上の失業率を示している。また週40時間労働(フルタイム)以下しか働いていない男性就業者の率が、ベルモントが数ポイント上昇したのに対し、フィッシュタウンでは10ポイント上昇し、働いている人の5人に1人はフルタイムではない。

またフィッシュタウンで全く働いていない人の率も4%から12%に上昇している。世帯主あるいはその配偶者が週に40時間以上働いている世帯は、ベルモントでは微減なのに対して、フィッシュタウンでは80%から60%へ20ポイントも下がっている。生計を立てていない壮年期の男性の割合も、ベルモントでは微増して5%弱なのに対し、フィッシュタウンでは10%から30%に増えた。これらの数字について、マレーは少なくともリーマン・ショック以前については「(仕事が見つからなかったというより)単純に…『勤勉ではなくなった』からだと考えるほうが自然である」とコメントしている。

次のグラフはいかにもアメリカ的というか、犯罪について。人口10万人当たりの白人受刑者の数が、ベルモントでは微増で10人前後にとどまっているのに対し、フィッシュタウンでは200人から1000人へと激増している。ベルモント(的階級)とフィッシュタウン(的階級)の男性受刑者の比率は1対40となっている。

宗教については、ベルモントでも、かつては富裕層より宗教的といわれた下層のフィッシュタウンでも無宗教者が増加している。なかでも、年に1度程度しか礼拝に行かない事実上の無宗教者が、ベルモントでは25%から40%への上昇なのに対し、フィッシュタウンでは35%から60%へ跳ねあがっている。

こうした結婚せず、働かず、社会活動への関心も宗教心も薄い白人新下層階級は、1960年代では全米の30~50歳人口の10%程度だったが、現在では20%に近づきつつある。マレーはこうした「新下層階級がアメリカの国民生活を変えつつある」と断言する。

むろん、こうした傾向は白人層だけのものではない。「今、わたしたちを分かつのは人種・民族ではなく、階級である。アメリカ社会は階級の継ぎ目からほころびつつあり、その現象は白人だけに限ったものではない。…本書は白人について論じてはきたが、結局のところその論点はアメリカ全体にかかわることなのである」

ではどうしたらいいのか。マレー自身、この本は「どうしたらいいか」について論じないと言っているけれど、いかにもリバタリアンらしい方向性は示している。

この現状に対して、「社会民主主義者なら富の再配分が必要だと思うだろうし(評者もそう思う)、社会的保守主義者なら結婚や信仰といった伝統的な価値観を守る政策が必要だと思うだろう。わたしはリバタリアンなので、建国の父たちが唱えた『小さい政府』の考えに戻らなければならないと考える」。

要するに「自由と責任」に基づいて人生の深い満足を追求することが必要だ、とマレーは言う。政府による福祉や再分配は、「政府が介入するかぎり、それはわたしたち自身の責任を軽減し、結果的に、わたしたちが満足のいく人生を送るためのシステムを弱めてしまう」というのだ。それについて論ずると長くなるので、この本同様、そこには立ち入らない。ともあれリバタリアンと言われる人びとの思考経路がよく分かった。(雄)

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